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「日本のインディーズ映画の病」とも言える「奇妙な共同生活もの」がまた一つ。本作は若者たちの共同生活の背景にあるものを一切説明しないことで、映画としての強度に反転させようとしていて、それは部分的に成功している。岡山の限界集落の風景、そこで現在も生活する人々、真上からのアングルも含め執拗に捉えられる食卓。意味ありげなショットは、監督や脚本家の中では固有の意味を成しているのだろう(監督と脚本家が別人であることに驚いた)。商業映画としての評価は――。
監督のフィルモグラフィーをふまえれば、戦争犯罪やそれに準じる人類の愚かさに対する一貫したスタンスがわかる。しかし、本作だけを見せられたら、同時代に陸軍731部隊のような国家機関があった国の映画作家が、どうしてナチスによる子供の人体実験を題材にした作品の制作に12年も費やしたのか、うまく飲み込めない。中盤以降は延々と歴史に対峙する現代の人々の描写に費やされるイレギュラーな構成や、わかりにくいタイトルにも、作り手の独りよがりを感じた。
日本のインディーズ映画好きにとって、三木監督といえばこちらの三木聡監督。(内容はまた別の話だが)作品のルックに関しては、三木組そのままで臨んだ「大怪獣のあとしまつ」でメジャー作品にも適応できることを証明していたが、監督自身は本作のような極めて90年代インディーズ映画的なアーティフィシャルなルックとオフビートなノリに骨の髄まで愛着があるのだろう。すべてがチープなこの国にしかもはや存在し得ない、ガラパゴス映画の見本のような作品としか言いようがない。
1カ月に3本の新作が公開される三木孝浩監督。本作は昨年公開の「夏への扉 -キミのいる未来へ-」に続くSF作品で、本作の成否によってはティーンムービーに加えて作家としてのもう一つの軸ができるかどうかの瀬戸際。にしては、「ショート・サーキット」を記憶している世代にとってはストーリーの新味が乏しい。また、人気芸人を芸人のキャラクターやコンビの関係性のままスクリーンに放り出す「日本のメジャー映画の病」がここでも。かまいたちが好きだからこそ耐え難い。
令和の若いヒッピーたちは、過疎化で空き家になった古民家で騒ぐでもなく共同生活を送っていました。渓流で洗濯、風呂は枯木で沸かしたドラム缶。全員がきちんと座っての質素な食事は、なにやら修行僧のよう。(でも70分余の作品で食事の場面が7〜8回もあるのはどうなの?)布団を並べての雑魚寝も、園児たちのお昼寝よりもおとなしい。男女4人のそんな生活の中に若い女性が紛れ込み〜。寡黙で淡々とした描写は何ごとかと思わせるが、ポーズだけに終わっているのが、残念。
戦時下の生体実験は当時の日本でも行われていて、その事実を描いた映画もあるが、本作が取材し記録するナチによる子供たちへの実験は、あまりに酷く、言葉もない。現地に出向いての証拠写真や、当時を知る人々の証言はかなり広範囲で、中でもモルモット扱いをされた子供たち一人ひとりの顔写真と情報は胸を突く。その実験を始めたドイツ人医師の孫子親族からも話を聞き出している。記録映画としてはかなり感傷的な印象もしないではないが、全く腑に落ちないのは、本作のタイトル!!
まったく恐くはないが、かなり底意地の悪いコメディ寄りの怪異譚で、コンビニを異界化しているのがアイデア。ただし笑うどころではないエピソードも。主人公はパッとしない脚本家で、そんな彼の悪夢か妄想かと思わせつつ、異界と現実の境界を曖昧にして進行、映画プロデューサーとのやり取りなど、本作の裏ネタ? 名前や美術にもかなり遊びがあり、ジグザグ、ケルべロス、すすきの原、キツネの面etc。成田凌の演技も真面目に弾け、痛いオチも納得!やっぱり映画の眼目は、脚本だ。
どちらかと言えば、子供より大人向きの人間とロボットのバディムービーだが、それにしてはストーリーが幼稚で、他のキャラクターもコント並みの薄っぺら。錆びが目立つずんぐり型のロボットはそれなりに面白いが、二宮和也の主人公はいくらダメキャラと言っても無責任で歯がゆ過ぎ、実にもどかしい。そうなった原因というのがまたよくあるパターン。娯楽映画としてあなた任せで観ている分には楽しめるのだろうが、もう少しコクのある作品に仕上げてほしかった。ああ、もったいない。
今回本欄の別の映画で日本文化が脱色脱臭され、その素材がプラスティック的なものに置き換えられて幻想映画したのに比して、本作は素材感エレメント感土着感が強い。風土パワー全開で、その水、その霧、その草木を映像で見せることが、微細な情報量を持ち瞬間瞬間が唯一無二のものの記録でもあるために強い。ただのんびりしてしまって、仕掛け感、エンタメ度は低い。年配の方の素の語りの面白みが映っていた。それは同時に役者があれに迫らねばならないという課題も浮上させる。
ナレーション、意識的な構成によるオールドファッションなドキュメンタリーだがそのことの土性骨が重い題材をよく伝えている。変に手法が前面に出ては語れなかったろうと思う。ひとことも取材につけくわえての「さてこれに比して日本は」というものはないが、私は観ている間ずっと日本はドイツのような歴史教育してきたかできるか、を考えさせられた。犠牲となった子らの名を残すことを最後にもってくるつくりが良かった。感銘によって観客に訴え、刻むのだという意志を感じた。
プレス掲載の原案者マーク・シリング氏と三木聡監督の対談で明かされているのは、アメリカ人のシリング氏が日本のコンビニを寓話や神話の舞台になりうる場として見たこととそれに三木監督のノワール映画教養とファンタジー資質が結びついて本作は成立したということで、私は鑑賞後それを読んでなるほどと思った。ベクトルが逆のことを考えてたから。つげ義春みたいなものから日本ぽさ、土俗土着テイストを脱色したか、と思ったらそれはもとよりなかったと。シン・アングラだ。
二宮和也氏がいくつなのかちゃんとわかっていなかったのだが、もう永遠の二十代というイメージで、実際そういう見た目であることと、実は四十歳手前であってそういわれればそうかもということの変化球的落差がこの主人公そのもので、観てて、えっ弟じゃないの結婚してる男なの、おっ医者なの、あっ免許あるの、といちいち驚いたがその情報開示を通過するとまた彼はそのとおりに見えるのである。知らぬ間の成長譚に適役だった。また武田鉄矢氏の禍々しさには興奮させられた!