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え、そっち側の視点で進むの?という戸惑いは「スオミの話をしよう」と同様。こちらは途中で作劇的ルール違反とも言える視点の変化もあるが、遅きに失した感は否めず、壁ドン青春ラブコメのような結末の陳腐さも残念。醜悪な人間ばかり出てくる話に辟易するが、すべて狙いどおりと言い返されそうな嫌らしさもある。ミステリとしての興趣を優先したような小説的構成が、映画では嫌悪感を濃縮する結果となった。そのカメラ位置合ってる?といった小さな苛立ちも蓄積し、思わず痛飲。
一応は本好き、本屋好きではあるのに全然ピンと来なかったのは、きっと求めるものが違うからだろう。本屋にお洒落さとか居心地のよさはいらないので、むしろ最も平板に撮っている宮脇書店の棚の充実にいちばんそそられた。雑然としてればなお良し。ついでに言うと物書きが旅先で自然の景観や土地の空気に触れるときも、もっと目まぐるしく思考は渦巻いているのでは。淡い恋情に背を向けてでも現実の悲劇を書かずにいられない作家性の話なのかと思いきや、そうならないのも不可思議。
壊れかけの家族を描いたからといって、映画自体がバラバラになってしまうのは如何なものか。クライマックスの試合シーンは確かに迫力あるが、作品に貢献しているかというと疑問。映画制作には時間がかかるので、おそらく今の日本の若者を苦しめている問題をリアルタイムで描いたら、また違った中身になっただろう(困窮と政治批判が全然絡まないのはさすがに不自然)。また、コロナ禍を経て映画料金が2000円に跳ね上がったあとの企画なら、こんな鬱屈した作劇になったろうかとも思う。
最初に始まる「八犬伝」パートのムードのなさに、大丈夫か!?という不安を覚えるが、滝沢馬琴パートに入ると役所広司の芝居だけで十分引っ張るので早々に印象はよくなる。撮り方が平板なところもあるが、物書きの仕事場を描く物語の宿命でもあろう。馬琴と鶴屋南北が芝居小屋の奈落で対峙するシーンが何しろ出色。「八犬伝」パートも文字どおり役者が揃うと俄然覇気が宿り、監督得意のVFXアクションも上々。家族の悲劇と背中合わせの古風なクリエイター賛歌として見応えがあった。
逃げられたから追う、追わせるために逃げるという、マッチングアプリで出会った相互依存的カップルの、安手の恋愛ゲームのようなメロドラマで、ムダにミステリ仕立てなのも人騒がせ。おまけに自己実現とか、承認欲求とかの匂いもプンプン。しかも逃げ出した彼女サン側の親や関係者がみな濃いめのキャラクターで、仲人を生きがいにしているらしい前田美波里など、まるで横溝正史の“金田一耕助”シリーズから抜け出してきたみたい。彼氏サン側の女友だちたちの嫉妬交じりのお喋りはけっこうリアル。
書けなくなった作家が、地方の図書館のイベントに参加したり、各地の個性的な本屋さんを訪ね歩くという、ドキュドラマ仕立てのロードムービーだが、じつに誠実で穏やか、控えめでぬくもりのある作品で、映像がまた美しい。そして本と本屋さんに対するリスペクト。現実には人々の本離れで、町から次々と本屋さんが消えている。があえてそれには触れずに、本を通してのエピソードに話を滑らせているのも効果的で、細やかな演出も気持ちがいい。作家役・矢柴俊博のキャラと演技は絶賛したい。
時代の気分をリアルに描いた内山監督の前作「佐々木、イン、マイマイン」は、世間に向かってザマアミロ!と一緒に叫びたくなるような青春群像劇だったが、今回は話が無理無理過ぎて、いささか置いてきぼり状態に。父の残した借金と精神が病んだ母を抱えてギリギリに生きている兄弟の話で、それでも兄には献身的な恋人やよき友人もいるのだが、とんでもない悲劇に。弟が総合格闘技の選手で試合の場面はかなり演出に力が入っているが、世間の理不尽さを描くにしても設定の強引さはやはり気になる。
まずは力作である。美術セットや特撮もそれなりの大仕掛け。「八犬伝」といえば、いまや世界の真田広之も「里見八犬伝」(83年/深作欣二監督)で〈仁〉の霊玉を持つ犬士を演じていたが、今回の原作は山田風太郎。江戸の戯作者・滝沢馬琴が28年かけて伝奇小説『南総里見八犬伝』を完成させるまでの身辺話をベースに、その都度、いま書き上げた部分の怪奇譚を映像化して進行、途切れ途切れで緊張感には欠けるが一挙両得感も。「八犬伝」に託した思いを口にする役所広司の抑えた演技はさすがのさすが。
「四月になれば彼女は」と同じく、結婚を目前に彼女が消えて男が探すパターンだが、こちらは闇が深そうで惹きつける。奈緒の被虐的な存在感や、終始戸惑いを隠さない藤ヶ谷が良い。ホームパーティの場面は「パラサイト」風で、何かが起きそうな予感を漂わせ、その不穏感は全篇に広がっていく。だが、予感だけでなく、起きるところまで観たかったのが人情だが。婚活アプリを用いた映画が増えてきたが、男女ともに結婚に何を求めているかは省略されてしまう。愚直にそこを描いて欲しい。
基になったYouTubeドラマは未見ながら、本に絡んだ書物に目がないだけに、京都の恵文社などが登場する本作も、終始好意的に眺めていた。過剰に本への愛情を注ぐこともなく、さり気なく語るのが好ましい。贔屓筋である矢柴俊博の軽妙さも良く、痕跡本から始まる旅などエピソードも無理がない。小品の理想的な在り方だ。本を利用して別のものを語ろうとする嫌らしさがないからだろう。本をめぐる旅の映画だけに、移動中に本を読むカットが欲しかったと思うのはないものねだりか。
前作と同じく内山監督が造形する世界には瞠目するが、これでもかと不幸が背負わされ、重苦しい空気が沈殿するので疲弊する。社会や権力への憎悪が希薄なせいか、主人公たちを不幸にさせているのは他ならぬ作者ではないかと思わせる作為性が気にかかる。一方、この窒息しそうな世界を、手綱を締めたま描き切る手腕が突出しているのも認めないわけにはいかない。生と死の境界が不意に越境して画面に出現する瞬間や、終盤の総合格闘技場面の技法も装飾もかなぐり捨てた描写が印象的。
牧野省三に始まり、東映時代劇、さらに「宇宙からのメッセージ」「里見八犬伝」へと深作欣二が翻案した話を、VFX畑の曽利が撮るなら意味があると思えたが、さにあらず。原作同様に滝沢馬琴と八犬伝パートが交錯するのが目新しいが、虚実の世界が侵食し合うわけでもVFXが両者を接合させるわけでもないので、二部構成以上のものを感じず。鶴屋南北の芝居を見るくだりに「忠臣蔵外伝 四谷怪談」を思い、エネルギッシュに映画へと転換させた深作のことばかり思い浮かべてしまう。