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全篇ワンショットで構成された映像マジック。めくるめく撮影のイリュージョン。まさに「蛇が這うような」視線とシームレスな動きを体現したカメラワークは、ロビー・ライアンの天才的な手腕が成し遂げた最高傑作と言っても異存はないだろう。それはリアルであることによる臨場感とはまた別の、計算され尽くされた映像美がもたらす没入感の極み。ユージン・スレイマンのヘアメイクは人体と芸術作品と凶器をほとんど同義にした。長篇第一作目にしてこの境地に到達した監督トーマス・ハーディマンの行く末が恐ろしい。
ジェラルド・バトラーといえばアクション。「300〈スリーハンドレッド〉」(07)で演じたスパルタ王が強烈すぎていまだに引きずってしまう。それほどハマり役だった反面、俳優のイメージが特定のジャンルに直結するのは一長一短。本作では複雑に絡み合うアメリカと現地勢力との関係を反映した、アフガニスタン人通訳との愛憎入り交じる人間ドラマも描かれるが、バトラーのあまりにもマッチョな存在感が、その機微をブルドーザーのように薙ぎ倒している感は否めない。
タイトルがすべてを物語っている潔いほどのネタバレ全開。元軍人にして、たった一人で荒野をサヴァイヴするアアタミは、最小限の武器とその場にあるものや状況を味方につける戦法が、野蛮な「MASTERキートン」といったところ。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(15)よろしく女性陣の反乱あり、「ミッション・インポッシブル」シリーズばりのアクションあり、そのすべてを泥臭さで互換。アアタミが超人すぎて、相手がナチスであることや善悪の区別すらつかなくなってくるのが、強みでもあり弱点でもあり。
子供が行方不明になった、というシチュエーションはたびたび映画に登場し、しばしば親が妄想や虚言を疑われる。 そうした妄想説の裏をかき、SF的な根拠を与え、さらに転調を繰り返す作りは、このジャンルに新たな鉱脈を与えたはず。他人を騙すには自分から。また、主体が母親ではなく父親であることで、母性愛という思い込みの外にある、親子が能動的に愛を構築する描写が可能に。ロドリゲスのスタジオ設備を写し込む形で撮影されたシーンは、人為的に現実を作り出す映画づくりそのもののメタフィクションになっている。
ワンカット(に見せかけた数カットの)長篇映画はすでに一つのジャンル。傑作「ボイリング・ポイント」でも思ったけど、ある職能集団のエグさを描くのに向いてる。「ソフト/クワイエット」でも思ったけどカット割られるより緊張感の中でカメラが寄ってくるほうが役者のテンションが上がるのか顔芸にも向いてる。「バードマン」でも「カメ止め」でもやってた、人の背中を追う場面移動、本作は鮮やかな後頭部と音楽がいい。撮影は超絶技巧。ミステリとしては普通だけど幕の閉じかたがチャーミング。
単純に西側を正義とする国際紛争アクション娯楽大作かと思いきや、頭を空っぽにして楽しんではいられないハードさだった。死体とかをリアルに描いて「戦争はよくないです」ってあたりまえのことだけ言って終わる予定調和の映画でもなかった。もうちょっと複雑なことを考えざるをえなくなる映画だった。主人公は生き延びる技術は超人的だけどヒーローではなく、冒険の依存症患者だった。作中で「神よ、死ぬ者も生き残る者も赦したまえ」と、ある人がつぶやいた。まったくだよ、と思った。
SISU道とは、私は死なないと決めることだと見つけたり。もっと徹底的にやってほしかった場面とか主人公が戦闘訓練うけてないただの人のほうが更に荒唐無稽でよかったのではとか、いくつか疑問はあったんだけど終わったら忘れちゃった。むしろ終わってから、「あきらめない」と心に決めるとはどういう精神状態なのかとか、悪役のほうが生に執着していたけど「執着する」と「心に決める」は何が違うのかとか、哲学的な問いで頭がいっぱいになった。鑑賞後に哲学的になれる映画は、いい映画。
娘がらみのトラウマで心を病んだ肉体派はみだし刑事vs超能力で人の認知と「物語」を操る卑劣な強敵のバトルかと思いきや、話の根底がひっくり返る。途中からちがう映画になっちゃう系は嫌いじゃないけど、最後のドンデン返しを謎ときみたいにセリフで説明されて困った。撮影期間が足りなくなったのかな? 全篇がロドリゲス監督の、ハリウッド映画への風刺なのかもと解釈したら腑にはおちたが、ラストで主人公を救うものもまた映画が人心を支配して世に悪影響を与えるド定番の「虚構」かと。
ヘアコンテスト会場で、頭皮を剝がされたカリスマ美容師の遺体が発見される。しかし意図的に被害者は一度も写されない。カメラはライバル美容師やモデルたちの噂話に居合わせ、誰かの行動と共に建物を縦横無尽に動いていく。全篇(疑似)長回しで感心するが、中だるみや遅々とした展開は避け難く、意欲の先走りを感じる。まるで初期アルモドバルのような、全俳優による群舞はキッチュでグラマラスだし、意外なオチも悪くない。ただ特に佳境以降の演出が衒いすぎて、犯人探しに戸惑う観客を生むだろう。
中東の砂漠を群雄割拠というより、魑魅魍魎が生きながら互いを喰い合っているような込み入った景色。CIA工作員のG・バトラーが、イランの核開発施設を破壊したことが漏洩して追われる身となり、アフガニスタン南部のカンダハルにあるCIA基地へ逃亡する。しかしイランに加えタリバン、パキスタンなど、政治に疎いとパッと見、どの集団か理解しづらい四つ巴の戦いとなり、もはや何がなんだか。ただクールな演出だし、夜間の戦闘で暗視カメラと発砲炎しか映らない、真っ暗闇な映像は素晴らしい。
少し古臭い印象を受けてしまった。ゼロ年代によくあった、ロバート・ロドリゲスやザック・スナイダーの世界観や映像に非常に似ている。物語はないに等しく、箇条書きで「死なない男が次々と襲ってくる奴らを返り討ちにする」。これは箇条書きなら良いにしても、脚本とは呼べないので、殺され方に創意工夫を凝らしていても飽きてくる。銃を抱えた女たちが横並びで歩いてくる演出も、じつは実戦的でないあたりが華を持たせた域を出ない。発想は面白そうでも、座持ちしない映画というのもあるのだ。
架空の世界を創造するという意味では、創作者らは映画内映画的な高揚があったかもしれない。途中までに登場した装置が集合したスタジオのような美術も、そういったイメージに沿わしているのだろう。だが映画は現実を夢見させるものだ。最初から出鱈目な虚構も甚だしい本作の世界観は、砂上の楼閣にすぎない。真実に近づいてからの色褪せたセットはなんと冴えないことか。揃いの赤いジャケットも物真似歌合戦の司会みたいでダサい。メインの人物の生い立ちもすぐに割り出せるだろうに、些末も脆弱。