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この企画は映画としてどうこういう質のものではない。もちろん時宜にかなった仕上がりなので多くの方に見てほしい。ウクライナ領土問題の異なる立論を親ロシア側、ウクライナ側双方に取材し報告する写真家の活動記録。平和というのがいかに危ういバランスの上で成り立っているものか、この映画を見ればよく分かる。プーチン氏の領土的被害妄想は彼の出身がKGBだからなのだろうが、彼をもてはやした国際社会や政府の事なかれ主義にも責任はある。欺瞞的平和のありがたさを思う。
知らない人はいないだろうが、このお方は単に一グループの音楽的リーダーに留まらず、ある時代の音楽的気分や志向性を独力で創造してきた。幻覚的なテレミン奏法とか浮遊感あふれる旋律と編曲コーラスの相互作用とか。日本にはビーチ・ボーイズの追従者は現れなかったもののグループ・サウンズの音楽の基底に影響は歴然。本作は人気の絶頂で突然ステージから降りた事情をブライアン本人の言葉で語る好企画。長年の友人であるインタビュアーのアシスタンスが心地よい成果となった。
本作は人間狩り物の変種。代表作に「猟奇島」がある。監禁盲者物でもある。ここでは「狩る」方が盲者というのが効く。彼女は光の方向は感知できる。サポート・アプリを使って目標を探るわけだが、物語設定が疑問。せめて主人公の特技を活かしたかった。彼女に倫理観が欠如しているのもヘン。プロットをひねったつもりだったのだろうが逆効果。悪銭だからちょろまかしても全く構わない、などと主人公が考えたら映画にならない。警察官に対する脚本の非情な態度で嫌な気分もつのる。
原作は投稿ツイートでそのリアルタイム感覚がポイント。全世界で評判を取ったとか。そこは私じゃ了解不能だが。ポールダンスのエキスパート女性が知り合ったばかりの同業者に誘われ、仕事の旅に出る。私は下品なのは超得意だが、下品プラスアルファが欲しい。日本語字幕でも閉口するお下劣度だから英語が分かればもっと閉口するのだろう。分からなくて良かった。文字メディアを映像化するのは理に適った行為なので文句はないが、ツイートの応酬合戦の皮肉さは出ていない感じだな。
ピスキ最後の住人であるソニャという老人女性のインタビュー部分では、彼女の話を聞いていくと、ふいに彼女にカメラを向ける撮影者も画面内に映し出される。その撮影者は、さらに彼女に答えさせていることを謝罪する。とくに遠く離れた日本において彼ら/彼女たちの悲痛の叫びは、ややもすれば情動的な受容に絡めとられそうになるところを、その撮影者の介入によってこの映画が作られたドラマではなく切り取られた現実であることを意識させる効果として機能しているように見えた。
ブライアン・ウィルソンについてはまったく知らない状態での鑑賞。立て続けに観ていたアメリカのアーティストの自伝映画やドキュメンタリー映画のほとんどが酒やドラッグでの凋落のストーリーだったからか、違う趣向からの作品でその意味で新鮮に観た。ウィルソンへの愛に溢れているのは重々伝わってくるものの、唯一心を開いているという編集者との車内での対話が一つの主軸で語られていき、ややハイコンテクストでもあり、彼を知るための作品ではなくファン向けのように思えた。
まず真っ先に彷彿としたのが「THE GUILTY/ギルティ」だが、本作も負けず劣らずの秀作。序盤で提示された主人公の元スキー選手としての経歴、窃盗癖、人の助けを借りない頑固さ、ワインなどいくつもの要素が、後の展開にそれぞれ巧妙に絡んでくる。ただ、主人公が目の見えない設定でありながら、彼女の聞いている音にはそこまで興味がないようにも思えた。スリラーに見えてその実、これは「信頼できるガイド」を得て新たな人生を踏み出すための一人の少女の物語でもある。
16㎜フィルムで撮影された画のざらつきが、ソーシャルメディアの投稿を基にした映画の現代性とミスマッチを起こして味わい深さを演出する。黒人女性のゾラの怪訝な睥睨を映すショット(とヴォイス・オーバー)が映画を終始貫き、彼女が白人女性/社会への批評性を担う。そうでなければこの作品自体が成り立たないといってもよい。だからこそ白人女性であるステファニがこの物語を語り出そうとしたとき、それはまったくのデタラメで彼女が語り部にはなり得ないことを強調している。
ユーロ加盟をのぞむウクライナ市民によって2013年に起きた大衆デモ・ユーロマイダンから今年ロシアがウクライナに侵攻するまでの流れを、親露・反露派両方の立場から描く。ユニークなのは監督が同じく親露・反露派を抱えるスロバキア人であることだ。大きなモノの一部として安寧に生きたいと願いながらも、自由を手にし独立した個でなければ生の意味などないという近代の十字架を背負った人類をもてあそび蹂躙する上からの純粋暴力にわれわれはどう立ち向かえばいいのだろうか。採点不能
おそらくビーチ・ボーイズが全盛期をむかえる前から天使と悪魔が飛び交う冥界をのぞきこんでしまっていたブライアン・ウィルソンの、当時から今にいたるまで変わらないうつろなまなざしを見ているとどうにも胸がしめつけられるのだが、あれから60年近くの歳月が経ち、人間の領分をはるかに超えた天命を受け取ってしまったこの存在がそれを存命中にどうにかやり過ごし、友人や家族と散歩やドライブに出かけられる程度の日常を取り戻せた奇跡を思うと感動せずにはいられない。
本作は盲目の元軍人が自宅に押し入った強盗と相対する映画「ドント・ブリーズ」の陰画のような作品だ。ただし本作のヒロインは「ドント・ブリーズ」のおっさんや座頭市のような超人ではなく、トラウマを抱えた元アスリートの盲女であり、行動は常にビデオアプリや通話相手からの指示に規定されることになる。その迂回がうまくサスペンスに昇華されていない点は気になったが、触覚に訴える演出の数々は一寸先も見えない暗がりの中を生きる我々の時代感覚と共鳴してるように思えた。
特定の規則に基づくわけでなくたえまなく切り替わる視点や一貫性を欠くカッティング、そして世界のあちこちからあふれ出る音が「いま」のわたしたちが世界を認知している距離と限りなく近いように思われ、その再現性に感激していた。「2022年に生きる人類」の究極の主観映画というか。そんな中、車内でヒロインたちがミーゴスの〈ハンナ・モンタナ〉を歌い踊るシーンはなぜだか「悪魔のいけにえ」を想起させ、それでも追いすがってくる歴史も乗せて我らの未来への旅はつづく。