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説明台詞の洪水と、高音がキンキン鳴りっぱなしの忙しない劇伴。まさに「『鬼滅の刃』時代の実写ヒット・フランチャイズ」な趣の本作だが、想像以上にエクストリームな構成に驚いた(前作は未見で、観るつもりもない)。なにしろプロローグ&エピローグ(ちなみに二番目と三番目にクレジットされている吉沢亮と橋本環奈はそこにしか出ない)を除いた本篇の大半が屋外での合戦シーンなのだ。ストラテジーと戦闘本能を対比させたクライマックスの決闘はなかなかの見応え。
私小説的フォークソングを8ビートにのせただけの音楽を「ロック」とするこの界隈のドメスティックなバンド音楽にまったく関心がないので重い気持ちで観始めたのだが、画面の構図が冴えていて、撮影、照明、編集など映画としての骨格は引き締まっている。とはいえ、やはり題材そのものの閉鎖性からは最後まで逃れられず。それと、30年近くレコード会社と仕事をしているが、こんな輩のような態度のスタッフにはお目にかかったことがない。これが実話ベースならば、運も悪かった?
新垣結衣と神木隆之介のサポートで保険はかけているものの、メインキャスト全員がジャニーズでもないローティーン役者という「グーニーズ」&『ストレンジャー・シングス』ラインの企画が東宝の夏休み映画として実現したのは、山崎貴監督がそれだけ信頼されているからなのだろう。しかし、良くも悪くも原作由来の児童文学的なトーン&マナーからはみ出してなく、実写エンターテインメント映画としてのスケール感や物語の陰影に欠けていて、小手先のVFXも上滑りしている。
天災がもたらした被害の実態と、復興までの諸問題と道程。日本のような災害大国において同種のテーマを扱ったドキュメンタリー作品が量産されるのは必然だが、本作はJR只見線という対象への焦点の絞り方と、郷土写真家の視点(主観)と解説(客観)のバランスが良好。地元の足として保全の必要性が語られがちなローカル線の観光資源としてのポテンシャル。そこに疫病や気候変動といったイシューも重なるのだが、安易に同情や共感を誘うことなく、余白は余白として残されている。
冒頭近くで前作のいきさつをザックリおさらいしてスタートするが、本篇の半分以上は広大な平原 (ほとんど砂地)での合戦場面と、歩兵たちのエピソード。さまざまな仕掛けとアクションはそれなりに頑張っていて、西部劇ふうの趣向も。血腥い演出より集団活劇のノリ。でふと角川春樹監督のド派手な戦闘絵巻「天と地と」を連想したりしたのだが、なんとなんと、終盤に登場する王騎役の大沢たかおが不敵な笑みでその合戦を一蹴、大沢たかおの色気と貫祿に、集団活劇も完敗の図!?
1人のミュージシャンの、なんとも緩くて薄味の、ボクの来た道である。ビジネス先行の音楽業界に対する異論、反論なども描かれているが、そもそも主人公がどこまで本気でミュージシャンを目指したいのか曖昧のまま、出会った女性たちに背中を押されてギターを手に弾き語り。演じている清家ゆきちもミュージシャンだそうだが、劇中の歌とギターは言ってはワルいが、とても人を惹き付けるパワーは感じられず、がなぜかプロデビュー。彼が関わる女性たちの昭和的なキャラにも啞然。
VFXをふんだんに使った夏休み向けの冒険ファンタジーで、不思議な古書店、お化け図鑑といったお膳立てが面白い。いまふうなキャラの3少年が、自分たちの願いを叶えるため、図鑑を手にお化け相手に大活躍。少年たちの影の助っ人となる針ネズミ系キャラの3頭身、図鑑坊が怖可愛く、カラフルな忍者衣裳もキャラにぴったり。登場するお化けたちも、お馴染みの一反もめんから、山彦、懸垂棒、ジズリなど、新種のお化けも。少年たちの願いごとは深刻だが、友情を含め、後味はスッキリ。
集中豪雨で鉄橋が崩落した人気ローカル線・只見線と、その只見線を数十年にわたって撮り続けた郷土写真家・星賢孝。このドキュメンタリーは、彼の写真や現在に至る実績等を、当人への取材をたっぷり盛り込みながら具体的に語っていくのだが、星賢孝が在っての只見線、的なイメージがしなくもなく、いささか腑に落ちない。むろん只見線とその周辺の景観に対する損得抜きの愛には敬服するが、意地悪く言えば只見線を私物化しているような。ともあれこの10月の全線運転再開、万歳!
「遥かなる大地へ」ってロン・ハワード監督、トム・クルーズと二コール・キッドマンの19世紀末アイルランドからアメリカへの駆け落ちを描いた映画の題名と同じでどうも困る。だが中国戦乱古代史劇がトムクル映画にスケール負けした(個人の)印象。ストーリーが途中すぎてアクション以外が薄く感じられてよくない。渋川清彦が演じた千人将縛虎申が危険だが魅力的だった。だがその特攻、滅私礼賛に抗するような、濱津隆之伍長による弱者の生存哲学をもっと見たかった気がする。
ミュージシャンってもっと練習ばっかり作曲ばっかり実験ばっかりしてるんじゃないだろうか。しかしそれを映画でやると相当変なことになる、ずっとそれを見てられないから人生的、青春的側面ばかりをやっているのだと思ってる。漫画の『BECK』『BLUE GIANT』とか映画にしづらそう。映画「ワン・プラス・ワン」とか「南瓜とマヨネーズ」はそういう点がよかった。本作は割りとオーソドックスにライブシーンや若き日々を。それに異論はない。音楽、音が全般的に楽しかった。
ある意味ハリウッド映像技術に追いつけ並べの課題を製作上の主題としている監督、製作体制であるから、「ドクター・ストレンジ」みたいなことどこまでできるの、ここまでやれるの、と思い面白かったりするが、ドリフのコントや舞台のような日本間のズルズル移動のほうにグッときたりもする。難を言えば設定上女の子の能動性が低く(救う対象)、男の子メイン度が高すぎの昭和ぽさある。星野源による主題歌が星野源以外のなにものでもない曲だがプリンス風のファンクで楽しい。
稀有な風物、それをずっと見てきた人物の凄み。只見線というものが単に交通手段であるとか、単に風景であることを超えて物神化しているが(無人の列車のために無数の灯をともし、無人と知っても手を振ったというくだり)、たしかにそこまでいったものが存在する、それを取り巻く人々がいる、ということをこのように見せられると私も、また、本作を観る者は、そこに接近する、その人々の列に加わりそうになるのではないか。正直、本作を観て奥会津に行ってみたいと思っている。