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宝石泥棒の男が無敵すぎて最高。男もそうだが敵もなかなか死なない。どこまでも追ってくる。彼らの周りのものがバンバン壊れる。爽快。絶対アクションで楽しませてやろうという意地を感じる。ヒロインの女の人はすごい美女。出会い系のことをイジられてキレるのが可笑しい。薬を打たれて本音がダダ漏れになってしまう彼女が本当にキュート。二人の踊りがセクシー&エロい。そんなアホな!という展開が次々続いて、もう何でも来い!という気持ちになる。時間を忘れて楽しめる。
導入は見事。男がパンクした車を運転している。血を流し息も絶え絶え。何があった?いろいろ想像させる。娘は難病。治療に金がいる。で銀行強盗って流れになる。その中で男のこれまでの生き方が見えてくる。そうそううまく行くわけもない。裏切りにあって殺されかける。誰が裏切ったのか?男は一人ずつ追い詰めていく。途中合流する相棒が変なキャラで面白い。「こいつは俺がやりましょうか」って嬉々として拷問を始める。敵のやつらが割とあっさりやられちゃうのが物足りない。
やたら真面目そうな弁護士が主人公。彼はすごいオーディオセットの前に座り一人静かに音楽を聴く。真面目でいい人なんだけどちょっと偏屈。融通がきかない。正しさを押し通し行動するがうまくいかない。男は苛立ち落ち込む。周りの人たちがさりげなく彼を助ける。みんな実にいい人だ。男は少しずつ変わっていく。その変化にグッとくる。電車の中で音楽を聴いていてテロになかなか気付かず、周りの人がざわざわしている中、ふと振り返って窓外を見たときの彼の顔が忘れられない。
最初ドキュメンタリーかと思った。セネガルの森に住む部族の人たち。一人背の高い女の人のスタイルが良くて目を惹きつけられた。彼女は一人の男を巡って別の女の人と取っ組み合いの喧嘩を始める。のどかな日常。せこい男女の色恋沙汰。なんか笑ってしまう。小屋に入ってセックスを始めると周りにいた女たちが歌を歌い始める。小屋がギシギシ揺れ始める。女たちがホント強くて男たちはダメなやつらばっか。物哀しくてどこかユーモラス。クスクス笑いがずっと止まらなかった。
文句を言わせないほどこれでもかと畳み掛けてくるのはさすがボリウッド流。水上からサーキットカーを使った派手なアクションまで、とにかくてんこ盛り。もう食べきれないほどに料理が出てくる感じ。ヒロインの願望通りに世界中を旅するロードムービーとして捉えれば楽しい気もする。しかし日本版の謳い文句が「インド究極の美男美女! ド派手な怪盗&地味めOLが世界を救う⁉」はちょっと古めかしい気がするが、ボリウッドの世界観にマッチしているといえばしているのか。
全篇において想像以上に派手さがなく、抑えめなトーンが続く。愛する難病の娘を助けたいという動機から銀行強盗する主人公ニックに待ち構えている裏切り、と物語はあくまでシンプルであり、撮影も音楽もこのタイプの映画のフォーマットに則って着実に作られたという感じがした。私がアクションに疎いせいからかもしれないが、これといって印象に残るシーンがなかったのが残念。元UFC世界王者のランディ・クートゥアが自撮りした本作宣伝動画が嬉しそうで愛嬌があり憎めない。
「感動の実話」は往々にして感動するよう仕向けられる。当初、特別管理人となったものの被害者たちの声を聞かなかった“嫌われ者”のファインバーグが徐々に耳を傾けるようになるものの「プロジェクト目標達成のために」というのが透けて見える。優秀なビジネスマンだということはよくよく伝わってくるものの、道徳的な尊厳の話をテーマにするには少し無理がある気がする。「国民にはこう言っておけばいいだろう」と言われているのと何が違うのだろうという気がしてしまうのだ。
これは……! 一体どんな演出をしているのだろう。セネガルのディオラ族が話す言葉はまったく私にはわからない(ほぼ字幕もない)のだが、それは少しも映画を楽しめない理由にはならない。むしろ、ひたすら映画に集中し没頭し、見知らぬ世界を体感するという点においても驚きの連続で身を乗り出すような気持ちで心奪われていった。木が倒れるだけでもう映画なのだ。イオセリアーニの映画をもっと見たい、という興奮に包まれながら映画の暗闇へと戻る。ぜひ、劇場へ!
「ナイト&デイ」(10)のリメイクで、14年の製作。いつもリメイクする側のハリウッドをリメイクされる側にしたというだけで痛快であり、キャメロン・ディアスとトム・クルーズの主演でなければ成立しようのない企画に挑戦した点でも脱帽もの。マンゴールド版があくまでコメディを主軸にアクションシーンを配したのと異なり、本作ではコメディ(作劇)はほぼ用なしとされ、スペクタクル(アクション+ミュージカル)を披露するための状況だけが必要とされる。インド映画の面白さ。
この映画のどこに惹かれるか。身も蓋もない言い方をすると、単に教訓を垂れないからだと思う。多くのアクション映画がどこかで説教垂れがちで、その結果か、活劇の魅力がないがしろにされている。犯罪者は犯罪に手を染め、警察は犯人を追う。裏切り者は裏切り、悪人は悪事を犯し、殺し屋は殺す。マフィアのボスの用心棒は長身である。主人公には元恋人と闇医者の友達がいる。もったいぶった見せ場もドラマもいらない。付加価値のない同語反復。たかが映画、されど映画の心意気。
優れた小品だが、うかつに評価はできない。迷いの理由は、「アメリカ vs.合衆国」の構図にあって、本作がアメリカの勝利を謳うのでないからである。アメリカ映画であるためにはやはりウルフを主人公とする必要があった。これはむしろ合衆国の映画であり、アメリカが合衆国に収奪される点が厄介に映る。しかも、アメリカと合衆国の対立は「人間性」と「法(規則)」の葛藤として反復させられ、それに規則を遵守したレシピ通りの映画の格好が与えられる。この巧みさやいかに。
セネガル南部にあるディオラ族の集落。部族の生活と風習に基づきながら、イオセリアーニが創作を交えて綴る寓話的な一篇である。狩りや漁から魔術に雨乞い。ワニに乗って川を移動し、木を叩いて交信する。歌い、踊る。みんなで集まって日没を見る。女性主導の離婚と再婚、そして家出。世代交代と継承の儀式。森林伐採による楽園の終焉。補助的に中間字幕が使われるとはいえ、言語による翻訳を必要としていないのはやはり驚くべきことだ。映画の本源的な喜びに満ちた傑作。