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一点突破全面展開。優れた物語は徹底的に個を描くことで、その周辺、社会までも描く。ステージ4の舌がんを患った主人公を追うことで本作はこの社会からこぼれ落ちているものを描く。医療費制度と介護保険の谷間で、病気で経済的に困窮する15〜39歳をAYA世代と呼ぶなんて知らなかった。NPO任せでいいはずはない。絶対に死では泣かせないという強い意志。難病モノをやるすべての人は絶対に観るべき。坂本龍一ではないが、芸術は長く、人生は短い。ちゃんと生きた証しがここにある。
長い。とにかく長い。描写の一つ一つが全体にどう寄与しているか分からない。無駄に見える描写が最後まで観ると無駄ではなかったというのが本来のあり方のはず。しかし霊が見えるという設定を含め、すべて分からない。エブエブはちゃんと分かったのに。風呂敷の広げ方は同じなのに。役者が誰一人として魅力的に見えない。鍵であるはずの画も弱い。音も貧弱。この手の映画にはこの手の映画のやり方があるはず。脚本では成立していたのか。映画を早送りで観る人の気持ちがわかった。
喋ることで相手を傷つけたくない。だからぬいぐるみと話すと主人公は語る。何かを発することは人を傷つけることだと覚悟して本欄を書いている身としては、それって自分が傷つきたくないだけじゃんと思わなくもない。しかしそんな僕にもこの映画は響く。傷つきたくないと思いながらも登場人物は傷つく。「健全に病んでいる」(©金子修介)ではなく、これこそ病んだ現代の健全なんじゃないか。ラスト、ぬいぐるみと喋らないと言う新谷ゆづみに震えた。冷めた客観視。したたかで侮れない。
五輪会場の建設現場で働く売れない役者の苦闘記。コロナでさらに狂った社会を底辺から撃つ。不勉強で全く知らなかった役者さんがいい。彼らとオーディションで出会って、果たして選べるかと自分に問うた。だから選ばれるのなんて待たなくていい。どうせ大した映画じゃないんだから。貴方たちが作った映画の方がどれだけ素晴らしいか。若い人が作る映画よりどれだけ射程が長く広いか、現代を映しているか。青臭い主張、いいじゃないか。映画を観た。映画俳優を見た。また作って下さい。
難病ものでありながら、お涙頂戴ではない。がんと闘う姿をいたずらに称揚することも、悲劇を強調することもしない。ただひたすら介護する側と介護される側がさまざまな局面で具体的に何を選択し、どう行動したかを追い、それぞれの生きざまに冷徹に迫る。生きていく術としてのケアを感傷抜きに見つめる。そうすることで、生と死がリアルに浮かび上がる。ナレーションを排し、すべてを登場人物に語らせるスタイルも手伝って、映画としての強度が高い。登場人物がみな愛おしくなる。
そこに思いを残す人の姿や、強く思っている人の姿を透視する能力をもつ主人公(坂口健太郎)が、自身に起因する幻視に悩まされる。自分探しという主題はこの監督の前作「ひとりぼっちじゃない」から一貫しているし、視覚的イメージが物語を転がしていく点も共通する。幻覚が実際に画面に現れるという点で、この作品ははっきりマジックリアリズムといえるし、監督の資質はそこらにあるのだろう。現実と幻想が混在するふわふわした世界に、市川実日子が重力を与えている。
題名通りの映画で、登場人物はみな傷つきやすく、ぬいぐるみとしゃべることでなんとか生きている。それを極端なキャラクターではなく、どこにでもいるような自然な人物として描き出したところに好感をもった。男らしさや女らしさという観念になじめない七森にしても、七森とは仲良くなれたのに引きこもってしまう麦戸にしても。彼と彼女にのしかかる社会的抑圧を声高に告発するのでなく、無言でそっと寄り添う。そういう表現に映画は向いていることをこの監督は知っている。
東京五輪とコロナ禍の狂騒の中、時代の流れに違和感を覚える50〜60代の男たちのふつふつとした怒りが伝わってくる自主映画。五輪施設の建設現場で働きながら、ささやかな役者の仕事を続けてきたという佐々木和也の実感が滲む。誰もが社会の目を忖度するばかりで、すぐ揚げ足をとりたがる。面倒なことは弱者に押し付けて、自分はわかっていると思い込む。この世代の怒りはなかなか商品にならない。予算がないのは一目瞭然だが、作り手の思いの強さがリアリティとなっている。
看護師のゆずなさんの、末期がんを患い逆転した立場から実情を自身の言葉で伝えることで、社会貢献を志す意思の強靭さに感服。病と率直に向き合うその姿を通し、経済的な助成制度のほぼない若いがん患者の苦境や、彼女の救世主となるNPO法人理事長の谷口さんの息子さんら、高次脳機能障害と闘うひとや家族の言い知れぬ想いも、ひしひしと伝わる。スヌーピー好きな可愛らしいカップルの、周囲を否応なく突き動かす類まれな人間力が生んだ、悲しくも温かな余韻に包まれる良作。
本題に入る前のやたらと長い前振りが、結局は伏線といえるほどの機能も果たさず終わる徒労感。スピリチュアルなものにでさえすがりたくなる鬱屈した現代の気分を具現化するがごとく、ミステリアスな雰囲気を漂わせる青年の過去の一部が、なかなかのクズっぷりを印象づけるのも災いし、生と死、現実と記憶などが混然一体となったアピチャッポンもどきの世界観も、男女の痴情が絡んで濁って見えてくる。美的感覚を注ぎ、意味ありげな映像をつなぐだけでは、映画の神は舞い降りない。
ひとは存在する限り、無意識に誰かを傷つけているかもしれない危険性と、無関係ではいられない。そんな残酷な宿命に気づいてしまった生きづらさが、ますます助長されたかたちで蔓延しているようにも思える今、個性豊かなぬいぐるみが、他者との衝突を恐れるあまり対話を諦める“やさしい”面々の罪悪感の受け皿や、彼らの弱さを映す鏡の役割も担う。両極のサークルを掛け持ちし、歪な世の中を達観しながらサバイブする白城が、何気なくも地に足ついた寓話へとリアルに引き締める。
コロナ禍前後の社会の変容を、いささか愚痴っぽく冗舌に感じられる台詞に頼りすぎて映像で捉えきれていないためか、売れない役者の主人公が仕事を失い追いつめられる焦燥も、辛抱強い恋人にまで去られる切なさも、いまひとつ迫るものがない。その辺りをクリアできていれば、世知辛さの増す風潮に呑まれ、何かと要領が悪くひとの好さだけが取り柄の彼の心が荒んでいくのを、口は悪いが意外に優しい仕事仲間のおじさん軍団との他愛のないやり取りが救うドラマも、もっと響いたと思う。