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これは常に自分の課題でもあるのだが、残念ながら戦争や社会的テーマを描いたドキュメンタリーは届く人にしか届かない。しかし表現者の端くれである以上、届かない人が見た時に内容だけはせめて届くものでありたい。そういう意味で被爆した郵便配達少年の本を書いた父を追体験する娘を描いた本作は届く映画だと思う。核武装が堂々と語られる今こそ、一人でも多くの人に見てほしい。「作家の義務は証言することだ」という言葉に勇気づけられる。それ以外に映画を作る意味はあるのか。
実在の未解決事件をそれを追った元刑事主演で映画にするなんて発想、どこから生まれるのか。素人とプロ俳優の融合も演出力がなければ出来ない。これで肝心のドラマがもう少しちゃんとしてたら。相棒となる女子大生が再捜査する動機が弱いのはいいとして、捜査で行き詰まってなお続ける執着が分からない。迷宮入りの理由も不明で、再捜査の目的が分からない。あの犯人なら逮捕出来たのでは。警察の闇なら闇が垣間見えないと。それでも観るべきだと思う。刺激的過ぎた。だから勿体ない。
本作に限ったことではないが、PFFスカラシップなので書くけど、才能を育てるというのは自由に作らせることではなく、クオリティコントロールに責任を持つことだと思う。主人公二人の格闘は明らかに疑似セックスだが、なぜ彼らはその先に進まないのか。養母のための疑似旅行はやがて本当に行こうと、資金のために罪まで犯すのに。その曖昧さ、答えのなさをやりたいのだとしても、そこには作り手なりの論理が必要なのでは。それを経ずして世に出される作品は疑似自慰行為でしかない。
まさかドキュメンタリーでこんなにワクワクするなんて。圧倒的な男性優位の考古学界で発掘調査に携わる女性たち。何十年も同じ場所を掘り続ける大竹さん。発掘した掘り棒を持ち、「縄文人を感じることができる」と笑う。その笑顔だけで彼女がなぜ考古学をやっているかが分かる。これぞ映画。壊さずに土器や土偶を掘り出せるか。それはもうサスペンス。30年掘った場所を埋めるラストに涙。でもそこで発掘されたものは遺り続ける。掘る女という題材選びが最高過ぎて。ただただ脱帽。
被爆者に取材して本を書いた父親の足跡を追う旅を通して、娘が長崎と出合う。そのプロセスが確かに画面に映っている。父が残した取材時の録音テープに導かれるように、息を切らして坂道を上る。自然を愛した父が長崎の風の音や鳥のさえずりを録音していたことを聞かされ、涙ぐむ。長崎の人々と共に死者を悼み、パリのテロにおびえる。亡き父の思いを肌で感じた娘は、それを孫たちの世代に伝えるために動き出す。いま戦争を語り継ぐことの可能性を静かに深くとらえている。
人間はなんで生きるのか? 警察を退官したあとも、未解決事件への悔恨を抱き続ける男の姿を見ながら、そのことを考えずにはいられなかった。使命感なんてフィクションにすぎないかもしれないけれど、人はフィクションなしには生きられない。それも現実だ。このバディムービーが事件の真相に迫っているとも、十分な証拠がそろったとも言い難いが、真相解明へと突き動かされる一人の男の執念がただならぬものだということは伝わる。この映画には確かに人間が映っている。
二人の青年が録音機材を抱えて「音」を求めて架空の旅をする。いかにも映画的な主題だ。彼らが録る「音」がまぎれもなくフィクションであること、同時にそこにもう一つの現実があること、そこまで含めて映画的なのである。知的なアプローチだ。青春映画と思っていたら、いつしか犯罪映画に横滑りすることもその延長線上にあるのだろうか。ドワイヨン「ラブバトル」に影響を受けたという愛の凶暴さの描き方も面白いが、惜しむらくはもう少しスリリングであってほしかった。
「≒草間彌生 わたし大好き」「氷の花火 山口小夜子」で世界的なパイオニアとなった日本女性の生き方を提示してみせた松本貴子監督の新作。縄文遺跡の発掘調査にかかわる女性たちを描いたこのドキュメンタリーでも、そのまなざしは一貫している。一見地味な分野ではあるが、はいつくばって土にまみれて手足を動かす彼女たちの身ぶりは十分に雄弁だし、そんな身ぶりに真摯に向き合う監督の姿勢を支持する。生き方とはこういう具体性なのだ。具体性こそが映画の武器なのだ。
『ザ・クラウン』でもマーガレット王女との顚末が劇的に描かれたタウンゼンド大佐の作家としての一面に、その著書を亡くなってから改めて読み解いていく娘の目線で光を当てる。父への思慕の情を発端に長崎を訪れた彼女が、タイトルロールでもある谷口氏が家族と初めて海水浴に訪れる一節を海辺で朗読し、彼の父親としての率直さに、子をもつ母として感銘を受ける場面が、とりわけ印象深い。唯一の被爆国ながら、核廃絶を訴える発信力が年々低下する日本への懸念も、随所に覗く。
斬新なバディものに挑む意欲は感じるが、女子大生がメタセコイアに惹かれる理由も、それをきっかけに元刑事を焚きつけ警察ごっこに没入する動機も弱く、再捜査に臨むはしゃぎ気味の振る舞いが不謹慎に映る。“生きた化石”のごとき両者の共鳴のようなものも見えづらく、衝撃の事実の発覚でコンビが決裂する修羅場も、別れた相棒の熱意を知り元刑事が突き動かされる瞬間も、イマイチ情感に乏しい。実際の未解決事件に新たな切り口で踏み込むフィクションの構成に、一考の余地あり。
数々の名匠への敬愛を育んできたに違いない映画的記憶と向き合いつつ、それに流されることなく、自己の表現を真摯に模索しようとする格闘の記録にもなっているのが、すこぶる魅惑的。暗がりに差し込む温かな光の感触や、“いつか”では不安に駆られてしまう焦燥感のどうしようもない痛みなど、五感をもくすぐる切実なショットを丹念に重ね、うごめき続ける人物たちの心身に肉薄する。撮る/録ることでしか伝えられない何かに、悩みながら果敢に挑む工藤梨穂監督は、映画界の希望だ。
同じ遺跡に携わり続けた30年間を含む、発掘調査一筋のベテラン考古学者から、後に国宝となる土偶を運よく掘り当てた当時の様子を、嬉々として語るおばちゃん二人組まで、魅力溢れる人選で、発掘現場の実態を多角的に捉えて飽きさせない。土や汗にまみれながら好きなことを仕事にできている充実感と、その何十倍もの時間が費やされる地道なデスクワークとのギャップにも、働くこと全般に共通する本質が窺え、ユニークな職種に対する好奇心に共感も加わり、見入ってしまった。