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登場する恐竜一家がトウモロコシを栽培しているという意表をつく設定が笑わせる。恐竜と人類が共存した時代は無いが、ここで恐竜少年が出会う人間の幼児は恐竜より野性的なのも新鮮だ。なによりも原始アメリカの自然風景のCGによる描写が圧倒的な美しさで迫ってくる。この風景はディカプリオ主演の「レヴェナント:蘇えりし者」のすばらしい旧アメリカの自然描写に直結していると感じさせる。広い意味での家族愛を描いて泣かせる秀作。併映のインド系アニメ監督の短篇も傑作。
敗戦直後の一九四七年の日本に現れるホームズは93歳という設定。原爆被災の広島には樹木が倒れず多く残っているのが変に見える。真田広之が登場するなど、老境の名探偵を過去の事件や記憶が複雑に追ってくるのだが。そうした謎解きの部分よりも、引退先のサセックスの田舎で養蜂業にひたる彼と下宿の女主人とその息子の少年との三人の関係描写が味わい深い。彼が六個の石のあいだにひざまづく左上の空に、昼間の細い三日月を一瞬だけ示す画面は、忘れ難い印象を残す。
「なんでこうなっちゃうの?」を意味するフランス語の原題どおりのコメディー。一家の四人の娘たちが、それぞれアフリカ系、アジア系など異なる人種の男たちに恋をし結婚式をあげるはめになり、両親はあわてふためくのだが。娘や花婿や相手の親たちが出会っての会話がとびきりはずんでおかしく。楽しめる。娘たちはそのことにまったくこだわらず平然としているのに、意地になって見栄を張ったりするのは男たちだ。むしろ多国籍・多人種のほうが今後あるべき家族かもと、私には思えてくる。
原題の漢語を〈姦臣〉というこの映画は、要するに韓国のむかしの権力者が、国じゅうから美女たちを集め、性の奴隷にしようと姦臣たちが調教する話なので、きわどいかっこうをした女たちが、オイル・サーディンの缶詰のいわしみたいに詰めこまれている。だがストーリーは予想がつくし、たいしたことはないので、見ていて間がもたない。権力者もその地位をねらう者たちなど入り乱れる登場人物に真の正義はひとりもいない。つまり、女体ヌードだらけだがエロティシズムが無いのだ。
恐竜夫婦が授かった3つの卵。一番大きな卵から、とても小さなアーロが生まれる(この時点で、ウルッ)。甘えん坊で何をやってもうまくいかない日々の中、人間の少年と出会い、ひょんなことから旅を共にする。家族、友情、冒険。王道の感動がたっぷり。驚いたのは、自然の描写。岩や水や木々のざわめきまで、どういう技術で再現しているかと思うほどリアル。何でもないシーンも面白く、モグラがポコポコ現れ増えていくところは傑作。お決まりのギャグながらも完璧で、さすがと唸る。
ワトソンが出てこない晩年のホームズの物語。田舎で隠居生活を送るホームズは、引退を決意した30年前の事件の記憶を手繰り寄せていた。鋭い知性と観察力、直截的な物言いが魅力の名探偵は、若い婦人の奇怪な行動を推理した時、大きな失敗をしたのだった。事実を突きつけるだけでは解決できないこと。最晩年の彼は何かを学ぶ。イアン・マッケランが見事。後半、〝セルフィッシュ!〟と自らに吐き捨てる姿に泣けた。家政婦役のローラ・リニーもいい。新たな角度から見たホームズ譚。
フランスの白人中流家庭。娘たちの結婚相手は、アラブ人、ユダヤ人、中国人と外国人ばかり。末娘には同じカトリック系の婿を期待する両親だったが、彼女が選んだのは同じ宗教を持つ黒人青年だった。異文化が凝縮した家族の大騒動を、機知に富んだ面白さで描くヒューマン・コメディー。14年にフランスで大ヒットしたというが、翌年の不幸なテロを思うと、〝家族的なユートピア〟で多様性を括る理想の限界も感じる。とは言え、異質なる者への意識が低い日本人としては大変勉強になった。
王の色欲を満たすため、全国から集められた1万人の美女。官能の秘技やらを教えこまれるスポ根・ミュージカル仕立て(?)の描写は、思わず笑ってしまう珍シーンだが、そんなあっけらかんとした面白さがあるかと思えば、濃厚なグロさが恐怖を煽る。女優陣が身体を張って、暴君の権力にぶつかっていく姿にはしたたかさと切なさが漲り、後味としては、朝鮮の歴史的恥部を客観的に見つめようとする監督のフェミニズム精神を感じる。王と女の間で揺れる家臣チュ・ジフンが悩ましかった。
恐竜に文明と言語があり、人間が野生に暮らしているという一種逆転した設定なのだが、とくにそれが活かされたお話にはなっていない。恐竜と少年のあいだでことばが通じないのなら、全篇サイレントで通すくらいのくふうと思い切りがあっていいと思う。手足やしっぽを器用に使って農業さえいとなむ生活描写は練られているものの、ティラノサウルスなどおなじみの恐竜たちは「友情出演」ていどで、画面のテンションが低いのが何より残念。評者が少年のこころを失ったせいではない。
ホームズのような虚構内人物も年端をかさね、老いて「終活」をはじめる時代がきたのか。「高齢化社会の想像力」という語が思わずうかんだ。シャーロキアンへの目くばせもさることながら、ふたつの時代を演じ分けるイアン・マッケランがさすがの貫祿。こちらも背筋がのびる。サセックスの海辺の田園風景も絵画的で美しいが、作品としては回想場面を挿入する手ぎわがどうもスマートでない。蜂・手袋・山椒など、記憶のカギとなる物の存在がいまひとつ息づいてこないのが惜しいところ。
本国フランスでは一二〇〇万人が見たというからおどろいた。フランスの観客がもとめていた語りの形式がここにあったと想像するほかないのだけれど、どれだけベタでご都合主義的(エスプリ?)であろうとも、異人種・異文化という決してたやすくはないテーマをこのように描けるということ、そしてこうした作品に観客が駆けつけ、劇場でともに笑い声をあげるということに、小さくない意味があると思う。各国で動員するなか、ロシアではさっぱりだったというのがその意味では興味ぶかい。
李朝時代に実在した色情狂の暴君をモデルにしているということで、日本映画でいうなら「エロ将軍と二十一人の愛妾」(72)みたいなお話である(違う)。このような歴史上の恥部は喜劇として笑い飛ばしてしまったほうが健全だと思うのだが、本作はいかにも大作的な長尺と冗長な演出の連続で、画面中の女が荘厳に膣圧を競っているさまなどまったく辟易した。政治陰謀劇と刀剣活劇と艶笑喜劇をパンソリでまとめるのはどうしたって無理がある。これも鈴木則文に撮ってほしかったよ。