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公のために、といっても、政府お得意の公共の利益なんて押しつけがましいものではなく、小さな宿場にかかる過大な負担に苦しむ人たちを救うために、私財を抛つという良い人たちの良い話。だから、気持ちよく見られるし、話の運びも軽快だ。が、時間が経つうちに、印象が希薄になるのは何故なのか? 主立った連中の座っている場面が多いためか、シーンの具体的な細部が弱いためか、記憶に残るのが、銭壺を覗く山﨑努の顔と廊下の角々を四角く歩く龍平の姿というのでは、なあ。
SEALDsの活動記録としては、よく出来ているし、これを通して、彼らの新しさもよくわかる。一九六〇年代末の全共闘運動の学生たちは、個人としての想いはあっても、言葉にすると時代のイデオロギーを背負ってパターン化していたのだ。それに対して、SEALDsに集う若者は、シュプレヒコールはリズムが違うだけで昔と変わらないが、一人ひとりが発言するときは、その人なりの自前の言葉になっている。それが、既成の政治家たちはもとより、往年の学生たちなどより、決定的に新しい。
おそらく、押井守ファンなら何度も繰り返し見るだろうし、キャラや物語について、あたうる限りの意味づけを試みるだろう。というのも、まず冒頭の荒涼たる世界での戦闘シーンが、兵器の造形も含めて目を奪うし、クローンの女性飛行士カラも、そこそこ魅力的だからだ。物語は、起源を求めての旅というシンプルな枠に収まっているが、それだけに、さまざまな意味づけを誘うに違いない。だが、だからなおさら、これは本来の物語の序章に過ぎないのではないか、という思いを禁じ得ない。
人を痛めつける場面は、見るからに痛そうだから、相当に工夫しているといえよう。だが、それが、主人公を含め、何に由来するか、また、何処に向かうのか、不明のままだ。暴力は、当面の相手あるいは、名指された誰かに振るわれるだけで、それが何に動かされ、何を動かすのか見えてこない。だから、見ているうちに視野狭窄に近い感覚になる。つまり、世界がないのだ。原作のマンガにはあるのかもしれないが、暴力表現のリアルさに拘るあまり世界を見失ったのではないか?
たまにはこういう「良い話」で和みたい。実話というのが高ポイントの理由で、だが私には完全にその経済的理屈が理解できたわけではない。それに後でよく考えたら一番悪いのはバカ殿ではないか。何であんたが最後にしゃしゃり出てくるのか。でも羽生くんのルックスには惚れたね。京から帰った知恵者が困窮する宿場を救うアイデアをふと思いつき、複雑な家庭事情もからんでそれをがむしゃらに実践に移す者がいて、と偶然のチームプレイのように物語が編成されていくのが上首尾であった。
シールズというのは「民主主義を守るために急いで行動を起こした学生達」の略語だというのを、今チラシを読んで初めて知った。私は日本がこの七十年、平和憲法のおかげで平和であったと思ったことなど一度もないが、それはそれとして若い連中が積極的にデモをしかけるようになったのはとても良いことだと思う。この現場にはC浦クンもいたらしいぞ。最後に彼に会った時、「集団的自衛権行使容認、いいことじゃん」と発言した私は氏にとても叱られたのであった。たまにはデモ行くか。
何の情報もなく試写を見た私、これはダイジェスト版にも或いは大長篇の序章にも見え、しかし意図的にそうなったという感じでもないのが実にヘン。プレスを読むと鈴木敏夫が日本語版を頑張ってプロデュースしたのがこれ、とのこと。元のを見ていないのが残念だがともあれ余得ではあろう。重装備の兵士とモンスターマシン、森と預言者、といったある種のSFの定番が満載で押井ファンにはたまらないはずだが、私には結構ちんぷんかんぷんであったな。物語設定を先に読んでおきたい。
因縁の源がいじめられっ子といじめっ子の確執である以上、クライマックスは現在の両者の対決でなければいけないはずだが、本篇はそのはるか手前に留まっており評価のしようがない。続篇やるなら是非その線でお願いしたい。一敗地に塗れた福士の復讐戦も当然あるべきだし、須賀がどうやって「壊れた」のかも全く描かれないし、クローン風の美女の正体も不明、即ち続篇への課題しかない映画であった。ただしその元いじめられっ子、須賀ちゃんの凶悪ピエロっぷりは断然見応えあり。
中村監督が助監督時代に付いた伊丹十三が時代劇を撮っていれば、伊丹万作も意識したこんな明朗時代劇だったかも。飽きさせない語り口は見事だが、お上をカモに宿場町に利益をもたらす〈損して得取れ〉な話なのに権力者へのへりくだりと、日本人の美徳を自画自賛して感動話にする作りに乗れず。藩が約束を反故にすればご破算だろうと思ったら、後年、実際にそうなったことがナレーションで語られるがその顚末こそが観たかった。脇に回った松田龍平が無表情と棒読みで嫌な役人を快演。
大島渚はドキュメンタリー「日本映画の百年」で連赤事件を境に「以後、若者たちが日本の現代史の表舞台に登場したことは未だない」と語ったが、それは現代と切り結ぶ青春映画の喪失も意味する。短期決戦とも言うべき彼らの鮮やかな活動を記録した本作は「圧殺の森」に迫るキラキラと輝く青春映画の復興だ。映画は彼らに加担しつつ、抑制した視点を崩さない。一瞬それが緩むのはシュプレヒコールを挙げる中心人物の後頭部越しに見える国会へデモが突入してゆく美しいショットだ。必見。
幻の超大作「ガルム戦記」に、これで日本製SF映画が変わると純情にも期待した身としては夢の形骸を眺める気分。デジタル技術がこれだけ進歩し、「アバター」の後では証文の出し遅れ感は否めず。アニメの様に実写が撮れるようになったはずが、まだ不自由さが残る時代に低予算で撮った「アヴァロン」の方が遥かに実写+VFXがもたらす自由を獲得していたように思えたが。本作が実現したことでオリジナル版のパイロット・フィルムが前売り券購入特典に付いてきたことが最大の喜び。
三池崇史がエラくなってしまったので橋本一の一人プログラム・ピクチャー監督ぶりに毎回、一喜一憂しながら付き合っている。大作より今回のような低予算映画の方がツボを心得た演出を味わえ、若手俳優が生き生きしている。竜星の邪悪な面構え、ジョーカーまんまだが須賀の化けっぷり、福士、日南、高橋ら若手俳優陣の層の厚さを堪能。ただし韓国映画を意識した残虐描写が徹底できないなら、最初から見せずに想像させるべき。それができる技術を持つ監督・スタッフ・撮影所だけに。