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実話ベースのフェミサイド告発映画としての重要性もさることながら、イランの映画、社会におけるタブーを徹底的に盛り込んだハリウッド的なジャンル映画として仕上げたことで、極めて斬新な一本となっている。有害な男性性に支配された犯人の被害者性にも注目した演出と、微細な表情の変化が恐ろしいホアキン・フェニックスを思わせるメフディ・バジェスタニの怪演が、殉死しそびれた帰還兵サイードを怪物ではなく血肉を備えた人物像へと昇華させ、より複雑で厭な傑作を誕生させた。
貧困や家族・親戚らの偏見といった要素を交えながらも、ハネケの弟子とは思えないストレートな恋愛映画の要素をもあわせ持つ物語、主人公の多彩な衣裳などは決して悪くないのだが、とにかく撮影と演技が冴えない。やや引いた位置のカメラが正面から人物を画面中央に捉える、単調なワンシーンワンカットの連続はメリハリに欠け、長回しの利点を生かすような感情の高まりがシーン内の演出や俳優の演技によって十分に表現されている箇所も皆無。橋口亮輔の爪の垢を煎じて飲んでほしい。
厳しい社会のリアリティを追求するのか、おとぎ話のような性善説を強調するのか。あまりに中途半端な設定と、家族への自己犠牲や奉仕の精神を過剰に強調する脚本には首を傾げざるを得ない。また、家族がホームレスとなった原因として、申し訳程度に父親が過去に騙された経験を示唆することは、そもそもなぜ彼が働けないかの説明としても説得力に欠けるし、周縁化された人々の苦難に寄り添うどころか、単に可哀想な被害者として記号的に消費しようとする態度の現れでしかない。
トランプ大統領選出間近のテキサスを舞台に、ホワイト・トラッシュの現在をリアルに切り取ったドキュメントの要素を持ちつつも、登場人物たちの愚かさや欲望をどこか突き放しながら決して否定もしない絶妙な距離感で捉えることで、あたかも「ブギーナイツ」を受け継ぐかのような、優等生的な社会派映画にはない広がりを獲得できている。また、彼らの空虚さともシンクロする空漠としたテキサスの気候や空気感を16ミリフィルムとシネスコで捉えようとする戦略も見事にハマっている。
16人もの娼婦を殺害した連続殺人犯と、犯人を追う女性ジャーナリストという個人を通して、女性蔑視が蔓延する宗教や社会の闇を描きだす。しかし、すでに私たちは、社会に問題があることなど十分に承知だ。だから本作も、闇を暴き出す気など、さらさらないようだ。当然のように問題があり、闇がある。暴かれることなど、どうということもないあっけらかんとした闇の存在。それらとどう対決していくかが、現代のクライム・サスペンスには問われているのかもしれない。
異性愛が前提の旧態依然とした家族の在り方や結婚観がいまだに根強く残る社会の中で、男娼として生きる人々の物語を描くことは非常に意義深い。本作はそんな物語を過度にセンセーショナルに煽ることもなく、静かにただしっかりとした痛みを伴いながら映し出している。皮肉なのは、家族や社会から閉め出されてもなお、彼ら彼女らが求めるものは家族であるということだ。そこで見出されるのは、家族的な価値観の解体か、再構成か。決定的な結論を出せぬまま、映画は終わる。
犯罪者や加害者は、より広い視点で見ると、より大きな悪事の被害者でもあるという構図は、それ自体特に創造的な視点ではないにしても、十分にわかる。しかし、その加害者でもあり被害者でもある、というバランスの調整がうまくいっておらず、しばしばキャラクターが豹変し、映画を壊してしまっている印象。いままでは軽いコメディタッチの様相だったのが、急に夫が発狂して暴れ回り観客を置いてけぼりにするシーンなどは、そのバランスの悪さが端的に現れているように見えた。
一見なにも起きないような、地味で下らないお話でも映画は面白くなることは、みんな知っている。そうは知っていても、なにも起きないようなお話で映画を撮る人はなかなかいない。だから、それだけでもうその映画はすごいと思う。そんな限られた退屈なお話を撮ってしまうすごい人は、退屈であることそのものを撮る。なるほど、その手はあるな、と思う。それらに比べて本作はすごい。退屈でくだらないお話を、めちゃくちゃ楽しそうに撮っている。その手があるのか。驚いた。
主題は共通するが「ボーダー 二つの世界」とは手触りが異なるのは、事実に基づいているゆえか。娼婦ばかりを狙う連続殺人を、事件を追う女性記者の姿と共に犯人を明かした上で描いてゆく中盤までの流れも非常にスリリングで興味深い。が、この映画の真の怖ろしさはその先。聖地における娼婦の殺害を“街の浄化”とし、神に捧げる善行であるとする狂った正義や信仰と、家族含めそこに賛同する特殊かつ強烈な価値観に言葉を失った。いまだ消せない差別の根深さと理不尽を改めて痛感。
「ブエノスアイレス」や「スプリング・フィーバー」にも連なる、同性愛を基軸とした孤独と彷徨の物語。全篇を覆う倦怠と虚無の匂い、田舎の慣習や古い倫理観に押しつぶされ、壁に阻まれる閉塞感が、端正で美しい画の内に映し出されてゆく。「あの頃、君を追いかけた」とは正反対の静の魅力を見せるクー・チェンドンの物憂げな佇まいも、いい。複雑に絡まった人間関係がもたらす重い空気をひと時忘れ、刹那の愉楽に浸り踊り狂うラストのフラッシュバックに、幾重もの感情が込み上げた。
明らかに「万引き家族」+「パラサイト」路線を狙ったと思われるが、描かれる貧困から社会的背景や現代の抱える病理はほぼ汲み取れなかった。なぜ父親は働かないのか。なぜ無計画に子供を増やし、妻子に路上生活を余儀なくさせるのか。その理由が最後までわからない。それでは寸借詐欺も笑い飛ばせず、深刻な泣きの演技に涙することもできない。演出以前に、思わせぶりな空気のみで乗り切ろうとした脚本の問題か。子役二人の頑張りと、新たな一面を見せたラ・ミランがもったいない。
フロリダの次の舞台は、並んだ工場が煙を吐き出すテキサスの田舎町。ショーン・ベイカーは今回もやはり、どん底暮らしの中で日々あがく、どこか滑稽で自分勝手で、なのに憎めぬリアルな人間を活写する。スッカラカンで故郷に戻ってきた元ポルノスターが仕事を求めて、だだっぴろい道をふらふらと自転車で駆け抜けてゆくさまは、まったく環境が違うとはいえ山下敦弘監督の「ばかのハコ船」を思い起こさせた。SNSや街中で新人を発掘することで知られる監督独自のキャストがまた絶妙。