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これは驚き。女たちが闘う、手に汗握る労組映画だった。しかもエンタメ性も高く、知的で勇敢なリーダーがあることを契機に闘争から退こうとするのと入れ替わるように、控えめだった女性が闘士へと変貌するさまの描写など鮮やか。でも、彼女たちの苦境に肩入れするうちに、企業側のひどい暴力行為を撮影してネットで訴えることを、どうして誰もやらないのかとか思ってしまうのだった。マスコミがどう報じていたかも知りたくなるし、もう少し広がりが欲しいと思うのは欲張りだろうか。
ソウル・バスがいま生きていたらこんなの作るかもと思わせるタイトルバックでがぜん気持ちがアガる。007映画からスットコドッコイ要素がなくなった現在に、おしゃれで「何でもアリ」だった60年代スパイ映画を甦らせようとする試み。普通に観ても楽しいが、当時の映画を知っていればいっそう楽しめる。ギミック満載のG・リッチー演出で、話の運びは60年代よりもだいぶめまぐるしい。大仰にガンガン鳴りまくる音楽も素晴らしく、モーターボートに乗りこんでからのくだりがケッサク。
左派野党の書記長が突然失踪。双子の兄が替え玉になるや、党の支持率は劇的に回復……と書くとよくある図式の話みたいだが、教養と機知にあふれて超人的に頭が切れ、しかしつねに狂気の淵にある兄・ジョヴァンニの造形が、定型を逸脱してとてもいい(ちょっとグルーチョ・マルクスみたいでもある)。では弟・エンリコが彼の対極にあるかというと、この映画はそんなに単純ではない。政治は映画製作と同じ「虚構の創造」だと喝破され、やがて真と偽、正気と狂気の境も曖昧になっていく。
これはダメな人はほんとにダメな映画だと思うし、実際わたしも、主役二人の演技のあまりのくどさに30分ほどでギブアップしそうになったのだが、ギャグのアイディア自体は冴えてるものが多く、いちばん可笑しいのは、こんなに底抜けにくだらないのに、映画の撮り方自体はすごくきちんとしている点。終盤の人情コメディ的展開は万人に受け入れられそう。そこまでの反動もあってか、登場人物全員が突然愛おしくなる。S・コネリー時代の007映画のパロディがやたら多いのはなぜかしら。
レジですら保守点検などで労ってもらえるのに、それを打つ者はモノ以下として扱われる。その辛さを、彼の国固有の追い込むタッチで描破。さらに、占拠した店内で大縄跳びや寸劇に興じてはしゃぐヒロインらの姿を映してホッコリさせたところで、『3年B組金八先生』第二シーズン〝加藤たちの連行〟的展開を用意するものだから、もう哀号感が止まらない。非正規労働者をめぐる問題は社会の構造だけでなく、本作をこんな風に観てしまう自分のような人間の存在も要因なのだと猛省した。
そこはかとなくタッチがダサいガイ・リッチー。「シャーロック・ホームズ」2作では、それがダウニー・Jr.の弾けぶりと相俟ってケレン味に昇華したわけだが、意外にも今回の撮り方はオーソドックスなもの。だが、そうしてみたらスリルも高揚感も希薄になってしまったという結果に。米ソ諜報員が戦ってデタントしていく物語とはいえ、ほんとうに緊張感を消されては困る。主演コンビの風貌は60年代という時代背景にはピッタリだが、あまりにノーブルすぎてかえって地味に感じてしまう。
政治の世界で入れ替わりものといいうと「デーヴ」があるわけだが、あの明朗快活さから程遠いのは日本語タイトルの書体からしてわかる。で、これが随所でクスリとできるもののしっかりと深遠な中身。精神を病んでいるがありのままに生きている偽者よりも、それをしようとしないでひたすら我慢する本物やその他大勢(我々)のほうがよっぽど病んでいるのだとホッコリ&ニンマリしているうちに気付かされる。わかっちゃいるけどそうもいかない大人たちのファンタジーといったところか。
ことごとく新作は日本未公開が続き、公開されてもオムニバスというファレリー兄弟。そんな鬱憤を盛大に晴らしてくれる、とめどないウンコチンチン感に酔った。どこかでホロリとさせようなどとは一切考えず、月経、変態、フェチ、病人といった触れてはならないネタで笑わせる真摯な姿勢は相変わらず見事。なんだか、主人公コンビがひり出す屁音の湿感や振動にまでこだわっているのもわかる。J・キャリーもJ・ダニエルズもさすがに老けたが、顔の皺が変顔をする際に役立っている。
社会正義やイデオロギーではなく徹底して女性の視点や感情にそって描かれているので、従来の社会派映画の持つ教条主義的な臭いがなく、女性監督ならではのしなやかで好感の持てる作品になっている。ヨム・ジョンア、キム・ヨンエをはじめ女優たちが皆を好演。ヨムの息子の働くコンビニの強欲で下品な親爺と巨大スーパーの経営者たちの言動が殆ど同じなのは強烈な皮肉として笑わせる。非正規労働者やワーキングプアーの問題は今の日本でこそ語られねばならないテーマだ。
ロバート・ヴォーンとディヴィッド・マッカラムの名バディ振りを篠原愼訳の名科白でその昔楽しんだものには嬉しい映画だ。企画の狙いがいい。アメリカとソ連の諜報機関が抱える二大問題児が初めてバディを組む事件、つまりTVシリーズ誕生のエピソードを作ったアイデアは出色。ガイ・リッチーの手なれたな演出と相まって、オリジナル企画としても通用する娯楽作になっている。ただし、イリヤ・クリヤキンの配役は白熊のような大男ではなく、白面痩身の美青年にして欲しかった。
「道化」(フール)と「双子」はシェイクスピア喜劇の大きなモチーフだが、トニ・セルヴィッロはその両方を見事に演じる。精神を病む哲学教授は、失踪した野党党首の替え玉になり、詩的でユーモラスな演説で民衆の心をたちまち摑む。まさに道化芝居の神髄である。その政界風刺の喜劇的面白さは圧倒的だ。その突出したおかしさに比べると、海辺の街で映画スタッフとして働く双子の片割れのエピソードや全篇に流れる荘重な芸術的雰囲気はいささかバランスに欠ける気さえする。
ジェリー・ルイスは内外で喜劇の王様などと絶賛する声が多いが、私は未だにどこが面白いのか判らない。ジム・キャリーの百面相さながらの顔面演技、身体をくねくねさせてぶっ倒れたりする身体演技、下ネタたっぷりの下品なギャグなどを観ていると、ルイスの真似はいい加減に卒業しろと言いたくなる。昔誰かが言った「白痴的アチャラカ」なんて言葉を思い出す。笑えなかった。この映画の唯一の見どころは、キャスリン・ターナーの貫禄たっぷりな大姐御ぶりである。