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いつまでも老いを感じさせない、そんな生粋のティム・バートン作品を見ると、うんと若返る! 好きなシーンを挙げてって言われたら、①ソウル・トレインのホームでダンスホール。②グロリア、ホッチキスで合体、そして復活!③上半身サメに喰われた父と、同じく喰われたサーファーのシュールなご挨拶。④母と父と娘の感動のHUG。⑤結婚式の土壇場はサンドワームの介入で呆気ない。終わりは意外とドライないんだけど、断片的な好きがいっぱいありました◎
ジョーカー、またの名、アーサー・フレックについに終止符。ホアキン・フェニックスの俳優としての居方は真に感銘を受ける。人間離れした表情、身体性、重心のずれ、初作では、ジョーカーを追求し、演じ切った。次ぐ本作は、当人が映画の中でリーと共に歌っていた、まさに愛のエンタテインメント。人間を描くなら愛を探究するのは分かる。が、もったいない。ジョーカーとして、生まれ変わった後に、普遍的な感情に揺さぶられてほしくなかった。興奮が足りなかったのは逸脱しなかったからだろう。
これは……ミヒャエル・ハネケ「ハッピーエンド」との類似性を感じる。タイトル、そして内容の逆転。一つの問題から派生して、家族が最悪の事態に陥る。最後になってやっと周囲が正気を取り戻す時間感覚。同じように、本作も見て取れた。この構成を描き切るのは難しい。主人公の妻が自殺に追いやられた要因を、正確に説明する必要があり、家父長制、トランスジェンダーの要素は慎重に描写しなければならない。「ジョイランド」はバッチリだった。鋭く、重厚感のある作品になっている。
学生時代に「『ソウ』見た? グロいよね?」と話題になっていて、興味本位で見てたあの頃。そして、久しぶりに見て……今はちょっと無理。この不快感をあえて感じたいとは思わない。しかも、いつのまにか首謀者が明かされていて、報復としてあの悪夢の実行をする。陳腐な復讐劇としてしか見られないし、首謀者のサイコパスお爺ちゃんの悲哀な姿など見たくない。身元が明かされないでいたほうが良かったと思う。そのほうが、スリルを守れた。私がお母さんになったら絶対子どもに見せたくない一本。
まさかティム・バートンがここに来てこんな作品を送り出してくるとは! オープニングクレジットからもうすでに面白い予感でぞくぞくする。出オチみたいな「ソウル・トレイン」をいつまでもひっぱっているのも、ピラニアぴちぴちも面白く、「わたしたちの大好きだったティム・バートン」が帰ってきたという思いがするが、実は昔よりポップになっているかもしれない。クライマックス、リチャード・ハリスの〈マッカーサー・パーク〉で歌い踊るシーンも、そのあとの身も蓋もないたたみかけ方にも大笑い。
ジョーカーに「過去」や「内面」を付与してしまったのは前作限りしか通用しないことで、絶対無理が来るけどどうするんだろうと思っていたら、形式面(ちょっと「オール・ザット・ジャズ」っぽい)でも内容面でも、やっぱこうするしかないよねという作品に。ジョーカーとアーサーとに主人公が引き裂かれるさまも、前作のほうがよく描けていた気がするけれどどうだろう。ガガ様の影が思ったより薄いが歌は最高。個人的には「バンド・ワゴン」の上映プリントが無事だったかどうかが気になって仕方ない。
監督がずっと温めていた題材だけに、ややテーマを盛りこみすぎな気もするが、それでもなお喚起力に満ちた力強い映画。トランスジェンダー女性との出会いによって、自分の真の姿に気づかされていく夫。「女」の枠に閉じこめられまいともがきはじめる妻。文化が違えば先進的なベストカップルとして賞賛されるだろうふたりが、強力な男尊女卑社会の圧力のもと、苦悩するさまが痛々しい。そしてもちろん苦悩するのは彼らだけではない。場面の息づかいをとらえる撮影も、洗練されたタッチの演出も魅力的。
後半セシリアが、ジョン・クレイマーの正体を知っていたと言い出すので、「だったらその時点で『こいつに手を出すのはやめよう』と判断しないか?」と思ったのだけど、そういうことを考えて観てはいけない。ゴア・スペクタクルだけでなく、意外にもドラマとしてちゃんとしている。心理とかそもそも必要ないとか、ジグソウはこんなキャラクターであってほしくないという意見もあるだろうが、「命をもてあそぶ」ことへの正当な怒りが表現されていて、シリーズから取り出してこれ単体で観ても悪くない。
ティム・バートンの出世作「ビートルジュース」の35年ぶりの続篇。死後の世界の「人間怖がらせ屋」ビートルジュースがかつて結婚を迫りながらもフラれたリディアから娘が死後の世界に囚われたことで助けを求められ、現実世界と死後の世界を往復する騒動になる。再結成バンドのスタジアム・ライブのような懐かしさとスケールアップ感があるが、バートンのその後の華麗なフィルモグラフィを考慮すると、あまりにノスタルジックな仕上がりに肩透かし。バートンには本気の新曲を披露してほしいものだ。
「バットマン」に悪役で登場するジョーカーの誕生秘話を描いた「ジョーカー」の続篇。前作で逮捕されたアーサーは刑務所の中でリーという謎の女性と出会う。全米が注目するアーサーの裁判が始まり、彼の二重人格性に焦点が集まる。レディー・ガガ演じるリーが大きな役割を占め、二人の妄想ミュージカルが全篇にちりばめられた続篇は、人々がカリスマやエンタテインメントを切望することへのスペクタクルな批評だ。今シェイクスピアが生きてこれを観たら、泣いて悔しがるであろう、時を超える悲喜劇の傑作。
パキスタンの新鋭監督の初長篇。大都市ラホールに暮らす伝統を重んじる9人家族の失業中の次男が就活で紹介されたシアターでトランスジェンダー女性と出会い、惹かれていく。第三世界LGBTQモノは性的偏見にのみフォーカスを当てがちだが、本作は家族のキャラクター描写が巧みで、次男が保守的価値観と性的多様性の価値観の間で揺れ動く様子が丁寧に描かれる。撮影や編集もモダンで、地球の遠くの国を舞台にしながら、私たちと共感・共有できる物語に仕上がっている。この監督、期待大。
連続ゲーム殺人を描く「ソウ」シリーズ最新作。末期癌で余命宣告を受けた主人公の老人が実験治療を試すためにメキシコへ。しかしそれは詐欺で、彼は詐欺師たちに報復する。あっさり騙される主人公にも、彼の報復に簡単に絡み取られる悪役たちにもまったく感情移入できないまま、映画はおびただしい出血量の殺人ポルノと化す。シナリオにも撮影にも創意工夫は見られず、続篇を予感させる結末にもうんざり。映画の面白さよりも露悪的残酷さに奉仕する製作姿勢に告げたい、「ゲームはもうおしまい」だと。