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「さとにきたらええやん」の不満は児童館の職員がなぜこんな大変なことをやっているかが描かれていないことだった。本作にもその「なぜ」はほとんど描かれない。パンフにはちゃんと書いてある。全員がパンフを買うわけではないのだから、映画内で描いて欲しかった。やれる人とやれない人の違いは何か。それを描くことで受け入れる側の社会の不寛容が際立つのでは。ドキュメンタリーをやる時にいつも思うのだが、50分のNHKスペシャルに勝てるか。子供だけ描いていて勝てるだろうか。
「対話の本質ってなんですか? その意味を子どもたちが教えてくれる」とコピーに。子供の対話の場からコミュニケーションの原点を学ぶらしい。しかし無防備でムキ出しなモノから過剰に何かを読み取ったり、省みたりすることの嫌いな僕はただただ戸惑うばかり。こっちだってそれなりに考えて生きてるぜ。これってわざわざ映画館で見なきゃいけないもの? NHKスペシャルどころかバラエティじゃ。昨今の発言も相まって、優しく見守ります的な糸井重里のナレーションがイヤだった。
この規模の話をちゃんとやろうとしたら、何十倍ものお金がかかるはず。その意味ではよく頑張っていると思う。ただ、例えばガマをスカスカに見せない工夫はなかったか。実際は人と血と汗と臭いに満ちていたはず。その欠如が再現ドラマ感を強くする。でも一番は人間だ。島田叡をはじめ登場人物がひとつの要素しか背負っていない。人間はもっと多面的なはず。現代に通じる視点も欲しかった。生き残った香川京子はどう生きてきたのか。改憲、防衛費増額の今の世の中をどう見ているのか。
常識のレールから自主的に降りた主人公は「僕の職業は猫」と猫として生きる。母もそれを受け入れ幸せそう。その共依存母子の家に共依存父娘が居候する。父は母のかつての恋人で、母の夫も同居している。この設定だけで唸る。しかも一筋縄ではいかない展開。普通は共依存からの卒業とやるのだろうが、そこには行かない強い意志。人と違って何が悪い。マイノリティ側に立ったフリで自分と違う立場を断罪する輩が多い今、この映画はそれを周到に避ける。あと30分短かったら傑作だった。
虫好きの男子が歩き回り、アリを覗き込み、バッタに触れる。木工好きの女子がノコギリを引き、釘を打ち、小屋を建てる。走り回る、飛び跳ねる。よじ登る、滑り降りる。子どもたちが絶えず動いている。その姿をカメラがひたすら追う。大人たちの語りは最小限に抑え、子どもと最大限向き合う。母親が話している後ろで膝をすりむいた子どもが泣き出すところまで映っている。そんな位置にカメラを置くことで、子どもが主役のこの施設の空気を生き生きと伝えることに成功している。
年長組の保育園児たちが輪になって話し合う「こどもかいぎ」を開くだけでなく、子どもたちだけで対話をするための「ピーステーブル」というスペースもある。そんなユニークな教育を実践する東京郊外の保育園に取材している。子どもたちのコミュニケーション能力を伸ばそうとする園の方針は興味深いし、それに応えて自分なりに考えて発言しようとする子どもたち一人ひとりの表情もいい。四季の移ろいを織り交ぜた美しく破綻のない映像で、よく仕上がった卒園アルバムの趣。
民間人を総動員して沖縄戦を戦おうとする軍の要請を受け入れながら、行政官として住民の命を守ろうと努めた沖縄県の島田叡知事と荒井退造警察部長の苦悩と行動を描く。島田の功罪を劇映画の形で描くのは容易ではなかろうが、五十嵐匠監督は葛藤を抱えながらも周囲を気遣って明るく振る舞う島田像を通して表現しようとする。沖縄の住民の悲劇が十分に描けたとは言い切れないが、軍の狂気の下で職責を果たそうとする島田の心情は伝わる。そこに現代の官吏の苦境に通じる何かがある。
引きこもりのニートが主役ということでほとんど一軒家の中で展開する室内劇なのだが、狭い室内にもかかわらず俯瞰気味に広角レンズで撮影している。おのずと食卓も壁も床も人間も歪んで映る。その現実離れした空間の歪み方が、この奇妙なホームドラマの歪みに呼応しているようで面白い。現実のすぐ隣にある異世界なのだ。主人公も、両親も、闖入者である謎の父娘も、みなどこか現実離れした人物なのだけど、日常の裂け目にスーッと分け入ってくるようで、妙に生々しい。
さまざまな理由で学校に通えなくても、ひとりで引きこもる以外に、似た境遇の子も集う場所へ赴く選択肢もあると周知させることは、急を要する課題。否応なく迷い悩み続ける将来に目を向ければ、幼い頃からレールを外れて蓄える免疫も、必ず役立つとも思う。ただ、木工の才能をめきめき開花させて宮大工になる夢を見出す、ゆめパの理念を理想的に体現する彼女に目頭が熱くなる一方、遊びと学びのあいだでもがき続ける、カメラの外側のあまたの存在を想像すると、複雑な心持ちになる。
制限かけずに溢れる感情をそのまま言葉にしてぶつける子もいれば、あれこれ考えて口をつぐむ慎重派の子もいる。そんな彼らと、睡眠など差し引けば、家族以上にともに過ごす時間が長いかもしれない保育士さんの、小さな“社会”を把握する俯瞰の目と、ひとりひとりの個性を熟知せんと努める凝視の目を臨機応変に織り交ぜ、干渉は最小限に辛抱強く見守り続ける姿勢に敬服。卒園の日、明らかに普段と違う大人の様子にもらい泣きする園児の成長にも、“こどもかいぎ”の成果が窺える。
県民の生命を最優先に尽力するも、負の連鎖を止められぬ神戸出身の沖縄県知事の葛藤を、萩原聖人が硬軟巧みに妙演。片や、身内や同胞を次々亡くして軍部の理不尽にさらされ続ける中で、急遽赴任してきた型破りな上司のひととなりに間近でふれながら、偏った愛国心に固執する女性職員の人物像が、どうも腑に落ちない。その困惑を解消するがごとく、同役を担う香川京子が、知事の遺志を戦後何十年ものあいだ引き継ぐ使命や平和の重みを、渾身の名演で訴えかけるだけに、勿体なく思う。
ペットロスの母のため、自ら猫と称し依存症の父との仲介役もこなす息子と、形ばかりの心中を試みるも、現世への執着が捨てきれぬ元セレブ父娘。崩壊すれすれの両家が同じ屋根の下、いびつさを互いに引き立てつつ、心理戦も含む陣取りゲームに乗り出すにつれ、幸せの尺度や価値観が揺らぎ、各々の日常も混沌と化す。病のみでつながり救われもする夫婦の在りように胸がつまり、何色にも染まらぬ白装束娘が、他者に学びパワフルに再降臨を果たす嵐の予感に、爽快と不穏が相半ばする怪作。