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「もっと超越した所へ。」もそうだが、作り手の独りよがりな想いを反映した、作品の中身がまったく伝わらない(だから必然的に覚えにくい)タイトルは日本映画の悪癖だと常々言っているのだが、なるほど、この作品は長崎俊一の抽象的な想いそのものが作品の中心にある。同じく、偶然が二つ以上重なった無理のある設定も日本映画の悪癖だと常々言っているのだが、その冒頭の設定から辛抱強くリアルな心理劇を紡ぎ出していく手腕はさすが。しかし、一体これは何の話だったのだろう?
目の前で起こっている出来事の凄惨さと登場人物たちの怖がり方の軽さに齟齬が生じているとしか思えないなど、シリアスなホラー映画として向き合うとどうにも居心地が悪い。しかし、中盤から急にティーンムービー的なトーン&マナーに転換したところで、作り手がやろうとしていることが分かった。これは日本映画では稀な、ハリウッドのカラッとした学園ホラーの系譜にある作品。ワーナーのローカルプロダクション作品であることも含め、そのトライアルは支持したい。
劇中で新型コロナウイルスの話題が出てくるまで、まさか時代設定が現在の物語だとは思わなかった。プロダクションデザイン、スタイリング、台詞、及び台詞に出てくる固有名詞などすべてが時代遅れ。並行して描かれる4組のカップルは、ことごとく憧憬(フィクション映画が要請する原理的欲求)にはほど遠く、かといって「あるある」的な共感を生み出すわけでもない。最初、テーマの「クズ男」は女性視点ということなのかと思ったが、男性から見ても全員クズすぎて頭が痛くなった。
スポーツでも芸術でも才能の開花に必要なのは、昭和の漫画のようなシゴキやライバル同士の足の引っ張り合いなどの逆境ではなく、正しいタイミングで正しい場所にいること、つまり才能を高め合う仲間との出会いにある。そんな自明の事実を、小泉徳宏監督は「ちはやふる」三部作に続いて問答無用の説得力で描く。光や風や音の効果で、静的な「競技」に映画的カタルシスを生み出す演出法もさらに研ぎ澄まされている。横浜流星と清原果耶にとって、10年後にも誇れる代表作となるだろう。
かつて長崎俊一監督と言えば、自主制作の「ユキがロックを棄てた夏」、男闘呼組の4人が主演した 「ロックよ、静かに流れよ」「柔らかな頬」など、大いに感動、刺激されたものだが、本作はまったくいただけない。そもそも脚本がとんでもなくまとまりに欠け、いったい何を描きたいの? お人好しの歯科医院一家に突然迷い込んできた自己評価の低いお騒がせ女の話だが、後だしじゃんけんふうに無理やり一人息子とのラブストーリーに仕立てあげ。タイトルも私には意味不明。
高校が舞台の死のループとは、その仕掛けがどうあれ、かなり悪趣味。毎日、誰かが血まみれで死んだり殺されたりしても、ループ映画の約束ごとで翌日には振り出しに。その繰り返しの中で、巻き込まれた6人の高校生たちのキャラや関係とループの謎が見えてくるのだが、羽住監督、青春群像劇、それもアイドル系若手俳優のパニックムービーふうに演出しているのは達者で、当然、それぞれに見せ場がある。とはいえ死を青春ゲーム化するとは、娯楽映画と分かっていても気色悪い。
すでにまがりなりにも巣を持つ彼女たちと、渡り鳥のような男ども。いや、鳥ならまだ、跡を濁さず去っていくが、堂々巡りのこのくだらなさは、そのくだらなこそがこの作品の見どころで、イライラしつつじっと我慢。根本宗子の舞台のことはまったく知らないが、4組、8人の男女はかなり特殊で、OLやサラリーマンは一人も登場せず、全員不安定な自由業系。各カップルのグダグダしたやりとりはみな室内で進行、あげく破れ鍋に綴じ蓋の伝で、世は事もなし。女優の方々、お疲れ様。
一見静謐なイメージがある水墨画を、映像パフォーマンスで鮮やかに立体化した小泉監督と技術スタッフに感心する。まっ白な紙には無限の可能性がある、という台詞があるが、主人公を白紙に見立てた墨すりからの展開は、スポ根ドラマに近い要素やエピソードもあり、しかも普遍的。師匠以下、どの人物にもお茶目なぬくもりがあるのも粋で、けれども芯はピーン。特に江口洋介のキャラ。水墨画によるラストのクレジットのパフォーマンスも遊びがあり、アートと青春、まさに絵になる。
暗い色の血が流れるヤバイ映画の監督と知ってるからついそういうところを探してしまう。もうそれはないようにも思えるけれど見えないところを流れていると感じつつ観た。私はすごいピーキーな女性とつきあってたことがあって何度も泥酔昏倒を背負って帰り、ぞっとするような喧嘩を繰り返した。すごい好きだったけどこいつ狂ってると思ったが、当時の自分も狂ってたとのちに気づいた。近代日本文学の狂った女性を書いてる男も、実はそっちこそ狂ってた。その地平に立つ恋愛映画。
初っ端の橋本環奈が受けるマイルドいじめに、いやー自分の子がこんなことされてたらする側の子らを即座にこの世から卒業させたくなるなー、と思って観てたら橋本氏含む主要人物惨死、そこからループが始まり彼女らは生きなおし解脱のため謎解きとバトルをし、そのなかで伸びやかな若者として友愛で結ばれていく。バカは死ななきゃなおらないし人はただ一度生きるのみだがトリッキーな青春映画として悪くない。青春のキラッキラを体現したのが女優陣でなく醍醐虎汰朗なのが愉快。
相当に面白い。人間観察とキャラ造形がいい。BL好きとか気のおけないゲイの友人がいたらと思う女性に冷や水をぶっかけるような悪魔的千葉雄大とか。また「男たちの挽歌2」以来の、米飯への愛をかきたてる映画。ただラスト十数分、宇都宮釣り天井というか清順的セット解体というかメタ的大技繰り出して、しかし主人公らが回帰を志向するのに、ええーっと驚かされる。この、ええー、は半音下がる。超越しねえ! アイロニーの映画か。あとセックス(描写)はオンにすべきだったと。
三浦友和の分厚さ。横浜流星の清潔さ。江口洋介の渋さ、特に彼の役柄が浮上するところの鮮やかさ。好感をもって観た。表現関係の教育について。私が用務員のおじさんみたいなことをしていた映画学校の誠実さを湛えた裏標語は「教えられるのは技術だけ」だったし、それは自分がのちに映画ライター講座の講師をやったときにもっとはっきり「発想、創意、根本の熱は教えられない。教えるべきではない。本人が発見する以外ない」と実感された。本作にはそういうことが描かれている。