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ここ数年、音楽ドキュメンタリーの秀作が多い。これはローリング・ストーンズ等のグループの下地を形成するブルーズの影響を掘り下げた点が特に秀逸。おかげでシスター・ロゼッタ・サープといった黒人音楽家に注目が集まるようになってくれて嬉しい限り。エリック・クラプトンの姿が見られないのは寂しいものの、クリームのほかのメンバーの肉声は貴重。白人が黒人音楽を搾取したという言い方は確かに真実ではあるが、当時の英国の若者の素直な憧れが持つパワーを認めてあげなきゃ。
タイトルそのままのコンセプトだが、思えば凄いことではないか。奇跡というのは時にあまりにさりげないものだ、と嘆息するしかない。戦時下であろうがビジネスはビジネス。ワインを作り続ける人々は当たり前のように美味しさを追求する。どこもかしこも戦時下みたいになってしまった世の中だからこそ、貴い。などと力みかえる我々をかえって嘲弄するかのように、淡々とワインが流通していく。考えてみればこの数千年の間、特に中東ではそうやってワインが醸されてきたのであった。
アーサー王伝説というのに詳しくないので、ちらっと原典に当たってみた。読んだ版はアーサー・ラッカムの挿絵だったが、この映画に出てくる緑の騎士とそっくり。グロテスクさを参考にしているだろう。ただし基本的には、伝説を現代人が解釈して再構成する、という雰囲気が濃厚だ。それゆえ、マーティン・スコセッシの「最後の誘惑」的なプロットのひねりが効果を生む。こちらは磔刑ではなく斬首の刑だが。いかにもデイヴィッド・ロウリー的なのは風景がとげとげしくないところかな。
〈夜明けのうた〉なら岸洋子さん歌唱の昭和の名曲で、それを主題歌にした蔵原惟繕監督による歌謡映画も名作だ。こちらの英語題は直訳すると「心の翳」といったところか。主人公は英国帰りの小説家。とはいえ、重要なのはむしろ彼が出会う4人の人々のほうだろう。正確には、それぞれの短篇小説的なエピソードによって主人公が変貌を遂げることの面白さ、というべきか。一時期流行した朗読物というジャンルにも接近しつつ冬のソウルの情景が心にしみる。キム・サンホが愛嬌あり抜群。
一時代の若者たちが求めたミュージシャンらの毒やユーモアが迸る証言や記録映像は、ファンにとってはさぞ貴重なものなのだろう。この枠でも数々の音楽に関するドキュメンタリー映画を取り上げてきたが、本作で想起したのは「ジャズ・ロフト」だった。同作ではNYのロフトという場所に立ち籠める熱気や当時の空気感が画面に刻印されていたが、本作では地下室のそういった様相を捉えられない。淡々とインタビュー映像が流されてゆく編集に、映画的な意匠の貧相さを感じてしまった。
前号でもワインのドキュメンタリーを取り上げたと思ったら、今秋はなんと同テーマの映画が5作以上も上映されるらしい。前号の「ソウル・オブ・ワイン」と本作はまったく趣向が異なる。「ソウル〜」は「印象派の監督なので、頭で理解するのではなく、映像を見て心で感じ取る作品づくりが信条」なのに対し、本作は論理的。哲学や思想をさまざまな立場の人間に矢継ぎ早に語らせてゆく。社会と文化によって醸成されるワインを、政治と絡めてスリリングに描いてゆく手つきが見事。
森のなかに放置された主人公の青年ガウェインからカメラがゆっくりと離れ、360度回転して彼がたちまち骸骨と化すロングテイクなど、「ア・ゴースト・ストーリー」を想起させるような時空間を自在に操るデイヴィッド・ロウリーの手腕は本作でも健在。同時期に公開される「MEN 同じ顔の男たち」も同じくA24作品であり、明らかに男性性がひとつのテーマとして挙げられるが、本作もまた伝統的な冒険譚における「男らしさ」を問い直す作品だとも言えるだろう。高貴な映像美。
小説家が4人の他者と出逢い、対話してゆく形式の映画だが、一人目の物語が白眉。喫茶店で話者二人に面しているのは壁ではなく窓ガラスだが、その向こうを幾多もの忙しない通行者が過ぎる。すると微かに電車のような音が聞こえてくる。そこは喫茶店ではなく、電車の中だったのだ。老いと死と記憶を巡る映画にあって、つまりそれは始発駅と終着駅がある電車を人生に見立てている映像表現なのだろう。そんな一瞬の幻視それだけで、この映画はきわめて価値があると強弁を張りたくなる。
単純な音楽ドキュメンタリーとしてだけではなく、イギリスの戦後文化史の検証映像としても楽しめた。イギリスといえば、音楽にしろファッションにしろ、システムとの闘争を前面に押し出した文化を展開してきた国である。しかし、それらのアティチュードのいしずえには戦後イギリスに持ち込まれたアメリカのR&Bがあるという。イギリスのユース・カルチャーのイメージを形作るような、自由で反抗的な生き方をもたらしたのがアメリカのマイノリティ音楽というのはなんとも興味深い。
前号の「ソウル・オブ・ワイン」につづくワインもの。だがこちらはそれほど牧歌的な内容ではなく、紀元前三千年頃にはすでに中東で流通し、人類の定住化にも大きな影響をもたらしたとされるワインの歴史とその頃から常に戦火につつまれてきたワインの名産地であるレバノンの歴史がいくぶんいびつな形で対比され、語られる。どうしようもない歴史の流れに直面したとき、ワインでも飲んで己の無力さを笑い飛ばすことくらいしか我々に出来ることはないのかと思うと複雑な気分にもなる。
繰り返し申し上げているように、筆者は洋の東西を問わず中世を舞台とした劇全般を苦手としているのだが、ロバート・エドガーズにしろ古くはM・ナイト・シャマランにしろ、期待される若手インディペンデント映画監督たちがキャリア数本目に中世風のファンタジー映画に手を出すこの現象をなんと呼ぶのだろうか。とはいえ、「ピートと秘密の友達」の頃からそのファンタジー志向を隠していなかったデイヴィッド・ロウリーの美意識や俳優への配慮は否定できないレベルに達している。
カッコいいタイトルから推測するに、これは映像詩と呼ばれるものなのかもしれない。あるいは、雰囲気映像にそれっぽい詩やナレーションが乗っただけの何か別のものか。スケジュールや予算など、制作における諸々の事情があるのはわかる。だが、冒頭の15分超えのシーケンスをはじめ、80数分の作品の中で何度も繰り返される10分以上の工夫のない退屈な座り芝居、そしてそこで交わされる絶望的にナルシシスティックな会話たち。もう少しお客さんのことを考えてもいいのではないか。