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モノクロで描かれる夜、メガネの輪郭だけが闇の中で光るさまが印象に残った。一見何が起きているのか摑みにくい映像が内容と強く呼応する。難民の中にもウクライナのように優遇される人々と、肌の色によって冷遇される人々がいるという現実を突きつけられ、今まさにパレスチナに対して起きていることを思い苦しくなった。正義だと思われていたヨーロッパに対しての問題提起がなされていること、それがさまざまな立場の人間による複数の視点によって支えられているところに心を動かされた。
淡々とした時間の流れに身を任せているうちに、他人の人生に乗り込んでいるような感覚になった。カジノのシーンでのお金を入れていく身振りや、部屋でだらだら話している女たち、ヤシの木が燃えているところをずっと見ている時間、印象的な場面がいくつも残る。一つひとつのカットがとても長いけれど、必然を感じられるし、現実の退屈な時間ってこんな感じかも。物語の網目が張り巡らされていなくても、引きのカットばかりでも、静かに破滅的な彼女の日々の実感がここにはあると思えた。
私の知るこの世とは違う論理で動いているような映画。あまりインド映画を観たことがなく、参照もないなかで個人的な視点でしかなく申し訳ないけれど、私が映画に対して苦手だなと思うところが集合していた。アクションは肝心な部分がカット割りで処理されていておもちゃみたいな感じだし、音楽が終始鳴り続けているせいで全体として単調さが否めない。ギャグなのか真剣なのかもわからない。時代背景的に仕方ないのかもしれないけれど、女性がもの扱いされている感じもしんどさがある。
強制収容所のすぐ隣に住む、ナチスの幹部の家族が主人公。とてもグロテスクな設定だが、知らずに関心を払わないというわけではなく、収容所内で何が起きているか理解していてなお、受け入れている家族の様子がおぞましい。塀の中の世界が映されることが一度もないまま、人々の様子や会話、家の中にいても届く音響によって収容所の異常さを描いている。広角レンズで捉えられた家の中や、唐突なネガのような色調のシーン、黒や赤一色の画面で音だけになるシーンなどの映像表現も面白い。
内戦を生き延び、難民としてヨーロッパへ辿り着いた6人のシリア人家族を容赦なく見舞う地獄めぐりのような苛烈なドラマだ。原題は「緑の国境」だが、峻厳なモノクロ映像は数多の難民がポーランドとベラルーシの境界上に張り巡らされた鉄条網で深手を負い、命を失う光景を鮮烈に刻み込む。アンジェイ・ワイダの衣鉢を継ぐホランド監督は難民のみならず、国境警備隊の青年、中年の女性活動家と視点を分散させた語り口によって、単なる告発調に陥らない切迫したリアルさを獲得している。
ニナ・メンケスの新作「ブレインウォッシュ」を見ると“映画における男性の眼差し”を俎上に載せる痛烈なるフェミニストという印象を抱く。だが、ラスベガスで孤高に生きる女性ディーラーの淀んだ日常をとらえた本作は、一見ぶっきらぼうでまったくとりとめがない。極端な長回しやズームによって浮かび上がるのはヒロインの内面ですらない。たとえて言えばゲイリー・ウィノグランドが傑作写真集『女は美しい』で抽出してみせた、荒涼たるアメリカの時代精神が鮮やかに透し彫りされているのだ。
延々と読み終えることのない大河小説を一気読みさせられているような奇妙に倒錯した感覚にとらわれる。一瞬たりとも退屈させてはならぬという至上命題を遵守する語り口にあっけにとられ、ようやく3時間弱で前篇が終了。改めて作り手たちの膨大なるエネルギーに呆然となる。ふと1940年代に栄華をきわめたアレクサンダー・コルダが量産したエキゾチシズム溢れる華麗な歴史絵巻の伝統は、今や歌&ダンス&肉弾戦を繰り広げるボリウッドの大作群にしっかりと転生したのだなと実感する。
アウシュヴィッツに隣接する収容所長ルドルフ・ヘス一家の作庭記のような平穏な日常。妻は“アウシュヴィッツの女王”とうそぶく一方、夫は“荷”と称してユダヤ人が灰と化する総量の胸算用をする。すべてのショットは塀の背後に拡がるおぞましき世界とこちら側の牧歌的な光景を非対称的に際立たせるために機能している。その冷徹な定点観測の手法に瞳が慣れ親しんだ頃合いに突如“現在”が介入してくる衝撃はいかばかりか。ナボコフに心酔したポストモダン作家M・エイミスの原作も読んでみたい。
時は2021年10月のヨーロッパ。22年2月のウクライナ戦争前夜。2014年からのベラルーシ難民はポーランド国境警備隊による非人道的な扱いでベラルーシに押し返され、国境の原生林で約3万人が死んだ。一方、ポーランドが受け入れたウクライナ難民は最初の2週間で約200万人。違いは、前者がベラルーシがヨーロッパ国境を混乱させるべく“人間兵器”として利用した難民であったことであり、中東やアフリカを出自とする彼らの肌の色だった。フィクション映画の力を見せつける名匠ホランドの重要作。
アメリカの異端児ニナ・メンケス、91年の代表作。極私的なアヴァンギャルド・スタイルで知られる女性作家の白眉は、果てしなく続く台詞なしのカジノ場面に表れる。日光を遮断した屋内に響き渡るゲームマシーンの効果音による包囲……あの麻痺感覚と人間疎外をこれほど生々しく伝えた映画もなく、終末後のような砂漠を彷徨う女性ディーラーの無表情と孤立感が言外の説得力をもって迫ってくる。アケルマンと比較できるが、やはりアメリカ、それもユダヤ系のアウトサイダーから生まれた不条理性の映像美学。
原作小説は70年間にもわたる国民的ベストセラーなのだという。タミル語による冒険映画で、ベテラン監督の職人芸で3時間近くは瞬く間に過ぎていく。歌と踊りは勿論、インディ・ジョーンズ的なアクションには、どこまでも陽気なヒーローと、非現実めいた美女が登場。運命の恋あり、友情もあるが、王位継承をめぐる各人の思惑が入り乱れる歴史の物語は複雑。しかし小説が全5巻2200ページに及ぶと知れば、映画の地面に足を着けた監督の腕を感じさせる。実は第一部で、続篇に続くとは知らずに見ていた。
焼却炉の煙、地鳴り、銃声や叫び声の傍らで完璧な生活を築くルドルフ・へスと妻ヘートヴィヒ(比類なきザンドラ・ヒュラー)の無関心と無感覚。アシュケナジム系ユダヤ人の子孫たるグレイザーは迫害と虐殺の歴史を意識しながら、芸術家として憎むべき相手を“人間”として認める作業から始める。非日常と隣接する日常風景の異常を細密に観察し、私たちに彼らとの共通性を気付かせる。壁一枚の隔たりは距離感の問題なのであって、国境や海にも例えられる。誰かの楽園は誰かの地獄の上に築かれるのだ。