パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
一応武侠映画だが、ほぼ全篇どこを取ってもホウ・シャオシェン。オーソドックスなアングルのミドルショットだけで格闘の迫力を出すのはさすがだが、それ以外のシーンで、ロングショットとフルショット中心で泰然とパンを繰り返す画面は、むしろ悠久の時間のなかでの人の営みのはかなさを感じさせる。人物の所作と美術が非常に充実。杜篤之の録音は、この名手の仕事のなかでも最高レベル。妻夫木聡だけ明らかに演技モードが違っているけれど、異国の人という設定だから別にいいのかな。
「グーニーズ」あたりの80年代映画気分がよく出ているファーストシーンに「おおっ」となるけれど、そのあと徐々に失速していき、肝心のクライマックス(主人公が関わっているほうの)がいちばんつまらないという事態に。この手のゲームに親しんだことが一度もないわたしのような観客に対しても開かれている展開なのと、何より完璧に「家族そろって観られる映画」になっているのはいいところだが。軍将校が登場するとある短いシーンが、明らかに無駄なのにカットされてないのも不思議。
ファーストショット(タイトルバック)の不穏さにのっけから驚き、日本公開題名や宣伝ヴィジュアルから想像されるものとはまるで違うものが始まることを予見して居ずまいを正す。終幕の転調も鮮やかだが、それ以前の部分での、暗い画調でところどころに移動撮影を交えた、緊迫感あふれる語り口に強く惹かれる。男女が理屈ではなしに惹かれあっていく過程を描く視線演出が素晴らしく、この監督の撮る犯罪映画をぜひ観たいと思う。技巧的に見えながら、登場人物がみな人間臭いのもいい。
美少年タイプではなく、性格俳優の風貌すらたたえはじめているかのような主役の少年の顔が素晴らしく、彼が演じるジャックのそばを、キャメラは最後まで離れない。弟と彼とがいったん離れ離れになっても、弟のシーンへ浮気などせず、切り返しすら忘れて彼を見つめ続ける。観終わったあと、街を行くこの年頃の少年たちの見え方がぐっと変わってくる。しかし、このタイプのシングルマザーを描くのはやはり難しいのだなあ。ラストのジャックの行動は、そのせいで動機の解釈が分かれそう。
武俠映画だろうと、侯孝賢のカラーは薄まらず。スー・チーと師匠が断崖絶壁に佇んでいると、いつしか霧が立ち籠め……なんて場面を筆頭に、得意の長回し&ロングを随所でキメる。だが、どこに誰がいるのかわからくなる瞬間も数多く、場面によっては「ほんとにあった! 呪いのビデオ」よろしく、「おわかりいただけたろうか?」と中村義洋のナレーションが脳内木霊。作品のカラーはさておきといわんばかりに、『オレンジデイズ』時を彷彿させる演技を繰り出す妻夫木聡には呆然。
主人公の親友がどう考えても掛け値なしのバカなのに米大統領だったり、いとも簡単に対エイリアン用銃器が出来てしまったりと、なにからなにまでデタラメ。しかし、軽快すぎる語り口、人間やら建造物やら車が片っ端からドット化していくエグくも美しいヴィジュアルというサクサクとカクカクが極まっていて、細かいことはどうでもよくなる。日本製ゲームのみならず〝パックマンの父〟岩谷徹教授も登場するのが嬉しいが、彼を演じる役者はどちらかというと大槻義彦教授に似ていたりする。
ギラギラのラブロマンスというわけでもなく、メソメソした闘病記というわけでもなく、ホクホクできる家族ドラマというわけでもない。それらの要素すべて盛り込まれた〝モザイク模様の人生〟を描いた作品とでもいうべきか。とにかく魅了されるのが、時と時の繋ぎ方。ヒロインが13年間にわたって抱いてきた歓喜、苦悩、不安といった感情や感覚を、幻惑的かつ走馬灯的に表現。観ているこちらと彼女の脳内を軽く同期させるのだ。このF・オズペテク監督を知らずにいた自分を猛省。
題名はホンワカしているが、ゲンナリすること必至。テーマといい、タッチといい、どうしても「誰も知らない」と被ってしまうものの、けっして同作の影響下にあるとは思わない。どんな時代だろうと、どこの国だろうと、育児放棄はあるだろうし、その哀しさをガツンと伝えるにはドラマ仕立てにするよりドキュメンタリー・タッチにするのが一番ということなのだろう。息子のほうから母親に対して親子放棄するかのようなラストは前向きに思えなくもないが、やはりひどく哀しいと思う。
美しい映画である。全てのショットが綿密に計算され、ロケも美術も細心の注意が払われている。アクションは美しい自然を背景に殆どロングショットで撮られている。見事なまでに自己の美学に忠実な世界だ。しかし、果して武俠映画にふさわしい映像か。物語の面白さが伝わってこない。彼の敬愛するクロサワなら、この波乱に富んだ物語を、もっと生命力溢れるダイナミックな映画にしただろうし、ミゾグチなら、この悲劇的な宿命を背負ったヒロインの心情を正面から描き尽したであろう。
湾岸戦争の頃から戦争のテレビゲーム化が言われ始めた。最近もドローン機のパイロットがラスベガス郊外の基地で、モニターを前にゲーム端末のような器具でイラク爆撃を行っている映画があったが、その姿はまさにゲーマーだった。宇宙戦争が勃発、往年のゲーマー達が地球防衛に狩りだされるというこのコメディー、アイデアとしては面白く時機を得ているのだが、笑いもサスペンスも今ひとつ。もっと辛口を期待できるスタッフ陣なのに、文明批判の寓意がほとんど感じられない。
聡明な美女と粗野で無教養な野獣のような男の恋愛と結婚、その十三年にわたる軌跡が、最後に至って若い日々のフラッシュバックで円環を閉じるように終り近づく。涙あり笑いありイタリア映画らしいイタリア映画だ。監督のオズペテクはトルコ出身だが、性的、民族的マイノリティに対する視点はやさしくきびしい。十三年以上の歳月を描きながら、背景となる社会の動向がほとんど描かれていないのにいささか不満を覚えるのは、ネオリアリズモ映画を観て育った者の偏見だろうか?
十歳のジャック少年が、六歳の弟を連れて、姿を消した母親を捜してベルリンの街を、食べ物を求め、寝る場所を求めながら彷徨う三日間を、手持カメラで追うシークエンスは、この映画の白眉。少年の孤独、悲しみ、怒り、それを乗りこえていく勇気と成長を、無言のうちに語り尽くしている。テレビで学んだ手法だと言うが、ヌーベルヴァーグやフリーシネマの影響を感じた。最後に少年がとる意表をつく決断は感銘を呼ぶ。親は親たらずとも、子は子たれ、などという箴言が頭に浮ぶ。