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本シリーズのシグネチャーは、90年代タランティーノ的な脱線だらけの日常会話台詞と、趣向を凝らしたバトルシーンということになるのだろうか。前者に関しては会話の半分は上手くいっていて、残りはわりとスベってるという認識。後者に関してはバトルシーンで鳴り響く劇伴のラウドロック感が「いくらなんでも古くさいのでは?」という立場。しかし、今回はプログラムピクチャー的な気楽さが作劇においても上手く作用していて、重箱の隅をつつくのは野暮だと気付かされた。
同じ前田哲作品として、実は隣接したテーマを扱っているとも言える「老後の資金がありません!」との作風の違いに面食らったが、それが良いか悪いかは別として(きっと良いことなのだろう)映画としては本作の方が安心して身を委ねることができる。気になったのは、松山ケンイチ演じる介護士周りの最初から裏があるのがバレバレな親切設計すぎる演出で、サスペンス要素を期待していると肩透かしを食らう。とはいえ、長澤まさみともども、メインキャスト2人はさすがの好演。
「自分」「革命」「映画」「闘争」と、どこを切っても潔く宣言されているように、これは石井岳龍監督の信奉者でなければとても耐えられない、観念と抽象とナルシシズムと仄めかしと誇大妄想と自己憐憫の165分だ。もし本作に賛否両論が起こり得るとしても、それは信奉者、あるいは本作でカメラの前に立たされた彼の制作スタッフや、彼の生徒の中でのことでしかないだろう。その外側は最初から観客として想定さえされてなく、それこそが本作に込めたメッセージだと自分は受け止めた。
佐近監督の作品は本作が初見なのだが、とても驚いた。冒頭シーンの軽いトリックから、映像的に仕掛けられた細かな目論見が次々にキマっていく気持ち良さ。画面上の人物配置、インサートされる情景ショットなどすべてが的確で、82分間を通して現代社会に一つの「問い」を投げかけていく。その構成のスマートさ、そして最後になってその真意に心を打たれるタイトルのシャープさにも痺れた。ストイックな画面設計にあって、森田想のノースリーブ姿への執着も効果的かつ映画的。
近年の日本映画でもっともぶっ飛んだエンタメキャラの2ベイビー。熱狂的なファンがいるというのも納得する。ストーリーよりもキャラクターとアクションが先行する作品だが、今回も二人組の殺し屋女子は、モノに囲まれた部屋のカウチにダランと座って食べたり喋ったり。それが退屈しないのは、彼女たちの見せ場として、サマになっているからだ。むろんガチなアクションも。正規雇用の殺し屋になるために彼女たちを狙う非常勤の殺し屋兄弟のキャラが、彼女たちの二番煎じなのも愉快。
介護が必要な人を42人も殺した介護士・斯波は、ボクがやらなかったら家族が殺していたかも、と平然と検事に言う。要介護人がいる家族の共倒れ状態を、日常的に目の当たりにしてきた介護士による大量殺人。やがて斯波の殺人に至る動機が見えてくるのだが、へヴィで痛い話が、ギリギリのところで娯楽性を保っているのには感心する。斯波役を松山ケンイチが、検事役を長澤まさみが演じていることで、まるでスター映画のように、役の方が二人に従っているからだ。でも見応えあり。
かなり仰々しいタイトルだが、アニメにミュージカル、特撮だけではなく、いきなりファシズムの連中まで登場する石井監督の妄想的で実験的なモキュメンタリーである。字幕によるひっきりなしの短い文言は、映画=映像という芸術マジックに対する監督なりの試行錯誤から生まれた言葉なのだろうか。そういえば久しぶりに「第七芸術としての映画」なる言葉も耳にした。ただスタッフ兼任だという出演者たちによる発言や歌が、やたらに長いのがしんどい。これも映画の多様性?
私らしい生き方とか、私らしく生きるとか、曖昧に自分探しをする女性が苦手なこちらとしては、この作品の、何に対しても自分の思い通りにならないと気がすまない「私が確立」した主人公は逆に頼もしい。そんな性格のせいで失職した彼女が、ならばと起業を決意、その資金を得るために実家に戻っての話で、成り行きまかせでボーッと生きている兄弟たちがじれったい。家族という生臭い関係をものともせず、路線を変えない彼女を森田想が好演、小気味いい。
またも物語などあってもなくてもいいような彼女らのじゃれ合いとギャグ日常の連打だが、クライマックス前の抒情ではつい彼女らは互いがそれぞれ出血することを止め得ないパートナー同士であることを思わされた。そして伊澤vs丞威戦。このシーンのなかであの体格差ウエート差では本当はこんなことあり得ないぞ、というつまらないリアリズムをぶっ飛ばし忘れさせる語りのうえのツイスト、ものすごい仕掛けがあった。ぜひ観ていただきたい。あのハイキックがポイントだったのか。
昨年夏までネットメディア記者をしていたが2020年夏にALS患者さんの嘱託殺人が知られ、それを受けて日本維新の会の馬場伸幸と松井一郎が安楽死推進を表明したとき多少その問題に触れた。松井氏には質問する機会もあったがそのとき感じつつ記事にできなかったことは、彼は自分がそういう立場になったら死にまっせと今は思っているらしいこと。最近話題の成田悠輔とかもそうかもしれん。だがそれをリアリティとして他者に敷衍して、人命尊重の線を下げるのは愚かだし、悪だ。
冒頭から自己言及による自閉を感じ、ちょっと乗れないかも、と警戒したが、次々と繰り出される石井岳龍の企み(アルタード・ステーツ・オブ・マインド、「箱男」etc.)は見るほうを落ち着かなくさせるあのおぼつかない若者たちを、数十分間のうちに観る甲斐のある存在に羽化させた。見事。邦画伝統の、助監督がエキストラの芝居をつけること、が、ヤングらが自前で闘うことに重なるラストに感銘を受ける。革命とは王殺し。石井は若者らに俺の屍を越えてゆけとまで説いている。
本作については世代や地域によって受け取りかたが異なるかもしれないが私からするとこの剣呑で殺伐とした主人公女性は、詐欺師気質でコントロールフリーク、ふんわりサイコ。だがこういう人は東京あたりにはよくいるしどんどん増えている。だって自分の起業のために実家売りたくて兄や姉の人生を差配し、その地域の荒廃を進行させ、その自覚なく最後はポエム的独白でシメるんだぜ。ヤバい奴すぎる。現代の病理を突く主人公像と主要人物の設定、俳優陣の演技が素晴らしい映画!