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余計な説明はほとんどなく、膨大なアーカイブ映像と、関係者への現在のインタビューとイメージ映像が、編集によって緻密に編み上げられたドキュメンタリー作品。過去と現在を同じモチーフで繋いでいくことで、軽やかに時間を行き来するような編集が印象的だった。マルソーに影響を受けた人々が、皆自分自身のことを語るのが興味深い。偉人の功績を見せるというより、マルソーというひとりの人間の存在が、他者の人生にどのように影響を与え、息づいているのかを描く視点に共感した。
ゴダールが持つたくさんの顔たちを、まとめたり結論づけることなく、バラバラなまま提示しているのがよかった。ハンナ・シグラやナタリー・バイなどの大女優たちが、昔ゴダールと過ごした時間を、ついこの間のことのよう話している姿に感動する。親友のように分かり合えた女優たちと、そうじゃない人たちがいるというのも、ゴダールの闘争のひとつだったのかもしれない。偉業や孤独をヒロイックに描いているところがやや気になるが、ゴダールの膨大な活動を振り返るよい機会になった。
どこにいても居心地の悪さを感じている中年女性が推し活で輝くというのが、とても現代的な題材。子どもがいる女性が何か活動しようとすると、家族の理解がないと難しいとか、社会的地位がないと功績を誰かに取られてしまうとか、リアルな描写にハッとする瞬間がたくさんあった。でも最終的に、家族が一番の応援隊になってくれたり、彼女の功績が認められたりするのは、ありきたりな展開だとしても嬉しくなる。主人公を演じたサリー・ホーキンスの、ひたむきさとズレ感が魅力的だった。
ヒッチコック自身によるナレーションという設定(実際は監督が書いて俳優が読んでいる)で進んでいく、異色のドキュメンタリー作品。テーマごとに分類し、いくつもの作品の切り抜きを並べて語る方法は、ヒッチコック映画の見方を更新してくれる感覚があった。一方で、もう今はいない人の言葉を勝手に想像し語ることは、仕掛けとしては面白くはあるが、若干の違和感も拭えない。ヒッチコックがこんなことを言うのだろうか?と思ってしまうような、作品と言葉の距離感に時々疲労を感じた。
豊饒なアーカイブ映像によってマルセル・マルソーを核に三代にわたるパフォーミング・アーティスト一家の肖像を追求する大枠があり、一方、聴覚障害者である監督の父親の<語り>が間歇的に挿入されることで、映画は極大・極小という二つの焦点をもつ楕円的なふくらみをもつことになった。アウシュヴィッツで父を失い、レジスタンスに身を投じた原体験を背負うユダヤ人マルソーが「沈黙とは魂が中空で静止している状態だ」と呟くとき、その裸形の肉体言語は一層痛切なるリアリティを帯びる。
ゴダールの矛盾に満ちた生涯を簡潔に描いた秀逸なドキュメンタリーだ。盟友トリュフォーは60年代の神格化されたゴダールをビートルズに準えるが、思春期からすでに家族に見棄てられた存在であった二人は極めて似ている。だが理不尽な〈女性嫌悪〉を指摘するM・メリル、プロポーズされて断ると二度と口を利かなかったと述懐するM・ヴラディ。大半の主演女優と親密な関係をもったトリュフォーとは対照的である。改めて神話の淵源である60年代ゴダールに思いを馳せてみたくなる。
後世の歴史家とシェイクスピアが流布させた醜怪な極悪人というリチャード三世のイメージを刷新し、遺骨まで発掘して名誉回復を図った女性の実話の映画化。ミステリを読むような面白さに嘆息しながら、まさにこれはジョセフィン・テイの歴史ミステリの名作『時の娘』の実録版なのだと得心がいった。監督のS・フリアーズは英国人らしい律義さ、控えめなタッチで肖像画から清廉なリチャード像を推理し、幻視する王との対話によって艱難辛苦を克服する夢想家のヒロインを魅力的に造型している。
痛快無比なヒッチコック映画の魅力を〈逃避〉から〈高さ〉に至る6章に分けて技法と主題の両面から解析しようとする野心作だが意外性に乏しい。名著『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』ほかを熟読したこちらがすれっからしになっているせいか。たとえば〈欲望〉ならもっと相応しい作品があるはずと半畳を入れたくなる。ただ引用される無声時代の作品は豊潤な鉱脈で、「リング」にはジャン・ルノワールの「ピクニック」の祖型のような官能的なブランコのシーンがあり、深く動揺してしまった。
マルセル・マルソーのドキュメンタリー。ポーランドとウクライナにルーツをもつユダヤ人で、ナチ占領下のフランスではレジスタンスに身を投じてユダヤの子どもたちを救ったが、彼の父はアウシュヴィッツで犠牲となった。パントマイムは笑いの中に哀しみを、哀しみの中に笑いを交錯させる“沈黙の芸術”。彼のマイムは、生きた時代の痛みを優しさに変える意志が鬼気迫る重みをもってくるが、これを普遍のものにした芸術性が衰えることはない。そしてこれは雄弁・多弁の跋扈する現代に受け継ごうとする人々の記録でもあるのだ。
“ゴダール伝説”を強化するのとも偶像を壊すのとも異なるドキュメンタリー映画。描かれるのは「人間ゴダール」。初期作に感じたあの遊び心、偏屈ものの人懐こさといったものを思い出させてくれた。ゴダールといえば孤高の映像美だが、同じくらい発言に影響力があり、心酔者は軽く触れただけで酔っぱらってしまう。ぼくにも忘れられない「発言」があって、いま思い出すのは米誌『ローリングストーン』に自らの「伝説」について語った言葉――「ぼくの伝説は、伝説と戦う人物、という伝説だ!」
主演のサリー・ホーキンスと共演・共同脚本のスティーヴ・クーガン――まずこの両実力派が魅力的である。80年代に注目された鬼才フリアーズは近作も快調そのもの。この新作と同様、驚きの実話をテレビドラマ化した『クイズ 100万ポンドを夢見た男』(20)と『英国スキャンダル セックスと陰謀のソープ事件』(18)の卓越した話術が十分に知られておらず歯痒いが、今年85歳の才腕は冴えている。重い社会派にもアート映画にもせず、巧みな語り口でいきいきした“人生半ばの冒険譚”に仕立てていた。
マーク・カズンズを知ったのは壮大な映画史シリーズ「ストーリー・オブ・フィルム」で、世界の映画史を個人的な観点から横断する長大な作業に目の回る想いがした。新作も平均的なドキュメンタリーではない。ここでの企ては、今は亡き20世紀最大の監督の一人、ヒッチコックを蘇らせて、「デジタルの洗練時代」を生きる観客に「本物の洗練とは何か」を問いかけさせること。トリッキーな構成で、絵画的でも写真的でもない映画的な美を追求した天才の「ピュアシネマ」をひもとき、再考を促すのだ。