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両思いになってはその彼が消え、同じ彼が現れ、「運命の相手」と信じ込んで向日葵のような笑顔で告白しまくる主人公……という、リアリティの全てを無視した超特急の前半部分に「運命」にはピンとこなくなった自分、動悸が止まらない。その異様っぷりの正体は無事に明かされていくが、本作がスゴいのは、10代の突飛な少女のものであろう(漫画から飛び出してきたような)着色料たっぷりのキャンディのように色付けされた世界が最後まで増強され続けることである。なんだこれ!
確かな四季のうつろいを感じさせるライティングに夜の雨の描写に音楽、もちろん、終盤に向けて(前号でのインタビューの言葉を借りるならば)「汚く」なっていく草彅剛はじめ役者陣の演技の、スタイリッシュに映画を支える見事なアンサンブル。終始健気な娘に用意される最終的な場所といい、やや美しくまとまりすぎているような印象の中、クライマックスのアクションシーンからの血飛沫は鮮烈。<正しいこと>の曖昧さに揺れる主人公同様、悪役の複雑な表情ももう少し見たかった。
同時期に鑑賞した他作品にもあったが、他人を好きになることを半ば「決める」、周囲は理解し難い二人だけの倒錯的な関係に身を投じてみるのは現代において一番──本作の台詞を借りるなら頭がおかしい、おかしくなれる、ような──体験であるかもしれないし結構なこと。施設での殺人事件と関係者の愛欲関係という場所から出発し、戦時中の日本軍の残虐さにも話は触れるも深まりはなく、バランスを崩したまま、突如発せられる「世界は美しいか否か」の問いにはひたすら違和感があった。
後味が最悪な(素晴らしい)原作でのキャラクターは日本人男性二人だったが、今回最初に「告白」をするのは韓国人男性に。あのオチがあるにしても、人外生物のような執拗なアクションに「シャイニング」的シーンなどなど、漫画ならば良いが実写だとキツいし、バタバタ動き回るせいで、せっかくの山小屋=密室という舞台も生かされていない。生田斗真とヤン・イクチュンならば、がなったり(「うるせえよ」と本人に言わせてしまっているし!)しなくとも凄みたっぷりだったはず!
松居大悟監督の10年越しの企画ということで、熱量が感じられる作品ではある。しかし、原作の漫画とは設定を変えているものの、ファンタジー的要素のある物語を実写映画にするのはやはり力技で、その力の入りようが軋みを生じさせる。軋みを表現に昇華させる作品もないではないが、この映画は愛情讃歌を正面から描こうとしているだけに軋みは軋みのままだ。新興住宅地らしき家が並ぶ斜面が立ちふさがったり、高台のむこうに町の景色がひろがったりするロケーションは印象的だ。
落語『柳田格之進』を基にして、格之進が浪々の身となった背景に武士同士の確執を盛り込み、時代劇らしい展開をうまく作り出している。全体に、初の時代劇に挑んだ白石和彌監督の意気込みが伝わってくるのだが、ダッチアングルや移動撮影を多用せず、もう少し腰を据えて取り組んでもよかったのではないか。さらに、草彅剛が演じる格之進は、囲碁の打ち方にもその実直な人柄をにじませてみごとであるものの、実直さゆえの悲劇を感じさせる人物造形にまで至っていないのがやや残念だ。
介護療養施設での殺人と強引な捜査があり、男女のインモラルな関係があり、それらが最終的には戦時中の731部隊にまでつながっていくという、深さと広がりのある物語が、ぎくしゃくしながらもなんとか映画に仕立てられている。逆に言うと、ぎくしゃくしているからこそ成り立つ作品なのかもしれない。集落のなかをめぐる水路を生活用水として使い、介護の合間に琵琶湖の夜明けを眺め、その琵琶湖に最後は身を投じるヒロインの佳代が、なんとも不可思議な潤いを画面にもたらしている。
中盤からはホラーの色合いが強くなるが、サスペンスやミステリーの要素も盛り込んであり、山小屋の空間の使い方にも工夫が見てとれ、映画的な感興をそそる仕掛けは充分にある。ただ、おそらく密室劇にすることにこだわったからだろうが、既視感のある状況設定と人間関係があまりにも寸劇的に描かれる結果になってしまった。雪山での登山、山小屋で過ごす夜の時間の経過、そうしたなかで徐々に変化する人間関係、それらが描かれていれば、作品としての味わいが増したかもしれない。
未読だが、原作漫画は強引な展開ながら、荒削りで勢いのある画でねじ伏せてゆくのが魅力ということらしかった。一方本作は、画が粗削りというわけでもなく、また逆に洗練されることで新たな魅力が引き出されるわけでもない。画自体に強い印象がなく、そのため話自体に関心は集中するのだが、そうすると不自然な設定と強引な展開だけが悪目立ちしてくる。本作の場合、漫画の画としての表現をいかにパラフレーズするかによほど留意しなければ。原作ありきはそう簡単ではないという教訓。
古典落語の題目だけあって、話は磨き込まれて堅牢、美術もしっかりした作りで、場面が変わるごとに感心させられる。俳優たちも素晴らしい。ただ、例えば居酒屋の場面で、会話している主人公たちからカメラが後退し、手前の卓の二人を舐めながら回り込んで再び主人公たちに回帰する意味のない長回し、清原が吉原の大門をくぐる場面での妙な画面効果など、小細工が目について五月蠅い。主人公をストイックに作り過ぎていささか堅苦しく、人間としての幅、魅力が感じられないのも難。
731から相模原を経て、名を記すも筆の穢れ杉田某に至る、生産性なき者死すべし論の系譜と、これも731につながる薬害捜査を権力で握りつぶされて精神が歪んだ刑事の部下へのパワハラ、その部下の事件関係者への性強要という権力の負の連鎖。この二つの系譜の接合がいささか強引な印象はあるが、作り手の怒りはひしひしと伝わる。ただ、弱者への卑劣な性強要にしか見えない福士と松本の関係を、生産性から外れるオルタナな愛の形を提示しているとするのはかなり強弁な気がする。
山小屋での密室劇、二人しか登場人物がいないのでこれだけの上映時間になったのではあろうが、しかし掘り下げはすべきだったのでは。取り分け奈緒の人物像は通り一遍のものでしかなく、決定的な難である。この造形の浅さが、どんでん返しによる事件の真相開示を白々しいものにしている。人物造形の難は二人の一方を韓国人にした点にも現れており、韓国人だから日本人に対しコンプレックスを持っているという設定には不快なものを感じるし、そもそも現在もはや成立しないだろう。