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冒頭で観客に予想させる熟年2人のロマンスは、しかし一向に駆動することはなく、それぞれのそれなりに複雑ではあるけれどありきたりな生活が、まるで家族や友人の一員のように被写体から近いカメラによって丁寧に描写されていく。日常のやりとりと肉体関係のあっけないほどの近さをこれほど自然に捉えることができるのも、ピンク映画出身のいまおか監督ならでは。個人的にはこの作品世界に魅了される要素は一つもないけれど、的確な尺の短さも含めて欠点らしい欠点がない。
日本芸能界は「行政」によってこれまで多くのスターを捏造してきたわけだが、現在のティーン層における橋本環奈人気は本物。そのことからわかるのは、人気と出演作の品質はまったく何の関係もないということだ。しかし、そうしたビギナーズ世代に向けた映画作品で、不遜にもジャンル映画の呼称を作品のタイトルに冠してこのレベルのやっつけ仕事をするのは、「観客を育てる」という観点からすると犯罪的。審美眼の欠片もない音楽全般が、作り手の文化的背景の空虚さを象徴している。
国内メジャー配給のいわゆる感動ポルノ映画は稀に良作もあるので侮れないのだが、本作では脚本家(=原作者)や監督が頭の中で物語をこねくり回した結果、細かい設定の齟齬が重なって違和感ばかりが前景化している。やはり、建前であっても「実話を元にした物語」みたいな前提がもたらす説得力は重要なのだろう。まるで音声解説のようなナレーションの多用からも、監督がこの「絵に描いた餅」のような物語を信用しきれていない様子がうかがえる。いや、信用してないのは観客か。
「現代社会におけるアートの役割とは何か?」というマキシマムなテーマを「アート不感症になったボク」のミニマムな視点から綴っていく二部作3時間強。まず、(自分にとっても多くの人にとっても)誰だかまったく知らない語り手の「アート不感症になったボク」という視点や感性を勝手に共有させられるのがツラい。そういう肥大化した自己と客観性の欠如は、図らずも現代アートの諸問題とも通じている。ただ、作中の一部美術関係者の言葉には耳を傾けるべきものがあった。
このところ、生活感のある等身大仕立てのいまおかしんじ映画が目立つ。脚本・監督作以外にも、脚本家、監督としての作品があり、さらに 「激怒」では俳優として顔を出している。近々公開の監督作「神田川のふたり」も成り行き狙いの長回し。本作はひょんなことからネットでやり取りをする中年男女のすれ違いドラマで、互いに会ったことはないが、実は彼らは何度も道ですれ違っている。2人をめぐる、どうってことのないリアルなエピソードはこの監督の持ち味なのだろうが、チト食傷。
橋本環奈のアクロバット的な殺し屋アクションが売りの娯楽作だと割り切って観ればそれなりに。ただ動くフィギュアのような殺し屋娘の歩調に合わせたせいか、どの人物もどのキャラクターもプラスチック板のように薄っぺらなのにはマイッタ。どんなに荒唐無稽でふざけたアクション映画でも、観ているこちらが一緒に走れる何かがあればいいのに、殺しをめぐるエピソードがあるだけ。あらためて昨年作「ベイビーわるきゅーれ」の“ゆるくてマジ怖”ギャルの殺し屋コンビを思いだしたり。
こじつけを承知で書けば、白い大型犬ハウは、人間中心主義のこの映画で、岩手県生まれの詩人・宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をそっくりやらされている。うっかり長距離トラックに乗り込んでしまったハウが、雨風にも負けずに青森から飼い主のいる横浜を目指す道中劇。むろん岩手にもしっかり立ち寄る。その土地 ごとにハウは、様々な人間と関わり「ホメラレモセズ クニモサレズ」に去っていくのだが、素直に観れば一般受けのする感動作に仕上がっているのだろうが、私にはいやらしい。
アートといってもピンからキリまであり、すぐに崩れて消えてしまう飛行機雲だってアートと思えばアートになる。本作は、そんな混沌とした日本、そして世界のアート界の実情にあれこれイチャモン、いや疑問や質問を、実例を提示しながらぶつけていくのだが、それに応じる美術の専門家や関係者たちの饒舌と言うか、言葉数の多さはちょっと降参したくなるほどで、はっきり言って、耳から、いや右から左。発言者の映像がすべてモノクロなのは、何かの皮肉? 第二部は気楽に楽しめる。
丸純子さんの可愛らしさがちょっとジェニファー・コネリー級で衝撃的。二十歳くらいの年の娘がある女性の役ということもはっきりしてるしその年齢相応の様子でしかし可愛い。いまおかしんじ監督作品の日常自然体描写の生活感を生きるヒロインは、監督自身の加齢に応じてだんだん年齢があがってきている感じで、もうこれは本来ポルノ的企画であったとしても、男性が女性のセクシャルさを窃視する、搾取することを越えて、年配のひとの恋愛とセックスを捉えた映画になっている。
橋本環奈さんのスタイルのよさ、運動神経を疑いはしないがちょっと加工が過ぎてガールアクションとして乗れない。個人的にはほとんどフェティッシュに女性アクション映画を観ているが十代の頃シリアスにスポーツをしていたので男女のフィジカル差に対するリアリズムもあり、その種の映画とヒロインにはそこを越えてくる表現を求める。「キル・ビル」のユマ・サーマン、韓国映画「悪女」などはいまいち。ミシェル・ヨーや、「ベイビーわるきゅーれ」はバッチグー。本作は前者。
微温湯的な愛犬ものか、と思いきや、ところどころにゴツゴツとした骨を感じた。ホームレスには冷淡なのにペットには想いを注ぐ人間社会、ということまで描きたかった気配を感じる。そのかわりサイコパス的なひとが多数登場する。犬のおかげで人間が外から見られている映画になっている。屋外で長い時間を過ごさざるをえないもの、故郷喪失者、護られないものたちに幸あれ、とも謳う。800キロ旅して感動の再会でしょと思ったらもうひとつひっくり返した。その別れがよかった。
長大だが無駄はない面白いドキュメンタリー。アート関係者インタビュイーらの証言ごとに幾つも発見があり、数枚ずつ目から鱗がはがれ、全篇観終えたら足元に鱗が山積みになる。町田康のイントネーションだけ関西弁ナレーションもいい。というかあのユーモアがなければ監督自身の問題である「アート不感症」に観客は不干渉となってついていけなかった。政治性に対する及び腰など、個人的な偏向も強い作品だが、本作が表すのは大きく普遍的なものであり、すげえ観てよかった。