パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
各人物の死生観をめぐる背景をさりげなく提示しつつ、当人の葛藤よりも周囲が死をどう受け入れるかに焦点を当てることで、看取りをめぐる通念に揺さぶりをかけながらサスペンスフルなドラマへと落とし込む匙加減が絶妙。安楽死という主題が孕む深刻さ以上に軽やかな笑いを随所で強調しながら、頑固で旧時代的だが憎めない人たらしのダメ男という役柄にこれ以上ない説得力をもたらすアンドレ・デュソリエの演技に惹きこまれるなかで、ゴダールの最期もこんな風だったのかもと想像。
階級を中心とした社会問題を巧みに取り込みつつも、大上段に構えることなく個人の暮らしに焦点を当てた、どこかケン・ローチを思わせるドキュメンタリー的な引き算の演出と撮影は効果的だが、その反面サスペンス性を削ぐことにも。余裕のない状況でそれでも扶助の精神をなんとか保ちながら生きようと奮闘する、主人公やソーシャルワーカーたちの血の通った人物像を引き立てるためか、数多く現れる家族候補の一部が彼らと比べるとやや紋切り型めいた人物造形となっているのは残念。
作中のあらゆる要素を徹底してヘジュンとソレの関係性を微細に変化させるための触媒として用いることで、荒唐無稽な展開を強引に観客に受け入れさせてしまう力業の演出に舌を巻く。PCの要請を逆手に取るかのような、ほとんど触れ合うこともない二人に渦巻く激情は、スマホを用いた翻訳や録音によって誇張される互いの断絶を通じて高められ、相手にハンドクリームを塗るだけの接触場面を異様なまでに官能的なものとする。古典メロドラマの過剰さと現代性を奇跡的に両立させた怪作。
大いに笑える箇所は多々あるのだが、一方でいかにもカンヌが好みそうなわかりやすくシニカルで知的なユーモアの質がやや鼻につくところも。過激さで照れ隠しをしつつも、ウディ・ハレルソン演じる酔っ払い船長がマルクスを引用する演説場面に監督の本音が現れていることは明らかで、カネとクソとゲロを並べる下品だが理に適った演出から、なぜか邦題で無用なネタバレをかましている逆転の展開まで、総じて秀才インテリが頑張って頭で考えた資本主義社会への風刺という印象は拭えず。
尊厳死というセンシティブでセンセーショナルなテーマを扱いながら、非常に穏やかで晴れやかな作品。父親の隠された過去や、父との確執の真実などなど、父親の死を目前にして明るみになる、さまざまな出来事などをいくらでも盛り込めそうなところ、秘密など何もないかのように、死を望む父とそれを受け入れるしかない娘の姿を、ときおりユーモアも交えながら淡々と映していく。穏やかすぎて逆にあやしいハンナ・シグラが、本作唯一サスペンスを身に纏っていて印象的。
死にゆくシングルファーザーが息子の里親を探すなかで「どの家族が良いか悪いか、会った瞬間に判断がつくと思っていた」とこぼす。このセリフが示すように、本作には、家族とは、死とは、息子とは、といった事柄を抽象的ではなく、目に映ったもので捉えようとする誠実さがある。だから里親候補への面会を時間をかけて繰り返し描くのだろう。面会を繰り返しそれでもわからないと実直に語る父親と彼を助ける新米ソーシャルワーカーが共に困り果てるカフェのシーンはとりわけ美しい。
いろいろなギミックを使って演出される視線の複雑なやり取りや、凝ったシーンのつなぎによって、一筋縄ではいかない男女のロマンスを面白く見せてくれる。こうした多彩な演出は、明確に言葉にしては崩れてしまうこの二人の微妙な関係性を、曖昧に、あるいは繊細に表現し、映画にただよう雰囲気と主演のタン・ウェイはとても凛々しく妖しい魅力がある。しかし、越えてはいけない倫理的なラインを越えてしまう、決定的で理不尽でもある具体的なこれという瞬間が私は見たかった。
男性よりも女性のほうが給料が良いという、男女格差の逆転が起こっているモデル業界に身を置く男女のカップルが、ディナーをどちらが奢るかという言い争いを始める、第一パートがすこぶる面白い。華やかな設定でありながら、あまりにも卑近なやり取りが繰り広げられるギャップ。そしてそこから見えてくる日常的な不均衡さを皮肉を込めてエレガントに描いている。これ以降のパートも十分に楽しめ、とても良くできてるように思うが、逆転の構図が見えすぎているような気もした。
愛する男の墓で踊る10代の少年を描いた前作から、自ら墓に入らんとする父に翻弄される50代の娘の今作へ。オゾンとマルソー、同世代の二人も今まさに置かれているであろう、家族の老いや、そこに重なる自らの老いと先行きへの不安が去来する日々。過去と未来、そして今が一気にのしかかる年頃のやるせなさが、安楽死を超えて普遍的に迫りくる。父が齧ったサンドイッチを捨て切れぬ主人公の心の揺らぎや、彼女の、そしてランプリング演じる母の、皺に刻まれた憂愁の目顔が沁みた。
「おみおくりの作法」同様、“死”について、それを巡る個人と個人のつながりについて、パゾリーニ監督は実話を軸に描き出す。小津を引き合いに出すほど“控えめ”に徹したと語る演出は、ジェームズ・ノートン演じる若き父の思いを淡々と、静かに見守る。しっくりこない養子縁組希望者たちの描写もリアルで、価値観の合う人間に出会う難儀を痛感。それでも人情家の監督らしく、全篇に“控えめ”なぬくみを湛える佳作だ。子役の愛らしさは反則の域だが、それこそが本作の肝でもあり。
20年近く前、「評論家出身の監督の考える、いい映画の条件とは?」と取材で訊くと、パク・チャヌクは「一シーン観るだけで誰が撮ったかわかる映画」と答えてくれた。時を経て、今、その独自性に改めて敬服。「オールド・ボーイ」の激しさも「お嬢さん」の際どさも濾された後に残るは、程よく力の抜けた、究極の澄んだ愛だったとは……。イ・ミョンセ監督「М」ではBoAも歌った〈霧〉の切ない旋律と共に、絡みつくような余韻が後を引く。パク・ヘイルとタン・ウェイの相性も、出色。
なかなかに強烈かつ痛烈。原題の「悲しみのトライアングル」は眉間の皺をも意味するようだが、男女の立場や貧富、美醜など、さまざまな価値の逆転を風刺たっぷりに描く内容を見る限り、的を射た邦題と言えるのかも。約2時間半の長尺も、笑いあり毒あり意外性ありで、飽きずに楽しんだ。コンプライアンス重視の現代の抱える矛盾を、どちらか一方に偏ることなくストレートに突く野心作。汚物各種の大噴出も厭わぬカンヌ2連覇リューベン・オストルンドの攻めの姿勢に今後も刮目。