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ギリギリの生活。冒頭から尋常じゃない緊張が続く。この先どうなってしまうのか。胸が締め付けられる。部屋で嘘をつく練習。ひっかけ問題と笑うトリ。ロキタもトリといる時だけは笑顔を見せる。二人だけの時間がとてつもなく愛おしい。大麻を育てている建物の禍々しさ。閉じ込められるロキタ。めちゃくちゃ不味そうな冷凍食品を食べる。食が進まない。ロキタはスマホのトリの写真を見ながら食べる。何気ないシーンに震える。犯罪でも何でもいいからこの二人に生き延びてほしい。
主人公の女の子は情緒不安定。些細なことでキレたりする。薬を飲んでしのいでいる。フィギュアスケートをやっている女の子を好きになる。バーのカウンター。振り返って彼女を見つめる不安げな顔。何かしてあげたいけど、どうしていいかわからない。その顔がずっと残る。もう一人の友達の女の子はセックスに取り憑かれている。したことないのにやたら下ネタを連発する。何をやってもうまくいかない。それでも生きていくしかない。へこたれない彼女たちが必死で滑稽で切ない。
鍵がないと部屋に入れない。どんどん炎が迫ってくる。唯一鍵のありかを知っている男もパニックになっている。このタイミングで?というぐらいヘマを繰り返す。電車を逃す。自転車もパンクしている。ようやくたどり着いて鍵を取り出すも、パニックでそのやり方が出てこない。電話しても通じない。メールしても返事がない。電源が2パーセント。意地悪なぐらいいろんなことがうまくいかなくて、ハラハラドキドキのし通しだったが、振り返ってみると誰の話だったかわからない。
飲み屋で女五人が集まって、もうこうなったら飲んだくれましょうと言って、酒を飲み出すのが面白かった。お互いの旦那の悪口で盛り上がる。どんどんアナーキーになっていく。実に楽しそうだ。バンドマンを引き連れた男の人がそれまで影が薄かったのが、歌い始めると急に存在感が出てくる。片腕の男が口を使ったり足を使ったりタコのように必死に熱気球を操縦する。なんかオモロイ。老人たちはみんな元気だ。歳を取っても欲望は減っていかない。むしろますます盛んになるんだ。
不安そうなロキタの視線とじっと見据えるようなトリの視線。ふたりの視線が交差するだけでこの映画を見る価値があるだろう。生活のためにしたくもない仕事をし、ビザのために姉弟だと偽る。嘘や苦しみのなかで垣間見えるトリとロキタふたりの間にある確かなものが煌めくのを感じた。生きるためにするふたりの行動のすべては、しかし生きるためだけではないということにも気付かされる。映画というフィクションを通して見る現実をどのように受け止めるか。
ガールはボーイと出会ってラブロマンスが生まれるという価値観にも、恋愛したらキスしてセックスして、しかもそれが嬉しいという顔をしなきゃという価値観にもとらわれずに、女の子としてではなく自分自身として生きるガールズの決して器用ではないこの物語はとてもロマンティックだし熱いしこんなティーンエイジャーだったら最高だったのになぁとドキドキしっぱなしだった。キスシーンもラブシーンも(最近は嫌悪感ばかりだったが)素晴らしい。みんな大好き!
ノートルダムが燃えてしまったというニュースを知ったときの衝撃は、今も覚えている。パリに暮らす人々にとっては、衝撃などというものでは済ませられないものだったに違いない。緊張感が走るものの、死者がいないという結末を知っているのでどこかで安心感を覚えながら見ていた。救助隊の活躍や人間ドラマよりも何よりも燃える大聖堂の姿こそが本作の主人公である。そこには潔ささえ感じる。しかし、火災を分割画面にまでして映すのは個人的に上品ではないと思う。
異文化の違いに戸惑いはあったとしても貶すようなことをしないというのは当然の話で、それを“笑い”にしてしまうこと自体に疑問がある。日本のバラエティにも「この国のこんなところがびっくり!」「日本サイコー」的な風潮がいまだにあるが「2023年に?」と疑問だし、移民が多く暮らすフランスで、今作る意義がわからない。親世代の感覚の違いと、子世代の価値観の違いが浮き彫りになるだけでなく結局それを子世代も結局引き継いでいるように見えてしまった。
ダルデンヌ兄弟は出来事(アクション)の継起を追い、ショットを積み重ねていくことでしか生じない何かに到達することを目指してきた。とすると、2人の映画が「活劇」の様相を帯びるのは当然の帰結であり、それを現代西欧社会の教訓譚として受け取るだけでは不十分だ。本作では、なによりトリ役のパブロ・シルズの体幹の強さが画面に安定と躍動感をもたらしている。道路を横断するときの走り。飛び跳ねるような自転車の立ちこぎ。ロキタの居場所を突き止め潜入する姿は私立探偵。
観客がアセクシャルの存在に気付くための青春映画で学ぶところ多しだが、悪い人が出てこないのがいいところ。ミンミの母親は娘を嫌いなわけではないし、エマのコーチも根は優しい人だと最後にわかる。高校生の話でもいわゆるスクールカーストなどはなく、卑劣ないじめっ子がいるわけではない。「悪い男」も不在である。クラブでナンパしてくる2人組も単に気のいい人たちで、イケメンで女好きだと噂のシピにしても、気分を害したからといって、それで罵声を浴びせたりはしない。
想像通りではありつつ、意表を突かれた。面白いのである。たしかに悪趣味であり、ところどころで失笑させられもするが、それも含めて挑発的と言わざるをえない。要は、ノートルダムの炎上こそフランス国民、いや全世界の人々が待望していたスペクタクルだと本作は声高に訴えているのだ。ラストで蠟燭の炎にクロースアップする手つきに明らかだろう。大規模な鎮火作業にも負けず、消えることのない信仰の火。しかし、これと変わらぬ小さな炎こそが大聖堂を燃え上がらせたのだから。
保守的なカトリックの一家の4人娘がそれぞれマグレブ系、ユダヤ系、アジア系、アフリカ系と結婚。そこから巻き起こる異文化の軋轢をコミカルに描き、人種差別を笑いに変えようとするコメディのシリーズだ。前2作は未見だが、こんなに広い家に住めて、何不自由ない裕福な生活を送っていれば、何があっても楽しいにきまっている。せっかく3作目を作るなら、婿たちの両親を出して文化の違いを強調するより、ジェンダーロールを攪乱するなど、家族像の刷新を図ればよかったのに。