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ゆるいギャグの連打に、微苦笑が止まらない。そんな面白くないと思うのだが、必死に笑かそうとしているその涙ぐましいまでの必死さに、笑ってしまう。いちいち何かが起きる。小ネタの連続。そこにどれだけのアイデアを盛り込めるか。本筋のストーリーは、シンプルでわかりやすい。ちゃんとヒロインもいて、最初メガネの地味な女子だったのが、トラブルに巻き込まれて、メガネがなくなって、だんだんセクシーになっていくとことか良かった。何も考えずに楽しめる。
年寄りも若者もみんな声高じゃないところが良かった。激昂したい気持ちを抑えて、我慢している人たちの無念が迫ってくる。本当は大変なんだろうと思う。香港のことをほとんど知らない。彼らが何を考え、何をしたいのか、考えさせられる。幾人かは捕まって、牢獄に入れられる。シビアだ。再現みたいに、当事者が芝居しているのが、微笑ましい。こういうフィクションが、実は必要なのかもしれない。ドキュメンタリーの生真面目さから少しでも遠ざかろうとしているみたいだ。
暇つぶしみたいにバンバン人が殺される。全く愛想のない殺人描写にゾッとする。主人公の男は正義の人。汚ったない皿にわずかばかりの不味そうなスープ。少年が突き飛ばされ、スープをこぼす。男が自分の分を分けてあげるかと思いきや、そうしない。生きるためには、自分の身を守るしかない。ギリギリの状況描写にハラハラする。いつ殺されるかわからない。やっとつかんだ平穏も続かない。少年と少女の淡い恋愛も無残に引き裂かれる。追い詰められた男の最後の意地に涙する。
次から次にピンチが訪れる。ハラハラドキドキと静かなシーンのバランスがいい。気になるのは、とんでもないシチュエーションの中に浮気のネタが入ってきて、喧嘩になるところ。リアルといえばそうなのだが、なんか変。自分の身を呈して海に飛び込んでいくとことか、急にいいシーンがきたり、なんか変。サメの怖いのと、こういうお芝居の変なところが混在している。うまくいきそうなところで必ずうまくいかないのは、分かっていてもジリジリする。サメは本当に怖いな。
非常に切れ味のあるアクションコメディ。これは文句なしに面白い。記憶を無くして自分のことをバッドマンだと信じ込む役者セドリックが次から次へと自ら面倒な状況を作り出してしまい、翻弄されていく。ハリウッド的な映画の手法を少しずつずらしていくことで、絶妙な笑いを誘い出す。まさにずらしの美学。元カノ・元カレに未練タラタラというエピソードの伏線の回収の仕方にいたってもお見事。このロマンティックなエンディングはちょっとずるいと言いたくなるほどに完璧だった。
香港で起こった革命の静かな声。そしてかつての声。世代を超えて繋がっていく繋ぎ方に心動かされる。イメージシーンの多用が少し気になったが、ただ昔の映像を使ったら確かに割と典型的な映画になってしまったかもしれない。出演者の一人、チャン・ハックジーがビクトリア・ハーバーで泳ぐシーンが素晴らしい。都会のビル群が向こう側に見える海に飛び込むのは解放なのか。前作「乱世備忘」(16)のときも非常に興味深かった。今後も追っていきたい監督のひとりである。
目の前の相手を人間だとさえ思わないこと。これが戦争だと思い知らされる。そのなかで生き延びるために見世物としてのボクシングで闘う主人公。闘いのシーンと、まるで物のように扱い平気で人を虐殺するシーンの緊張感が重なり、最後まで映像を凝視していた。なによりもピョートル・クウォヴァツキの表情にぐっと惹きつけられる。アウシュビッツで起こる酷い仕打ちは目を覆いたくなるが、戦争がリアルタイムで起きているいま、その悲惨さを何度でも知り反省すべきである。
暑くなるとサメ映画が見たくなる、気もする。登場人物がサメに襲われることは予めわかっているので、誰から殺されるのかという順番も物語としては重要だ。だからできるだけ嫌な人物が出てきてくれた方がありがたい。主人公の彼氏が女友達と浮気したことが序盤で発覚する。女友達は謝ってくる。もう開き直って欲しかった。この順番を意識してしまうこと自体が優劣をつけているようで罪悪感に駆られて苦手でもある。とにかくサメ映画は怖くて延々パニック状態だとありがたいです。
くだらないものに対してくだらないと言うことほどくだらないことはない。しかも、くだらないと言われたくてくだらないことをしているわけだから、それに対してくだらないなどと言ってしまえば相手を喜ばせるだけなのだ。この映画を前に居心地の悪さを感じるのは、そういう循環まで含めてくだらないからだ。異性愛規範に基づく下ネタから配役等に見られる人種的偏見まで、マジョリティの価値体系に胡座をかくさまは単に醜悪に映る。憧れのファレリー兄弟には遠く及ばずと知るべし。
雨傘運動から逃亡犯条例改正反対運動にいたる、大規模な民主化デモの動き。本作はそんな現在の運動を、文化大革命、六七暴動、天安門事件などと関連させ、香港史の流れのなかで把握する。チャン・ジーウンは前作「乱世備忘」(16)で、雨傘運動を記録する自身の映像を父親が子どもたちを映したホームビデオと重ねてみせたが、今回は現在の若い活動家にかつての活動家の姿を再現ドラマとして演じさせる。このアプローチの是非をどう考えるべきか、私にはまだ判断がつかない。
すべてを自分に奉仕させずにはおかない脚本の傲慢さが際立つ作品であり、これは見世物をめぐる寓話ではない。サブストーリー的に点描される3人の子どもの死。ボクシングに夢中な、裕福なドイツ人家庭の息子。テディが収容所で仲良くなる少年ヤネック。そしてヤネックが思いを寄せる看護師の少女。彼らはラストシーンを支えるためにだけ自分たちの命を差し出すわけだ。誰もドラマの圧政から逃れられない。最後にボクシングジムに集う子どもたちはあたかも脚本の新たな囚人である。
以前もこの欄で書いたが、この種の映画は「殺される者」と「生き残る者」とを分割していくことで作劇を成り立たせている。だから、分割線がその都度「誰と誰の間に」「どのように」引かれるかのアイデアを競うジャンルなのだが、そのためには分割線が引かれるための状況が恣意的であってはならず、毎回やはり不可避的な状況を考えねばならない。本作の場合、最後の2人の間に分割線が引かれるくだりでアイデアを出すのをほとんど放棄している。発想の脱水症状とでもいうように。