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「信じること」をめぐるテーマの処理についてはやや納得いかない部分もあるものの、わかりやすすぎるぐらいの隠喩やエピソードをいくつも用いて社会風刺を行っているにもかかわらず、全篇がなんともいえない奇妙なユーモアに貫かれていることで、いやらしさとは無縁のきわめて抜けの良いポップでオリジナルな感覚に溢れたコメディとして成立している。なぜこの俳優がこの役を、と思わなくもない豪華キャスト陣起用の意外性も、小ネタの不思議な味と相まっていずれも効果的。
事実関係を忠実に辿る一方で、アフリカ系のフォレスト・ウィテカーに記者役の架空の人物を演じさせた判断は、90年代LAの人種間対立と事件の捜査を必要以上に関連づけようとするような見方をあらかじめ退け、事件そのもの以上に真相を追うプールの姿に観客の注意を向けさせるという点で奏功している。陰謀論が跋扈するポスト真実の時代である今だからこそ、近年自身も真実をめぐる対立に苦しめられてきたジョニー・デップが愚直に真実を追求する姿は、より貴重なものとして映る。
SNS時代のタイ版「ブロークン・フラワーズ」といった趣のA面は、難病という重い主題とコミカルな軽さのバランスが絶妙。カセットテープが裏返るとともに、一転してそれまで親友の旅に付き添ってきたBOSSが中心となる、よりシリアスなB面の物語が開始する趣向も面白い。ラジオやテープといったオールドメディアとスマホ、それぞれの美点を巧みに生かしつつ、現代を舞台にベタで古風な物語を説得力のある形で語り切った脚本の魅力を、若手俳優陣が瑞々しく具現化した快作。
妻の複雑な人間性と向き合えない夫の有害な男性性に焦点を当てることで、従来のファム・ファタールものとは異なる男女の関係性を描こうとしたと思しき試みは、ちょっとした目線の外し方や些細な仕草だけで男心をこれでもかとばかりに翻弄するレア・セドゥが、あまりにも完璧に夫を狂わせるファム・ファタールを体現してしまっているがゆえに、かえって失敗しているように思える。丸坊主でも笑ってしまうぐらいにイケメンのルイ・ガレルは、若く知的な間男として見事なハマりぶり。
ユニークな世界観と人物たちによるクウォーキーな映画では、彼らを愛おしく思ってしまう、風変わりな細かい描写が重要になってくるだろう。その点で乗れないところが多々あった。例えば、主人公が勤める病院のタイムカードは、なぜかロイター板が必要なほど高いところに設置されている。そのうえで、それをわざわざ後ろ向きで押そうとする変わった場面があるのだが、そのアクロバティックな行動をきちんと見せずにカットを割って処理をする。本作のそういった選択は支持できない。
多くの側面から成り立っている映画に見える。当然ラッパー二人が銃殺された未解決事件の真犯人は誰かという真相を追う映画ではある。それと同時に、ロサンゼルス市警の汚職を告発する側面も強く、また二人のラッパーの対立を煽ったメディアの罪についての要素もある。そして20年間もの間事件を追い続けた元刑事とその家族についての映画でもある。それら様々な要素を盛り込み多角的に事件を捉えようとする志はとても高いが、その分散漫になってしまっている箇所もあるように見える。
ロードムービーとは今ここではないどこかを希求する映画だ。現状の社会や価値観から逃避し、外の世界を渇望する。しかし余命いくばくかの男は、自分の過去を清算しようと、外ではなく自らの内へ向かっていく。そこには郷愁と後悔と少しの慰めがあるばかりで、風景と共に自身が変わることはない。本作が面白いのは旅の主役である男と比較して、付き添いの男が旅を進めるうちにどんどん魅力的になっていくところ。そうしてクライマックス、一挙に旅の主役が反転するつくりは上手い。
男を翻弄する役どころを演じたレア・セドゥの魅力に、良し悪しの大半がかかっているような作品だ。従来ならファム・ファタールと呼ばれていたであろうその役は、監督自らファム・ファタールの物語ではないと明言している通り、自覚的に現実的な一人の女性として描かれているだろう。しかし、女の現実的な側面を直視することなく、ミステリアスな謎を幻視する男は、女の不確かさに勝手に苦悩する。こうした本作の皮肉な構造は、映画における男女のロマンスの鋭い批評にもなっている。
新しいようでどこか懐かしくもある不可思議さ。約40年前初めて「家族ゲーム」を観た日を思い出す。レントゲン写真(局部)、シンクホール、ローランドゴリラ、足の指に嵌る指輪、病室で飼われるなまず……。人を信じることの難儀さを、乾いた風景と笑い、さらに底にそっと敷かれた不気味さと共に描いた意欲作。「もし、あなたなら〜6つの視線」同様、国家人権委員会の企画とのことで、キャストも意外なほど豪華だ。イ・オクソプ×ク・ギョファンがもたらす風に、今後も刮目したい。
90年代実際に起こったHIPHOP界若きカリスマ二人の射殺事件。今も未解決である理由と秘められた真相に、王道かつ手堅い演出で切り込むサスペンス。RAPを交えテンポよく進んでゆくが、複雑な事件の概要を台詞で処理する部分も多く、すんなりとは咀嚼し難い。とはいえ、匍匐前進の如くじりじりと真相ににじり寄るほどに次なる謎が生じる「藪の中」状態は非常にスリリング。巨大な権力の下で闇に葬られる真実。よその国の昔の話ではない、皮肉にも時宜を得た主題に戦慄。
思い出と共に昔の恋人を一人一人訪ね歩くという「舞踏会の手帖」的展開の前半戦は、軽やかな滑り出しの冒頭からぐいぐい惹き込まれる。だが、中盤で一気に物語は思わぬ方向へ。前作「バッド・ジーニアス」にも感じた終盤の風呂敷の畳み方の手粗さは今回も見え隠れするものの、往年のウォン・カーウァイ作品を彷彿とさせる湿った叙情と爽やかな切なさが長く、いつまでも後を引く。刹那の人生と多生の縁。主演二人の存在感と人物造形も巧みで、個人的には前作以上に深く沁みた。
運命か偶然か。奇妙な出会いによって結ばれた妻への搔き消せぬ不安と疑念を、印象派の絵画を思わせる美しい映像と共にイルディコー・エニェディが繊細に映し出す。愛とは、夫婦とは、仕事と私生活の境とは 。1920年代から今も変わらぬ普遍の命題がリアルに響く。一方で監督が腐心したという、レア・セドゥ演じる妻をファム・ファタールとして描くまいという尽力が結果最後まで芯を摑みにくいモヤモヤを生んだきらいも。波光満ちる海上をたゆたう、長尺ゆえの心地よさが魅力。