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クローンと自分自身のバトルというのは映画ではお馴染みの主題である。物語解釈では昔からドッペルゲンガーとして知られる自己像幻視の心理現象。それが特にこのメディアと相性が良かった。複製像はこっちを必ず見下した態度を取るものらしいな。ヴァリエイションも様々。多元宇宙でジェット・リーが大勢の自分と闘ったりもした。しかしこの映画は、アクションあってこそという本来あるべき姿から離れている。無意味なクローン化のせいで自分も無意味になっちゃうという話かな。
もちろん偉大な女性科学者の伝記映画だが、原題を読めば分かるように放射能科学のその後、半世紀の推移も見据えた作りになっている。広島での原爆使用から戦後の核実験(高性能爆弾開発)、さらに旧ソ連体制下の原発事故まで。そこでは医療への活用という肯定的な側面も紹介されてはいるのだが、彼女が生きている時から人体への放射能の甚大な影響はとっくに知られていたというのが怖い。やっぱり知っててもやるのが科学者だ。愛人との生々しいスキャンダル事件も見どころたっぷり。
クリエイションも創設者アラン・マッギーも知らず、オアシスというグループの名前も初めて聞いた私では、この映画をきちんと評価できるはずもないのだが、製作総指揮ダニー・ボイルという一点でどうにかする。言うまでもなく「トレインスポッティング」の監督であり、90年代末英国カルチャーの新しい潮流を描く意図は明白。英国映画は編集が元から得意なのでドキュドラマ&MTVという路線が切れ味満点。しかし最注目はアーヴィン・ウェルシュの体制批判的な辛口脚本にある。
横文字のせいで、タイトルが「大阪美人」を意味すると気づくのに時間が要った。外国人から見る日本が背景だというのは当然。だが、大阪という未知の文化圏に誘われるヨーロッパ人の彼女の自分探しがメイン・テーマというのでは結局、異文化がダシに使われているだけという限界はあろう。カプセルホテルが珍しいみたいで、この手の映画にはかなり登場する。最初から現れる謎の日本系フランス美女の正体が鍵だがとても薄っぺらい。スケールが大きい割に展開がせせこましい感じだ。
辻褄の合わない世界に傀儡人形のような人間たちが蠢くあり様は、明らかにヨルゴス・ランティモスの映画にも接近する。だからこそそこでは、精緻に作り込まれているわけではない設定までが異様さへとなりうる。もしも自分とうりふたつのクローンが生まれたらどうするか、という命題から展開は二転三転してゆくが、行き着いた先の結末にはもう一捻り欲しかった。「ガンパウダー・ミルクシェイク」から続く、カレン・ギランの身体性を生かしたアクションやダンスシーンは一見の価値あり。
この伝記映画は男性中心的な科学界において功績を残した「キュリー夫人」ことマリの偉大さを過度に称えるのでもなく、女性差別を殊更に糾弾するのでもなく、彼女の人生そのものをありのまま映し出したいようである。だからこそラストにまで位置付けられている夫ピエールとのロマンティックな関係の濃密さは、いかに性差別による不当な処遇と彼への深い愛情の中で生きたかというマリのジレンマを裏付ける為に必然性があるともいえるが、この時代にそれが合致しているかは疑問が残る。
音楽業界にまつわる伝記映画によくあるドラッグやアルコール、セラピーなどの描写がどこかでみたことのあるようなものでしかなく、この映画の独自性がどこにあるのか頭を抱える。人物描写も荒く、アラン・マッギーにどんな天性があり「音楽シーンを塗り替え」るまでに至ったのかも丁寧には描かれず、多くの要素が雑多で映画の要点を摑めない。オアシスのサウンドトラックに浸りながらノスタルジーに浸るのであれば事足りるかもしれないが、それ以上のカタルシスはもたらされない。
男を介して出会った女二人がお互いに歪み合い、キャットファイトを繰り広げてゆく……というクリシェを予感させるムードを覆して関係を結ぶオープニングと、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」とレオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」が溶け合ったようなラストシーンだけを観れば十分に傑作になりえたかもしれないが、その中間で行われる「ブレット・トレイン」さながらの異質な日本で行われる展開が彼女の“気づき”を誘引するにはやや弱いのでは。
映画史の根幹に鎮座するドッペルゲンガーものということで期待していたが、冒頭の「決闘」シーンのサスペンス演出のつたなさから早くも暗雲が立ち込めはじめる。そもそもどうして死にゆく人間が自分の複製を作ろうとするのかまったくわからない。土台もなく出港した物語はただただ作者の都合によってある仕掛けに向け邁進し、なぜヒロインがこのような非人間的な人間になったのかという最低限の背景描写に停泊することもなく、自己満足の暗い海をさまよいつづける。
キュリー夫人というとそのキャッチーな名称と裏腹に、小学校の教室にある自伝本コーナーでも最後まで取り残されることが多い、なんとも地味な偉人だという印象がある。そんな印象を払拭するなにかを提供しようとキュリー夫人演ずるロザムンド・パイクは熱演をつづけるが、作者の政治思想を披瀝するためにとってつけたような説教くさいドラマと記号的に挿入される放射能がらみの歴史的事象がわれわれの意識を「核で敵国を脅しあう」進歩のない現実へと引き戻す。
あまりにも最高な再現ドラマ。オープニングでプライマル・スクリームの〈Rocks〉がかかった瞬間自動的に身をゆらさずにはいられない90’sUKロック狂である筆者は本作の主人公であるレコード・レーベル「クリエイション・レコーズ」のオーナー、アラン・マッギーこそがロックの神に選ばれた救世主だったのではないかと妄想せずにはいられなかった。だって一体どんな人間がボビー・ギレスピーと幼なじみで、マイブラの代表作をプロデュースし、オアシスを発見できるのだろう。
「ロスト・イン・トランスレーション」にしろ「バベル」にしろ、筆者は外国人監督が日本の風景をとらえた作品がなんだか好きである。それはそうした作品が己の日々生きる景色に外的な視座を差し込んでくれるからかもしれない。ノルウェーのカメラマンがとらえた本作の大阪には北欧のオーロラや雪原に負けぬ艶があり、ヒロインのヴィクトリア・カルメン・ソンネをはじめ俳優たちはいずれもたいそう魅力的に写っている。だからこそ後半の展開をもうひとがんばりしてほしかったのだけれど。