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他人の頭の中を見ることができる主人公が、客の願望を汲み取った夢を売る商売をはじめる、精神分析的な作品。夢というアイテムを使い、通常のナラティブのなかに、そうそうたる作家たちの描いたシュルレアリスム映像を落とし込んでいく。イメージの面白さもありつつ、映像が誰かの夢や願望を反映できるといった、映像というメディウムそのものにも言及するような描写が興味深い。ただし、男性の夢のほとんどが、女性に対する欲望を表すようなものだったのには、少し辟易としてしまった。
夏と冬しか存在しない村での、閉塞感に包まれた人々の生活を描いた作品。主人公の男性は、かなりどうしようもない人間だが、それで得をするわけでも裁かれるでもなく、一人の住人として怠惰に生きている。時折挟まれる誰とも知らない人々のポートレート写真を見て、まさに主人公がその一人にもなりうる、市井の人であるに過ぎないことを示しているのだと思った。ただやはり彼にはどうしても嫌悪感をぬぐえず、女性の家を訪ねるシーンでは早く帰ってほしいと心から願ってしまった。
先祖の怨念を晴らすために改葬を行う呪術師(?)たちのバトル映画。日本でいうところの陰陽師みたいだなと思いつつ、ホラー映画でありながらも仰々しい演出に笑ってしまう場面もあった。埋葬という馴染み深い題材でリアリティを担保しながらも、日本の鬼が出てきたりと突拍子もない展開をしていく。そこから日本の植民地時代の話も混ざりつつ、国家や民族といった大きな枠組みの話になっていっているのが、怖くもあり面白い。主人公の女性の鋭い視線が、このとんでもない設定を支えている。
病気の母親のために、パイの材料を探す一日の冒険譚。妙にませた子どもたち三人組のキャラクターが愛おしい。特にリーダー的存在の女の子の、いざというところできめてくれるクールさにしびれる。怪しい館、日本製の不思議なゲーム機、青い玉のおもちゃの銃など、美術のアイデアも楽しい。現実味に欠ける設定や展開でありながらも、それがただのファンタジーで済まされるわけではないのは、子どもたちの存在感によってだろうか。彼女たちの間になぜだか突然生まれた友情には胸を打たれた。
ハンス・リヒターがレジェ、エルンストらシュルレアリストたちの協力でつくったオムニバス。他人の内心を読めることに気づいた主人公が事務所で《夢》のビジネスを始めるという設定は当時、隆盛のフィルム・ノワールの私立探偵を思わせる。ヴォイス・オーヴァーの活用、ヴェロニカ・レイク風の金髪の美女の依頼人。それらはあくまでエロティックな夢想の断片としてのみ提示されるだけだ。眼球のクローズアップが頻出するのはやはりブニュエルの「アンダルシアの犬」の影響だろうか。
昨年のTIFFで見て忘れがたい印象を受けた。とにかく見る者の共感や感情移入を完璧に拒む美術教師サメットの造型がうんざりするほどにリアルだ。トルコ辺境のこの村を「ゴミため」と呼んで嫌悪し、苛立たしいまでに自己中心的で狡猾な冷笑家。一方で彼が撮った肖像写真はウォーカー・エヴァンスを思わせる親密さが漂う。義足の教師ヌライとの10分を超える烈しいディスカッションは篇中の白眉だが、次第にこの鼻持ちならぬ人物を見舞うある受難が普遍性を帯びた切実な寓意として迫ってくるのが圧巻だ。
この映画はいわば二段構えになっていて、前半のエピソードが圧倒的に面白い。在米の富豪コリアン家族からの依頼で跡継ぎが代々謎の病気にかかっており、お祓いと墓の掘り起こしで多額の報酬を得る風水師、葬儀師の四人組がいかがわしくてよい。巫女が憑依して踊り狂うシーンなど絶品だった。ところが後半は一転、日帝が朝鮮半島の絆を断ち切るために刺した呪いの釘などという大法螺吹きのテーマが朗々と謳い上げられ、異形の歴史オカルトみたいな収拾がつかない事態になってしまった。
「スタンド・バイ・ミー」のような牧歌的で多幸感溢れるキッズ・ムーヴィーと思いきや違った。悪ガキ三人組が病気の母親が大好物のブルーベリーパイを作るのに必要な玉子を横取りした男を追い、謎の魔女集団と対決する羽目に――。逸脱を狙ったプロットは行き当たりばったりで、リアルな描写とファンタジーが奇妙に同居したまま齟齬を来している印象が否めない。2組に共通するのは父親が不在の母子家庭であるということだが、その描き方も中途半端でまったく掘り下げられていない。
ハンス・リヒターが1947年にマンハッタンで制作したという前衛映画。“夢”のビジネスを始めた男の事務所に、願望や欲望、夢、怖れと虚しさを秘めた人々が訪ねてくる。探偵映画風の設定で、ロッド・サーリングのTV番組『ミステリー・ゾーン』のエピソードを連想させる邦題でもあるが、語り草のシュルレアリストが参加している。シュルレアリスム宣言から100年の夢の映像表現、歴史の1コマに想いを馳せる意義を感じたが、イメージの造形が弱いので、ぼくは夢に踏み迷うような快楽を味わえなかった。
「昔々、アナトリアで」「雪の轍」に感銘を受けた名匠の新作。流暢な語り口と壮大な風景画、彫りの深い人物像と会話の緊張感に時間を忘れた。一面的な人物は出てこない。誰もが別の顔を隠していて、そのことから人生の背景を想像させる。中でも興味深く、時に不快な人物は主人公である。この男の感情を揺さぶる二つの出来事が起こり、観る者は、彼の反応や対応に眉をひそめながら、そこに自分自身の似姿を発見できるだろう。役者の顔がみな見事。各人物の関係性でしか語り得ない物語なので、短評は空しい。
チャン・ジェヒョンのオカルト・スリラー。主要人物が自らを紹介していく快調な冒頭でまず、前作「サバハ」からの熟達を感じられる。前代未聞の悪地に佇む墓の改葬依頼。不審な点が多い。40年間、地官を務めてきたチェ・ミンシクはチームに警告する。ここは悪地の中の悪地で、関われば全員が命を落とすであろうと。あらすじの解説は野暮だろう。ぐいぐい引き込む演出と役者陣の卓越した演技に導かれながら、驚きの展開に身を任せた方がよい。本国での大ヒットもうなずけるエンタテインメントだと思う。
70~80年代に子供たちの冒険映画をたくさん観た。しかし夢中にならなかったのは、仲間との“本物の冒険”の方が楽しかったからだ。そして、あれから何十年を経て観たこの映画は楽しんだ。新鋭監督が描き上げた現代アメリカのユタ州は、美しく広大で、ノスタルジックなパステル画。しかしウェス・アンダーソン映画よりも生身の身体性が豊かである。大人と比べて子供時代の1日はとても長い。だからこそ、たくさんの経験に挑戦したし、勇敢にもなれた。そうした世代を超えた実感を思い出させてくれる秀作。