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新生マーヴルの出発点である61年創刊のコミックブック『ファンタスティック・フォー』(以下FF)と共に私の学生時代は始まった。あざやかな活劇、悪役たちとユーモア。残念ながらこの映画にその味はない。ベン・グリムが一回だけ「It’s clobbering time!」(やったるでえ!)と名セリフを言うが笑えない。これまで成功したFF映画はない。どうもFFだけはマーヴルの映画ユニバースに合わないようだ。さすがのスタン・リーもカメオ出演できないでいる。ケイト・マーラは好演なのだが。
アメリカの青年がガラクタ市で古ぼけた写真の束を見つける。亡くなった無名の女性が撮ったものだった。彼はぼう大な量のネガなどを時間かけて収集、それらは世界写真芸術史を飾るほどの作品と評価されていく。これは人間とそのアートについて、観る者を深い想像と思索の旅へといざなうすばらしい記録映画だ。青年は女性のルーツを探り、ニューヨークからフランスのいなかまで足跡をたどる。彼女が各地の人びとをとらえた白黒写真のなんという美しさ。彼らは生きて語りかける。
胸が大きく肩はばのあるケイト・ウィンスレットは、17世紀フランスの宮廷社会で、嫉妬、妨害、権力闘争などの、「ちょっとした混乱」にもめげず、ヴェルサイユ造園の仕事を果たしていく姿を、存在感をもって見事に演じていく。女性軽視の環境で、老女たちのたまり湯や秘かな女性ネットワークの働きなど、たぶん初めて描かれており、興味深い。野外舞踏場のながめは目に楽しく、宮廷社会の影やしくみもユーモラスで皮肉な会話のやりとりで示される。陽光が気持ちよさそう。
暗黒街から足を洗った男が業界の大物の怒りを買って狙われるという映画は、同じニューヨークが舞台の「ラン・オールナイト」など珍しくない。だがキアヌ・リーブスのこの新作は、あくまでNY市内のアクションにこだわることで緊張を生み、暗黒街ご用達の専用ホテルがあるなどのとぼけた設定や、業界のさまざまな掟がユーモラスで笑わせる。ひげ面のキアヌの動きもよく、無駄のないきびきびしたストーリー展開は気持がいい。長すぎないのも良く、続篇が出来るのも当然だろう。
すでにシリーズにもなっているマーベルコミックの人気映画が、完全リニューアルして登場。青春群像の色合いも織り込み、アクシデントから肉体に劇的な変化を起こした若者たちの、悪に向かう壮絶な闘いが描かれる。と言っても、10代後半くらいの役を演じる俳優陣はみないい年で、フレッシュ感はそこそこ。クライマックスの対戦はえらいカオスな迫力があるし、ダークな世界観も興味深いけど中盤は退屈。ジェイミー・ベルは、ザ・シングの姿のままでいいのだろうか。勿体ない。
家政婦が日々撮り続けていたストリート写真。誰に見せることもなく、独自の視点で世界を記録した15万枚以上におよぶ写真が、彼女の死後まもなく、若い歴史研究家(本作の監督)によって偶然発見された。とにかくヴィヴィアン・マイヤーという人の存在も作品も、20世紀の秘密を抱え込んでいるようで、危険な魅力いっぱい。彼女の怪物級の才能をしぶとく世の中に還元する監督もすごい。時空を超えた縁の不思議を感じさせると共に、アートが人類に与える価値を改めて考えさせてくれる。
17世紀フランス。ヴェルサイユ庭園〈舞踏の間〉の完成を委ねられた女性庭園家が、宮廷の人々を魅了しながら信頼を獲得していく。このヒロイン、サビーヌ・ド・バラは架空の人物だが、女性の社会進出の物語なのだとしたら、焦点がぼやけて説得力に欠ける。演じるケイト・ウィンスレットは、「タイタニック」並みにパワフルなのに。ただ、彼女の人としての円熟味と、師匠役のマティアス・スーナールツの柔らかな男っぽさが妙に官能的で、大人のラヴストーリーとして見応えあり。
いまなおどこに向かっているかわからないキアヌ・リーブス。50歳を過ぎても相変わらずカッコよく、かなりハードなアクションをこなしている。この映画は、いきなり物語の中盤から始まっているような脚本で、キアヌ演じる殺し屋が、一度抜けた組織への復讐をひたすらヴァイオレントに描くことに腐心する。ある種のアクション美学に貫かれていて、裏社会ものの残酷さ全開だが、特に新しさがないのは残念。もっとキアヌの内面や葛藤を丁寧に描くシーンがあってもよかったのではないか。
お話の前提部分を語り終えた時点ですでに上映時間の半分以上を超過しており、全体の構成に難がある(難しかない)。四人の活躍は「後日談」ていどの扱いで、もはや観客は何を見に来たのかわからない。「クロニクル」で名を馳せた俊英監督はたいへん素直にこのお話を演出しており、ゴム人間や岩男たちの本来的なオカルトぶりが正直に画面にあらわれていて、ヒーローものというよりは正しくカルト映画に仕上がっている。マイルズ・テラーはひどい目にあうのがとてもよく似合う。
写真家に負けずこの映画の作者も相当な偏執狂とみえるが、好事家同士の時代を超えた幸福な出会いは、ウジェーヌ・アジェと、かれの作品を知らしめたベレニス・アボットの挿話を想起させる。ヴィヴィアンを知るだれもが昨日のことのように彼女を語り、遺された写真が次つぎに息づいてゆくその官能は、まるで写真の可能性そのものにふれるようである。写真家が写真によって東海岸の街路とその日常を発見したように、このフィルムは映画によってヴィヴィアン・マイヤーを発見する。
お話はルイ十四世の御代のフランスが舞台なのだけれど、アラン・リックマンにケイト・ウィンスレットというイギリス映画の財産で撮られているこの作品には、むしろ英国王室の物語を見る思いである(せりふが英語のせいもある)。演技合戦はみごとだけれど、きまじめな展開が型にはまっているのがもったいない。「小さな混沌」が原題ながら、いささかカオスが足りなかったようである。フランス人が庭園を撮れば、「去年マリエンバートで」のような巨大な混沌になってしまうのだけれど。
犬顔のキアヌ・リーブスが、犬への同志愛をつらぬく作品である(猫ではいけない)。「ジョン」という犬のような名まえをもった彼はじつに犬そのものなのであり、たまたま銃の扱いがうまかったり背広が似合ったりするだけだ。見せ場のガンアクションがなんだかこなれない感じがするけれども、大作ぶらないこの映画の単純さはたいへん好ましい。銃撃戦のはてに雨夜の肉弾戦へともつれこむ定番(?)の展開も作品に合っている。清掃業者のプロフェッショナルな仕事ぶりがよかった。