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パワハラNOの時代にバリバリ体育会系の高校野球部の話をやるなんて、なんと時代に逆行した(笑)。いや、パワハラの中にも豊かな人間関係があるという価値観だってあるとは思う。でもそれをやるなら、サバイブ出来なかった「脱落組」の痛みや怒りも描かなきゃ。一年生も二年生になったら同じパワハラ先輩になるというオチじゃ、結局全肯定にしか見えない。時代に合わせる必要はないけど、体育会体質を笑うなら、そこに本質的な批評がなければ。このバラエティ乗り、配信で十分では。
「花恋」へのカウンターだった脚本作に続き、監督作は「ドライブ・マイ・カー」へのカウンター。小さな話を大きく映画的に見せる秘密を教えて欲しい。役者に不自然な動きをさせているのに自然という離れ業。女の話から男の話への流れるような展開。元妻探しの赤い車での旅はやがて北海道へ。そしてまさかの樺太。一見無駄に見えるものが無駄ではないという台詞と構成。脚本、誰かと思ったら、井土紀州。オリジナルなのだから冒頭に脚本家名をクレジットしてほしかった。それだけが残念。
申し訳ないけれど、全く乗れなかった。丁寧に作ってあるし、ロケーションもいい。なのに映画の匂いがしない。エピソードが団子だからか。芝居が一様にベタだからか。底に流れる思想か。ラストは島で30年ぶりの結婚式。ということは人口流出が続いたということ。少女の父はアル中を克服し、母にやり直そうと言う。でも酒に走った理由は描かれない。本作はそういう負の要素を周到に避ける。それと結婚や家族の再生が大団円というのはいい加減やめないか。そんなのキセキでも何でもない。
観ている間ずっと怒りに震えていた。この国はどこまで外国人(欧米人除く)に対して残酷になれるのか。その差別的政策が在日朝鮮韓国人から綿々と受け継がれていたとは。自分はなぜ朝鮮学校無償化除外にNOの声を上げなかったのか。それだけじゃない。技能実習生、難民、入管もそう。ワタシタチハニンゲンダと外国人が言う。ならば、これを見て見ぬフリをしているワタシタチハニンゲンジャナイ。こういう映画こそ外国で上映し、この国の最低さを知らしめて欲しい。もうバレてるか。
ベタベタの昭和的感覚の高校野球部を目いっぱい誇張して描いている。こういう世界が珍妙なギャグでしかなくなったということなのか、あるいは甘酸っぱいロマンになってしまったということなのか。そんな余計なことばかり考えてしまった。現実の大谷翔平のプレイがフィクションをはるかに凌駕している今日、血沸き肉躍る野球映画はもう成立しないのかもしれない。還暦の小沢仁志が高校球児を演じるのも、ギャグというより、現実に対するフィクションの敗北と思えてきた。
喪失感を抱えた女と男の不器用な出会い。同時公開の「あいたくて あいたくて あいたくて」と同じ主題であり、この作品の新藤まなみと吉村界人もまた、どうにももどかしく、どうにも切ない。いまおかしんじ的世界の女と男である。健気に振る舞う新藤と、過去をひきずる吉村。北海道への旅やシャワーカーテン越しの妻との再会は「パリ、テキサス」そのものだけど、豆粒のようにとらえた人物の絶え間ない身振りと、その背後に大きくとらえた海や川の光景が、じわじわと胸に浸みてくる。
小学校の児童が数人しかいない瀬戸内の小さな島の物語なのだが、主人公の少女だけでなく、およそあらゆる登場人物がそれぞれに心の傷を抱えている。両親の不和、自身の離婚、親の病、子どもの死……。どれも家庭に起因する傷だ。生きづらさを抱えた人々がどう恢復していくか。そんな島の癒しの力を、子どもたちのひと夏の冒険に重ねて描いているところがこの作品の魅力。久しぶりの映画出演となる加藤ローサが、アラフォーのシングルマザーとしていい味を出している。
出入国管理局の被収容者に対する非人道的な処遇が問題になっているが、そもそも日本における外国人差別の根はどこにあるのか。高賛侑監督は朝鮮戦争を背景にGHQと政府が進めた戦後の逆コースにそれを求める。1949年の朝鮮人学校閉鎖令と51年の出入国管理令。在日韓国・朝鮮人に対する差別は、出稼ぎ労働者や難民といったニューカマーも被る。技能実習生や非正規滞在者に対する人権侵害を、この国の入管政策の流れに沿って明確に位置付けていて、説得力がある。
“高校球児”と一括りにするには無理ありすぎの面々を含む俳優陣と、個性派群像劇も得意な飯塚健監督が一丸となって紡ぐ、笑いさえ込み上げる野球部残酷物語だが、甲子園やレギュラーを懸けて争うスポ根ものの劇的さとは無縁。そこへ到るまでの練習の積み重ねこそが野球の神髄で、いつの時代も丸坊主を強いられる高校野球や、そんな暗黒期の反動もあってか、派手に個々をアピールしがちなプロのプレーの醍醐味も、そこに遡ると改めて気づかせてくれる、地に足ついた青春コメディ。
配偶者と不本意なかたちで破局した男女が急接近する前半は、振り切った陰と陽のコントラストを織り成すキャラクター同士の掛け合いも、スクリューボール・コメディ調で軽妙。ロードムービーに移行する後半では一転、「パリ、テキサス」を思い起こしたりもする失踪中の妻との邂逅シーンを境に不穏な気配が舞い込み、満を持してのラブシーンにも、どことなく乾いた空気が漂う。その答え合わせらしきものも台詞でされるが、ふたりの感情の糸がもつれたままにも見え、曖昧な余韻が残った。
ちいさな島なのに、主要な登場人物の大半が、老若男女問わず苦悩や葛藤を抱えているため、どうしても描写が広く浅くなる中で、木野花と嶋田久作コンビが、さりげない間合いや言外にも紆余曲折の30年間を忍ばせ、見せ場をつくる。しかし、幼い実の娘をパニック障害へと追いやってしまうほど深刻な依存症と格闘中のはずの外科医にまで、あまりにあっさりと再起を促すのは、かつての過ちも見逃すことなく糾弾され尽くす時勢などを鑑みても、甘ったるいファンタジーに映る。
民を守るべきはずの法律を、体制側の都合で改変し、解釈をも歪め続けてきた日本近代史は、そのまま差別の歴史でもあるという忌むべき事実を、否応なく突きつけられる。未だ進展が滞る数々の問題を、過去と絡めながら一層深く理解するための教材としても、幅広い世代のあいだで活発な議論が生まれることを望む力篇でもある。差別し排除する側も人間であるグロテスクな恐ろしさや、その根底に潜む闇のようなものにまで踏み込めていたら、さらに傑作になっていたのではとも思う。