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サイレント映画時代のアメリカを描く撮影、美術は最上で、最後のフィルム引用も美しい。しかしケネス・アンガーを批評意識なしにアダプトするコンセプトには疑問を覚える。妄想に映画マニア監督が寄りかかってるみたい。昔、『知ってるつもり!?』という番組があったが、「分かってないのに知ってるつもり」で書かれた脚本だ。エピソードを「雨に唄えば」からまんま借用するのも問題。初めてのトーキーのロングテイクをトラブルを乗り越えて何とかやりこなす場面での女優の好演が光る。
修道院での同性愛というと、つい土居通芳監督の清々しい傑作「汚れた肉体聖女」を思い出してしまうが、これは予算が百倍くらい違う、ドロドロのスペクタクル巨篇。権威(暴力)とフラジャイルなエロスが対立せず、一人の聖女の身体に組み込まれている複合感覚はまさしく「ロボコップ」から連なる監督独自の物で、その分、冗談か本気か分からないところもある。つまり聖痕が偽物であることでかえって輝きを増すみたいな印象を、偽善とも偽悪とも判定せず放り出してるのが妙に面白いのだ。
タイトルの意味が「骨ごと全部」だというのがじわじわ分かってくるのが怖い。演歌〈骨まで愛して〉を知ってる人ならこの感覚にもついていけるであろう。♪生きてる限りはどこまでも。でもって『ポーの一族』みたいな映画かと思ったら全然違う。「地獄の逃避行」から連なるアベックキラー・ロード・ムーヴィーであり「ヒッチ・ハイカー」みたいな荒野恐怖も生々しい。恐怖とはいえノスタルジック、そこが80年代(が舞台の)映画なのだ。老いたジェシカ・ハーパーは「いるだけで」怖いよ。
邦題がストレートでかえって驚くものの、実話に基づくというので納得する。順風満帆な営業マン人生を送っていた青年が突然の事故に遭い、首から下が麻痺状態で生きることになる。少年時代から向こう見ずの性格というのを冒頭で提示するわけだが、もっと何か怪しいサスペンスフルな物語が始まるのかと思ってしまった。結構肩透かし。恋人との関係の移り変わりが最大のポイントになるべきなのだが意外とあっさり。実話だから仕方ないか。ともあれチャレンジングな人生は続いていく。
「ラ・ラ・ランド」ではオープニングで味わった疾走感とリズムによる快楽が本作ではラストにくるが、ゴダール、ベルイマン、ドライヤーなどの映画史における名作がコラージュされたシークェンスにまんまとシネフィル心を擽られた。決して大文字の映画に対するノスタルジー的な陶酔のみに堕さず、映画産業が抱え込んできた泥臭さや暴力性を包み隠さずあらわにし、映画へのアンビバレントな感情を描いている。いま映画についての映画を撮ろうとするのであれば、必然的にこうなるのだろう。
神秘体験が身に起こっていく主人公のベネデッタという女性が、嘘をついて権威的な立場へ昇りつめようとする策略者なのか、あるいはイエスへの愛を従順に誓う信仰者なのか、観者によってまったく異なる人物像がそこに浮かび上がってくるような巧妙に曖昧にされた描き方が本作の肝要か。シャーロット・ランプリングがいい味を出しているが、ヴァーホーヴェンは過去作「エル ELLE」で一風変わった性暴力被害者を演じたイザべル・ユペールといい、上の世代の女性俳優を魅力的に撮る。
ラストシーンにすべてが賭けられた映画。甘酸っぱい青春ムービーをやりたいのか、カニバリズムのホラームービーをやりたいのか、どちらにも振り切らず中間地点で彷徨っているともとれるが、ルカ・グァダニーノの非の打ち所がない独創的な映像美で綴られる青春映画に、後者の狂気が時折凶暴なまでに牙を剥く様をみればいいのかもしれない。グァダニーノの過去作「君の名前で僕を呼んで」のホモエロティックなムードをそのまま援用したようなティモシー・シャラメの人喰い描写が白眉。
エリートの男が突如として障害を背負うことになる映画というところでマチュー・アマルリックが好演した「潜水服は蝶の夢を見る」を思い出したが、POVショットを使いながら観客に追体験させる「潜水服〜」とは異なり、本作はオーソドックスな作りでみせてゆく。何らかの苦境に陥った男が赤ん坊さながらに横暴に振る舞い出し、周囲の女性を母親化して成長してゆく物語には食傷気味ではあるものの、爽やかな鑑賞後感は悪くない。しかしほかの類似作品と比べるとやや弱い印象も受ける。
いやはや実におぞましいものを見たというのが率直な感想だ。くすりとも笑えないユーモア、とめどなく滑りつづける3時間。タイトルが出てくるまで象のクソのように浴びせかけられる優等生による想定内の「やさしい」享楽や狂気には思わずギブアップしたくなる。そこにはなんびとの人生も映っていない。製作者の適度な映画愛と行儀の良い配慮以外は。映画自体がタイトル通りに空虚なバビロンと化しているというアイロニーは買うが、残念ながら映画史は本作に固く門を閉ざすだろう。
ドライヤーにしろブレッソンにしろデュモンにしろ、古今東西の巨匠であれば一度は挑戦しなければならない頂と言ってもいい聖女伝説に、強い女性の演出に定評があるヴァーホーヴェンが挑戦ということで、どんな演出が炸裂するのか楽しみに鑑賞していたが、暴力演出ではあいかわらずの才気を発揮するものの、本作の肝であるセクシャルな演出においては全盛期の「氷の微笑」はもちろん、「インビジブル」にも遠く及ばない出来で、どうにも不完全燃焼感が残った。巧いは巧いのだが。
とにかく出演者全員の顔がいい。そしてカメラマンのアルセニ・カチャトゥランによるショットの切れ味が抜群で、映っているモメンタムのみずみずしさはガス・ヴァン・サントも顔負けだ。それだけでもいつまでもこの映画と同じ時間を過ごしていたくなるが、そこに差し込まれるトレント・レズナーの動く低音ノイズの破壊力たるや。カニバリズムを描いた本作が80年代を舞台にしているのは、同じころ世界的にはびこりはじめ、今やわれわれに共食いをうながすあのシステムを意識してか。
主人公に病なり障害があり、家族の支えやディスコミュニケーションを経て、それでもやっぱり生きてるって素晴らしいよねという地点にたどり着くのが近年の難病ものの定型であり、限界でもあり、本作もそこから大きく離れはしないのだが、主人公アダムを演ずる『ブレイキング・バッド』のアーロン・ポールがよくがんばっていて、それだけでも平均点はあげたくなる。だがやはりどうにも絵が安っぽく、ひと昔前のアメリカン・ドラマっぽく感じてしまうのは、予算や技術の問題ではないのだろう。