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この手の魔女修行&学園ものは、日本のテレビではハリポタ人気に関わりなく人気を博していたわけで、いかにも手堅い作り。ただし魔女のエンターテイナーにあこがれて留学、という設定が弱い。別に大映テレビほどドロドロしてなくてもいいが、これって要するに芸能人高校ではないか。堀○とか明大○野とか。物語は地元住民とのふれあい(ケンカ含めて)がテーマになってるのが面白く、生徒のキャラも上々。でも一見頼りなさそうで実は一番しっかりしてる先生が最もよく出来たキャラ。
懐かしい! と感激するのはまだ早い。これは例のテレビアニメの劇場版じゃない。主題歌も違う。原作はもちろん一緒。そういう情報を念頭にご覧下さい。フルCGアニメ独特の質感、私は苦手なんだが物語が良く、水辺の葬送場面とか万全。アメリカ映画みたい。水の揺れとかはCGじゃないと描けないしね。いずれにせよ堂々たる戦争映画で、味方の中に敗北主義者とかちゃんと現れるのも良い。悪役イタチのボスの憎々しさも。ただ出来れば悪役の側にきちんとしたいきさつが欲しかった。
イッセー氏が引退した校長先生で「いかにも」な感じ。電話の声しか聞こえないが教え子らしい書籍編集者とか実に気分悪いヤツで、先生を巡る環境は本来最悪なわけだが、亡き妻の可愛がっていた半ノラがいなくなり、地域住民と関わりを持つことで危機を脱する、という構図。ネタバレなので書けませんが色紙の熟語四文字の件がバカに可笑しい。地域ネコ問題に関してはこのようにコミュニティで保護する動きが盛んになってきて、あるべき理想像を提示。先生を叱る嶋田久作が効いている。
今『川口浩探検隊』とぱっと言われてぴんと来る人がどれだけいるだろうか。企画自体にその点への戦略がないので、観客はこれをどう見たらいいのか分からない。というか普通に見れば、これは単にテレビ局と広告代理店の自己正当化にしかなっていないわけで、どうしてそういうものを一般人が見なきゃならないのか。一生懸命なので悪口を書きたくないが、これじゃ藤原竜也がかわいそうになってしまう。反政府ゲリラの扱いも良くない。どうせなら十五分ごとにCMを入れたら良かったのに。
〝ハリー・ポッター〟が学ぶ魔法学校の、姉妹校を思わす魔女育成学校の話だが、キャラが多彩で会話も賑やか、絵も丁寧でよく動き、イケイケ、魔女のタマゴたち。作者たちが、キャラの造型ほか、自分たちも楽しんで作っているのが伝わってくる。いじめや仲間はずれといった学校ものにありがちなエピソードがないのもいい。けれどもこの魔女学校、具体的に何を教えているの? 人騒がせ少女アッコとその仲間たちの弾けた行動ばかりが描かれ、カワユイけれど、いま一つもの足りない。
「進撃の巨人」のCG技術に目を見張ったばかりだが、この「ガンバ」の3D映像も世界レベルで素晴しい。そして小ネズミ・ガンバとその仲間たちの大冒険。原作の児童文学も、テレビアニメ&ミュージカルとも全く無縁だったせいか、観ている気分はディズニー・アニメ等の新作を観ているのと同じ。製作総指揮に米のプロデューサーが加わっていることも大きいのだろうが。ネズミたちのキャラにさりげなく日本テイストが入っているのも愉快で、ホロリとさせるエピソードや笑いも上等だ。
企画に困ったら猫ものがあるさ。ということでもないのだろうが、タイトルやストーリーに猫が加わっただけで、それなりにドラマがふくらむようで、本作もそれに近い。行方不明となった地域猫を巡るヒューマン・コメディーで、地域猫とは積極的に自分で飼う気はないが、各人が勝手な名前を付けて時々エサを与えている馴染みの野良猫のこと。主人公である元校長の独居老人=イッセー尾形自身が、気難しく誰にも懐かない猫型人間ふうなのがミソか。伊豆・河津のロケが効果的。
テレビ・ドキュの一行の軽佻浮薄な言動と、視聴者(観客)をバカにしきったようなヤラセの探検映像に、思わず心のチャンネルを切りたくなった。しかも画面は、森と川とデコボコ道だけというチープさ。台詞では未開地云々、奇妙な生物がどうのと大袈裟だが。が当初は一行から浮きまくりのシリアス・キャラ藤原竜也の真剣さが少しずつクルーを動かし、そうか、前半のくだらなさは後半の〝本気〟を見せるための、ヤラセのヤラセだったのね。いや、そもそも作品自体が超ヤラセ!!
前作と新作が同時上映なので未見だった前作も見せてもらったが、30分に満たない尺で魔女っ子もののパターンを踏まえつつ、地下から塔へと上へ下への活劇ぶりに瞠目させられた。一方、新作はヒロインの愛すべきワガママの度が過ぎて押しつけがましくなってしまい、ワザと混迷をもたらすために振舞っているようにさえ見える。閉じられた学校内を舞台にした王道の物語の前作と違い、舞台が広がり派手に展開する分、収集がつかなくなり、肝心のヒロインと同級生たちとの関係も手薄に。
原作とキャラクターの設定を改悪しない限りは悪くなりようがない名作だけに、「七人の侍」よろしく身分の異なる強者に立ち向かう物語は新味がなくとも見入ってしまう。だが、牧歌的なTVアニメ版に愛着がある身としては3DCGの質感になじめず。仲間が死のうがお構いなしのガンバの直情的な熱血漢ぶりが悪目立ち。TV版の野沢雅子を上手く配している点は良いが、倍賞千恵子にオザケンを歌わせたり、過去の遺産を〈コンテンツ〉の名の下に十把一絡げにして作った感が拭えない。
主役を演じる時のイッセー尾形には要注意だ。よほど戦略を練った演出で当たらないと他の役者とアンサンブルが取れない。作りこまれた〈老人役〉を監督がどう生かし、壊すかに映画の成否が決まる。結果としてイッセーのリズムに終始引きずられた印象。猫を可愛く撮れば事足りると思っているような映画と違い、主人公と猫の無愛想な関係や舞台となる町が味わい深いだけに惜しい。同じ迷い猫探しの「まあだだよ」で松村達雄のセリフ回しのクセを監督が抜いてから撮っていたことを思う。
パロディがその元になるものを超えるだけのボルテージを持っていないと成立しないのは自明のことながら、本作でそれを実践しているのは藤原竜也だけ。オリジナルの『探検隊シリーズ』が既に裏側が透けて見える笑いの対象になっていただけに、それをパロディにするという極めて困難な作業に向き合った様子が見受けられない。劇中のカメラマンが撮った映像は中途半端に使うだけで、大部分を占めるフツーに撮られた映像を、せめてメイキングとして撮ったとか仕掛けが欲しかったが。