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女性の自立が事実上不可能だった時代で、結婚に人生を懸けようとしたアントニーナを責めるのは酷かもしれない。だが一貫して自分の理想のみを追い求め相手と現実を見ようとしない業の深さはしんどい。届いたばかりのピアノを弾くチャイコフスキーの興をぶち壊す行動や、離婚の説得に訪れたルビンシュテインを見送った後の一言にはゾッとさせられる。同性愛・異性愛に拘らず、いつの時代も恋愛や結婚には向き不向きがあり、自分に合った生き方を選択できる自由の大切さを痛感する。
イカサマ祈禱師コンビの詐欺行為がぬるいコントみたいで煮え切らないのに対して、占い師のパク・ジョンミンがケレン味たっぷりの芝居で引き締めている。依頼人として「パラサイト 半地下の家族」の家政婦と夫を演じた二人や、仙女役でBLACKPINKのジスも出演。近年は是枝裕和監督の映画に参加するなど演技派として箔をつけたそうなカン・ドンウォンだが、「チョン・ウチ 時空道士」をはじめとするスピ系のアクションは得意分野で、こういうトンチキな作品に出てしまうのは嫌いじゃない。
「マッド・マックス」的な暴力と狂気に支配されたバイオレンス・アクションが、腐敗した国家権力とそれに癒着した警察組織の政治ドラマと連結し、密猟される象や少数部族を巻き込んだ復讐劇へと展開。まさに銃をカメラに持ち替えてシュートする命懸けの闘いで、撮影を名目にあらゆるリスクを冒す制作現場特有の狂った論理もメタ的に内包。振付師出身であるラーガヴァー演じるギャングのダンスは圧巻で、「イングロリアス・バスターズ」を彷彿とさせるクライマックスも映画愛に満ちている。
音楽界の中でも特に指揮者のポジションにおけるジェンダーアンバランス、移民差別や彼らとの共存など、実話ベースとはいえ訴えるに足る要素が詰め込まれた形。ただしテーマが強固である分、それを語るドラマの作劇や映像表現はやや脆弱で、現実の複雑さをカバーしきれていないように思う。ヒロインはいくつかの困難に直面するも、それなりの努力をすれば報われるのが既定路線となっている。ただ、女性が当たり前に指揮棒を振る姿を写し、それが多くの人の目に触れることには意味がある。
まあ映画は映画ですけど、一応この映画の元ネタではある大変な夫婦関係をやりながら同時進行で夫は世界的な名曲を書いてるのが凄い(その名曲〈白鳥の湖〉をジョン・カサヴェデスの「こわれゆく女」でジーナ・ローランズが踊り狂ってるのも、考えてみると凄い。チャイコフスキー夫婦のこと念頭に曲を選んだのかな)。これは夫が悪いとか妻が悪いとか、才能ある人と結婚してはダメとか、愛なき恋をしてはダメとかそういう話ではない。どうすることもできなかった可哀想な「寂しさ」の話だ。
こういう筋書は大好きなんだが、恐ろしさも笑いもなにもかもが不発でもったいない。漫画の原作で動かないものをCGで動かして実写映画化と言われても困る。主人公に魅力がないのは、物語の中で変化していかないからだ。弟や悪鬼との因縁も、助手がなぜ主人公に命がけでついていくのかも、天女に憑依された占い師も、ヒロインの眼の超能力も材料はいいのに中途半端。ラスボスの悪鬼もチンピラの親分みたい。なによりエロスがどこにも見当たらない。ようするに「神話」になっていない。
血を見ると気絶する男が暗殺者になる。西部劇マニアのヤクザが自分主演の映画を撮れと無茶振りし、撮影方法を何も知らない男は巨匠になりすまして監督しなければならない。かつて聖なる象を殺してしまい村を捨てた男が帰郷して、象を密猟する邪神の如き森の民と悪徳警官との三つ巴の抗争に巻き込まれる。ここまでですでに面白そうな映画3本分のシノプシスが詰め込まれてるのに、最後にインド現代史の闇をあばく政治ドラマになってマジの感動で泣かされるなんて誰が想像しただろうか。
最初の30分、観ているのが本当につらかった。僕は人種差別されたこともなく、男だからという理由で悔しい思いをしたこともないので罪悪感が湧きあがり、主人公を意地悪に嘲笑う白人の金持ちの少年少女たちに激しい共感性(というのもなんだけど)羞恥を感じたからだ。主人公姉妹の人生を祝福したい。もちろん女性には(恋愛以外のことに)執念をもてる人が沢山いる。ただ、世界が変わっても才能もなく運もなく性格も悪い者は結局、差別されちゃうんだよなと映画とは関係ないことも思う。
チャイコフスキーの妻アントニーナは悪妻として知られる。この映画は史実として伝えられる彼女の愚かで無神経な振る舞いを踏まえつつ、一途にチャイコフスキーを愛した情念の女性として描く。そのため熱烈だが、愛されようと身勝手に振る舞う分裂した女性像になっている。ただチャイコフスキーを囲む男性の友人たちのミソジニーが、一人の女性に露骨ないじめを働く結束を作る、ありがちな構図を描き抜いたのは誠実だ。美しい映像でも夫婦両者が不快な143分を見続けるのはしんどい。
カン・ドンウォンは相変わらず美しいのだが、善悪に分かれる霊的な対戦は使い古されたテーマだ。「哭声/コクソン」や「呪詛」といった異形のホラーが登場しているのに、いまさらこういった単純な戦いに引き戻されるのは飽き飽きしてしまう。CGで描く光の線も一昔前のものだ。だが主人公が一見偽者のような祈禱師で、おおよそは人間の行動に現れた心理の痕跡から、持ち込まれた事案を解決する冒頭が面白い。探偵の能力は祈禱と別物なので、そういった頭脳の鋭さも持った主人公は魅力がある。
イーストウッド好きなギャングの親分に、サタジット・レイ門下と偽った警官が近づき暗殺を狙う。このシネフィル的設定は問答無用に惹かれるし、8ミリカメラで撮っていようとリアリズムなど求めない。冷酷な政権側と象牙を狙った密猟の問題なども絡み、複雑だがわかりにくくはない。政治を前にした民間人の無力さという悲劇性も、映画には昔からあったやりきれなさだ。ただ主人公が強面で愛嬌が足りないことや、続篇を匂わせる物語ゆえに本作だけで判断がしきれない惜しさがある。
実話に基づいた映画で、パリに限定したタイトルと少し違い、主人公はパリ郊外に住むアルジェリア移民の少女だ。パリの富裕層が集まる音楽院と、郊外の移民が多い貧困地区という対立構造があり、女性が指揮者を志すことへの性差別も描かれる。そのために主人公が郊外で指揮を執るオーケストラを作る物語で、パリの音楽院にも彼女に共鳴する仲間はおり、移民にも演奏能力はあると明らかにする。ただ善悪をはっきりさせすぎていささか鼻白むし、わかりやすさがスケールをすぼめている。