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斜陽産業の定めか、近年世界中で同時多発的に増えている「映画についての映画」。大きくは「作り手サイドの物語」と「劇場サイドの物語」の二通りに分けられるが、本作は地方都市の老舗劇場に流れ着いたワケありの元映画監督という両方取りの都合のいい設定の中、ステレオタイプな登場人物たちが無邪気に「映画っていいよね」みたいなぼんやりしたクリシェを言い合うだけの薄寒い内容。本来は優れた監督、脚本家、役者が揃っているだけに、策やヒネリのなさに啞然としてしまった。
大前提として池井戸潤の経済小説は概ねよくできているので、誰が脚色しても、誰が演出しても、誰が演じていても、それが初めて(同原作のドラマなどを過去に見てなければ)ならばそこそこ楽しめるのだが、本作は演出に問題あり。パズルのように入り組んだ物語をトレースしていくのに精一杯で、屋外シーンも屋内シーンもロケーションは貧相、シーンの無造作な繋ぎも目立ち、役者の新しい魅力を引き出すこともなく、逆に名の通った役者たちの手癖的演技になんとか助けられている。
リベラル系言論人総崩れの中、プチ鹿島氏の文章は読むに値する情報量とギリギリの中立性とプロの書き手ならではのレトリックを有していることを評価する立場なのだが、この作品はダメだ。取材対象が二つの選挙にまたがっているので流れもわかりにくく、建前としての中立性(劇中で特定の候補者に「応援してます」などと言っている)も投げ打っていて、単純な撮れ高不足も露呈している。ダースレイダー氏とプチ鹿島氏のファンムービーという価値以上のものが見出せなかった。
16ミリフィルムの粗い解像度で捉えられた根室や釧路や室蘭の寂寥感漂う広大な風景に、斎藤ネコの抑制が効いた劇伴が流れてくるそのセッティングだけで、映画としてのツカミはバッチリ。しかし、70年代ATG作品を思わせるような地べたを這いつくばって生きている3人のメインキャラクターの造形には、現代社会の生活者としてのアクチュアリティが希薄で、ひたすら沈痛なだけの絵空事を見せられているような気持ちに。そこに監督の狙いがあることは伝わってくるのだが。
無一文で公園のベンチで寝るしかない映画監督を救ったのは、いまにも潰れそうなミニシアターとそこに出入りする人たちだった。それにしてもここ数年、次から次へと作品を撮り続けている城定監督と、今回は脚本だが同様に監督作の多いいまおかしんじによる本作、挫折と失意を抱えた映画人を、あえていいこ、いいこしているようで、いささかこそばゆい。ホームレスを食いものにする貧困ビジネスの連中なども出てくるが、昭和的人情が色濃い展開は、映画への夢や憧れも徒に感傷的。
ご丁寧に冒頭の舞台劇で、守銭奴シャイロックが完敗する『ヴェニスの商人』の法廷場面を再現してスタートする。そうか、タイトルに呼応する情報として、この舞台劇を入れたって訳か。池井戸潤のこの原作はドラマ化もされているそうだが、大手銀行の支店を舞台にした金を巡る大小の不祥事は、緊張感を誘うほどインパクトはない。それでも楽しめたのは、いつもニコニコしているお客様担当の阿倍サダヲが、必ず何か仕掛けるはずだと予想できたから。そして本木監督は期待を裏切らない。
ラッパーのダースレイダーのことも、時事芸人・プチ鹿島のことも、当然、彼らのYouTube番組のことも全く知らず、このドキュメンタリーで初めて二人の活動を目にしたのだが、意外とソフトで、意外と礼儀正しく、意外と毒がなく、結構、意外ずくめだった。ただ二人の押しがソフトな分、彼らが取材する参院選候補者の素顔か建前がそれなり見えてきて、そういう意味では突っ込みは甘くても、取材の意義は大。にしても四国新聞の姿勢には啞然、失笑。でも、やっぱりときには猛毒を。
冬のオホーツク海岸のじっとりと重い灰色の冷気が、16ミリフィルムによる映像からダイレクトに伝わってくる。荒涼としたそんな風景の中を、生気のない中年男と投げやり気分の女、やけっぱちの若者が、付かず離れずに動き回っている。女と若者は中年男から俺を殺してくれと頼まれているのだが、見ず知らずの他人をいくら頼まれたからといって、そう簡単に殺せるはずもない。海中に車が突っ込んでの本能的リアクションを含め、無様なりに奇妙な解放感があり、俳優たちの演技も見事。
ああ、わかってしまった。私は奥田民生になりたいとは思わないが、いまおかしんじにはなりたい。たぶん、いまおかしんじ脚本作監督作に慰撫されたことのある男はみんなそうなんじゃないか? これはいまおか氏のアイドル化、崇拝というより、自分の生活のなかに自分サイズのユートピアを見出す術を身に付けたい、という感覚だ。快調な城定秀夫演出が死を超えるユートピアを見せた。渡辺裕之と、宇野祥平(川島雄三「わが町」の辰巳柳太郎に迫る)の美しさに慄然とさせられる。
阿部サダヲと柄本明の絡む場面に声をあげて笑う。達者な役者の応酬は飽きない。本作原作は未読だが過去にたまたま原作読み&映画鑑賞した幾つかの池井戸潤ワールドと共通の主題を認め、それが良いと思う。それは歴史家ティモシー・スナイダーがリーフレット『暴政』で説く、忖度するな、属する組織に誠実であれ、倫理を忘れるな、自ら調べよ、ちょっとした会話を怠るな、等に重なる。これが社会の悪化に抗する方法だが、これを踏まえつつ、悪と堕落への誘惑も残す語りが面白い。
昨年6月まで政治系ネットメディアで働いていて政治家の会見や演説を撮影し質問し記事を書いた。そこでの体験に似ていた映画は、レア・セドゥが活発な人気ニュースキャスターを演じる「フランス」(監督ブリュノ・デュモン)だが、本作も私の体感と一致する。政治や大メディアが(プチ鹿島氏が発するような)単純で当然な問いに答えないこと、暗殺は忌むべきことだがそれとは別に安倍晋三が良い政治家でなかったこと、を思い出す。安倍元首相暗殺事件当時の貴重な記録でもある。
インディーズ映画の豊かさ、良さに、観ているとこちらにアルファ波をドバドバ出させるロケーションのパワーがある。予算が潤沢な映画にはそれができない。金があることの傲慢さが風景と世界に対する謙虚さや畏怖を壊しているから景色が沁みないのだ。本作の景色は大きく、美しく、禍々しく、登場人物を正しく苛む。これは瀬々敬久監督に代表されるようなピンク映画の美質でもあった。その継承、発展が嬉しい。罪の手触り、金子清文の死と、菜葉菜と佐野弘樹の交わりに撃たれた。