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時代背景はノスタルジーで選ばれたのかと思っていたら違った。アイルランド法制史の重要な局面と徐々に分かる、この趣向が上手い。離婚が困難な宗教的縛りのある国家アイルランドならではの様々な思いが交錯する一家に、仲が悪いのに夫婦でいることに意味はあるのか、と決断がやがて迫られる。ただし中心は周囲へのカムフラージュで交際する振りをする(日本で言えば)高校生カップルの物語。少女の方がやることは計画的だが、振り回される同性愛指向の少年に監督の心情は傾く。
境遇の違う二人の母親の運命が交錯する瞬間。そこが圧倒的に面白い。しかし皮肉なことに、一方の母親の個人史を形成するスペイン内戦の民族的記憶がかえって話を薄めてしまったようだ。良く出来たスクリプト(あらすじ)を読んでいるみたいな気分に留まる。そうした欠点は欠点として、もう一方の比較的幼い母親の来歴が凄い。描かれず語られるだけだが、こちらがメインであるべきなのではないか。彼女のお母さんの売れない演劇人も深い役柄だ。バランス悪く傑作になりそびれた感。
前作を見逃したが話は別々。だから単独鑑賞で無問題、もっともコンセプト自体は刑事たちのグループ捜査にある。この40年間、日本の連続TVドラマが得意としたパターン。石原プロ作品群とか、あるいは東宝系の『大追跡』とか。主演のマ・ドンソク刑事(副班長)と好対照のチェ・グィファ班長刑事キャラをはじめ喜劇風味の隠し味が効いている。大いに楽しめたが星が伸びないのは、悪役が「悪くて強いだけの人」だから。役者はカッコいいものの、誘拐殺人ビジネスの闇が深くないな。
農業ドキュメンタリーという分野は大好き。農耕馬の美しさ賢さを再確認できる好企画ともいえる。うねを耕す馬がカメラを気にして(目線で分かる)立ち止まるあたりのゆったりした画面はまさしく眼福也。良いワインは地層が作るのだ、という言葉が含蓄あり。評論家、学者、ソムリエのインタビューを組み込みつつも、やはり見どころは生産者(仕込むための木樽も含む)の一挙手一投足に尽きる。この映画を見るとむしろ、完成する前の濁っている状態のワインを飲みたくなるだろう。
ゲイとレズビアンの「友情」を描くありそうであまりないストーリーを通して、セクシュアリティとジェンダー、都市部と地方……といったさまざまな問題が交差的に語られてゆく。1990年代のアイルランドの保守的な地域を舞台にしているだけあって差別や偏見の描写は厳しくもあるが、監督のデイヴィッド・フレインが愛好するアメリカのレズビアン映画の金字塔「Go!Go!チアーズ」のようなポジティヴさも漲っている。なによりキャラクター造形がチャーミングで、愛すべき作品。
アルモドバルが一貫して描き続けてきた「母」の主題に、スペインの歴史を併走させてゆく。子を取り違えるというメロドラマのプロット単体にはそこまで新奇性はないかもしれないが、それがそうしたアルモドバルのルーツと合流したときに意味が変容する。「母性」や「レイプ」などアルモドバルがこれまで何度となく取り入れてきた要素を、本作では時代的変化とともに自己批判的に言及している。ペネロペ・クルスをここまで魅力的に描ける映画作家は現代においてほかにいないだろう。
真面目なクライムアクションでありながらもユーモアの雰囲気が絶妙に漂い、終始うっすら笑える(マ・ドンソクのせいかもしれない)。バスの車内で刃物を持つヴィランと素手のマ・ドンソクが対決するクライマックスのシーンのアクションはとにかく圧巻。残酷描写を直接見せない上品さにも好感を覚えるが、女性が絡む暴力がシリーズ一作目よりも減ったため、特定の観客にとってはより観やすいだろう。前作の期待を決して裏切らない完成度(マ・ドンソクのおかげかもしれない)。
パッケージ化されたワインが人の手に渡るまで、ブドウの一つ一つを手で摘んだり、それを地道に足で踏みつけたり、樽内をタワシで磨き上げたり、ワインを熟成させるために費やされる膨大な時間をこの映画はそのまま引き継ぎ、穏やかな時間がじっくりと工程を見せてゆく。そしてそれがこの映画の気品を醸成させている。ここではワインが人生に見立てられている。途中、緑生い茂る光景が広がるにもかかわらず、肥沃ではない畑で始まりと終わりが結ばれているのはそのためなのだろう。
同性愛者同士が異性愛者のふりをしてカップルになったはいいが云々という使い古されたネタが実感をともなう演出とペーソス風味のアイロニーの積み重ねによってなんとも痛ましく心に響いてくる。アイルランドの田舎町、去勢された者たちに囲まれ生きるカップルを演じる主演ふたりは決して達者ではないものの、彼らにしか見せられない決定的な表情や瞬間を映画の中に何度も咲かせている。それにしても、恋愛にしろ性愛にしろ家族愛にしろ、我々が抱く「愛」とは一体なんなのだろう。
前作「ペイン・アンド・グローリー」で作家としてのすべてを出しきったかに見えた名匠ペドロ・アルモドバル。だが、どうやらあれは序の口だったようで、盟友ペネロペ・クルスとふたたび組んだ本作ではその極彩色の欲望を画面狭しと塗りたくっている。近年映画祭監督界隈がしばしば取り上げてきた「親子の取り違え」という主題もアルモドバルの手にかかると、苦い勝利を落とし所とする家族劇からは遠く離れて、フランコ政権の暗い記憶さえも踏み越える力強い肯定の歩みへと変わる。
ものすごく悪いやつをものすごく善いやつが捕まえようとする、前時代的といってもいい構図をサクサクブスブスズタズタ、おなじみコリアン・ヴァイオレンスの雨あられが満たしていく。小休止として差し込まれるコメディ・リリーフはなかなかウィッティーで、主演のマ・ドンソクのアクションにはその身体に基づいた圧倒的な説得力がある。一方、相手役を演ずるソン・ソックは顔も怖いし、相当がんばってはいるもののミスキャスト気味で、最後までゾッとさせられることはなかった。
日ごろ酒をほとんど飲まず、酒の中でもどこか高級な印象のあるワインとはまったくもって縁遠い筆者は「どうやらロマネ・コンティなる銘柄が世界一のワインらしい」というレベルの予備知識しか持っていなかったため、ワイン造りのドキュメンタリーに果たして興味が持てるだろうかという不安を抱えての鑑賞となったが、登場するソムリエ、ソムリエールたちが一流の詩人のような言葉をもって語るワインの味や深みについて聞いているうちに、気がついたらサイゼの片隅に着席していた。