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ファンタジー的な導入部には身構えたものの、意外にも現代日本を舞台にリアリズム描写で展開するシーンの比率が高く、過去の紀里谷作品のイメージを裏切ってくる。「夢」の階層まで登場する本作の射程には「インセプション」あたりがありそうだが、少なくとも作品のルックにおいて途中で興醒めするようなことがないのはさすが。野心的なSF作品として、岡本喜八「ブルークリスマス」の系譜に置きたくなるようなチャームも。ところで、どうして官房長官の名が「是枝」なのだろう?
「育児環境下にある自宅で仕事をしなくてはいけない自営業者」を経験してきた身として自分を棚に上げたくはないのだが、本作の主人公は(原作由来なのだろうが)そもそものスタート時点で何から何まで自覚が足りず、感情移入のきっかけさえ摑めなかった。となると、説明台詞の応酬、感情にだらしなく寄り添った凡庸な劇伴と、自分が定義するところの「運転免許試験場の違反者講習ビデオ的映画」のような本作に何らかの魅力を見出すのは難しい。とってつけたラストにも閉口。
「線は、僕を描く」に続いて「横浜流星と日本の伝統文化」という組み合わせ(今作では能)ながら、都市と村、陽と陰、上昇と下降、学生と労働者、と対照的な本作。藤井道人の演出は題材に良くも悪くも生真面目に引っ張られすぎる傾向があって、日本の村社会における陰鬱な人間模様を、閉塞感に満ちた重厚なタッチで描いていく。役者にとっても監督にとっても新境地という点では一定の成果を上げている作品ではあるが、抜けの良さとケレン味が足りず、心の沸き立つ瞬間があまりなかった。
東京の街(具体的には上野)をちゃんとカメラで捉えている。そんな当たり前のことが、撮影許可を取るのが容易な地方都市の匿名的な街並みばかりでロケ撮影をしている現代の日本映画を見慣れてきた目には新鮮に映る。そうしたインディペンデントであることの強みを生かした荒々しさだけでなく、役者2人(片方は監督自身)の動きの周到さや表情の繊細なニュアンスからは、作り手の映画への真摯さが伝わってきた。残念なのは、物語の助走段階から結末の予想がついてしまったこと。
作品は多くはないが、監督デビュー作「CASSHERN」以来、一貫して派手な仕掛けに強烈なキャラ、ビジュアル先行型のエンタテインメント作品を手掛けてきた紀里谷監督に、いったい何が? いや近未来をべースに過去の時代を絡ませたこの作品も、しっかりエンタメ的に作られてはいるが、描かれるのは世界の終末と絶望感で、それも厳しく容赦ない。救世主的な役割を押し付けられた伊東蒼が言う、こんな世界なくなればいい、は監督の本音? “湯婆婆”そっくりの夏木マリが貫禄あり。
それなりに等身大の男と言うべきなのだろうが、アパートの自宅で仕事をしているイラストレーターが、子育てはすべて妻任せ、なんてことあるのだろうか。妻とは駆け落ちで結ばれたというのに。その妻が事故で意識不明になったことから、男は初めて父親として3歳の娘と向かい合おうとするのだが、児童養護施設に引き取られた娘は男に懐かない。仕事以外は積極性に欠けた自己チュー男の成長劇だとしても、まず脚本が甘すぎる。因みに本作は[文部科学省選定作品(成人向け)]です。
この社会派サスペンスを観ながらショートショートの名手・星新一の「おーい でてこーい」を連想した。嵐の後、地面に深い穴が。人々は穴に向かって、おーい、と叫び、小石を投げてみる。やがて人々はその穴に地上のあらゆるゴミを捨てはじめ、地上はきれいサッパリ。とある日、空からおーいと言う声と共に小石が降ってくる。本作における穴は、産業廃棄物の不法投棄だが、伝統、世襲、因習が根強く残る、横溝正史ミステリー的な村を舞台にしたエグい展開は、通俗的だが痛烈だ。
注釈が必要なタイトルだが、限りなく寡黙で限りなくシンプルなこのロードムービーの、一途な展開と微かなぬくもりに粛然とする。静かに思い詰めた正体不明の青年に焦点を当てた手持ちカメラの長回しは、当初かなり戸惑うが、その青年・神崎がひったくりの山本に声をかけてのレンタカーによる道中が、さらに無愛想で沈黙が続く。いくつかのエピソードを経ての終盤は雪が森の中、そのエンディングが心憎いほど余韻が残る。一途な手法で本作を完成させた監督とすべての関係者に乾杯!
見始めてすぐに、どこに行くのこの話、あらまあ風呂敷広げよった、と思ったが結局面白かった。主人公を演じた伊東蒼が良いし、夏木マリ、北村一輝、毎熊克哉、高橋克典の芝居が作品を支えた。少女の自己不信が人間不信と世界滅亡につながるという厨二病ぽいファンタジーだがフィルターの向こうに貧困、いじめ(援交強制)などの酷薄な世界がある。それをエンデ『はてしない物語』、キング=ストラウブ『タリスマン』のようなクラシカルな並行世界往還譚で見せたのも良かった。
私も本作同様、生まれてきた子の手の小ささ、その守らねば死にそうな生命の始まりの姿に感動し、頑張らねばと思ったのも束の間、それを忘れて日常や仕事にかまけて苛立ち、子に背を向けるときがある。子の玩具を蹴散らした後、出生時写真を見て泣き崩れる男。他人事ではない。本作には女性が当たり前にやらされている子育てを男が苦労してやると偉いみたいな、いわゆる“ちんちんよしよし”的な部分もあるが、世の夫におまえ独りで子育てできるんかと問う意義はあり、そこは買う。
日本はムラ社会、というのを言うだけの快感にとどめず、見ごたえのある村のヴィジュアルを作りこんだうえで見せたのが面白い。画が深く、デカイ。引きの画面に結構なスケール感があり力がある。ごみ処理施設というネタが単純に善悪の判定ができぬように物語に入っていたり、なぜか能、しかし見ているとそれが全体から抜きがたいものだったり、この要約不可能、解析困難さに一個の映画を感じる。監督藤井道人と俳優横浜流星は、新作がまさに質的に新しい、という日々を生きている。
著名俳優、多くの登場人物、あれこれ盛り込みひねった筋立て、凝った撮影などなどを張り倒す一撃。筆圧の強い単純な線で映画をやりきったことに感銘を受けた。だが、と注文をつけたいのは、無造作で無形式でドキュメンタリー的な撮影、という形式に囚われて、ATMから出てくる100万円や置き去りにされるスマホなど、割ってアップにするか、しっかり見せるかすべきものを捉えそこなってないかということ。とはいえその撮影の人物への張り付き、エモーションの掘り出しは見事。