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想い出の内部から湧き上がるような白い煙の色彩と、主人公の若い日の口紅の赤の効果が素晴らしい。その赤は、ある事件でのショックからキッチンにうずくまる彼女の蒼ざめた唇との鮮やかなコントラストを形作る要素でもある。全裸でお屋敷を歩き回るうちに主人公が書斎に入り込むシーンも映画史に残る。意図的に説話を雑然と構成しているので説明は避けるが、見りゃ分かるよ。要は二つの過去を思い出す現在(それも過去だが)の作家という見取り図。原題は「母の日」のことだね。
ドレフュス事件とエミール・ゾラによる告発記事「我、弾劾す」は昔、世界史で習ったが、これを見ると意外とゾラの役割が限定的だった。あくまで主役は、ユダヤ系軍人ドレフュスを助け出そうと奔走する、彼の元上官ピカール。とはいえ主題が反ユダヤの事例である以上、ユダヤ系監督ポランスキーにもきちんと言及しないと。若い頃に見た映画「ゾラの生涯」におけるドレフュスの肩章が無残にはぎ取られる場面が本作の通奏低音、と監督も語るようにプライドと人権が至上命題と分かる。
多少ネタバレ厳禁な部分もあるが、基本、分かりやすい設定と言える。奥さんを亡くした90歳の老人がバスを乗り継いでランズエンドという土地を目指す。何故そこなのか、という件はひとまず置いて、行く先々で出会う人々との関わり合いが細かいエピソードを形成する。映画が始まった時点で当然、奥さんは死んでいるのだが、回想や幻覚でアクセント的に出現。これが効果的。夫婦映画として上出来の部類ではある。いかにも現代映画らしく随所にSNSの話題が飛び出すのも可笑しい。
知らないミュージシャンの音楽ドキュメンタリーでは(私には)辛いか、と危惧したがそんなことはなかった。主人公のキャラの面白さもあるし、アイルランドの音楽と政治運動の直接的なつながりを豊富な映像クリップで検証するというジュリアン・テンプル監督のコンセプトもいい。映画的には、知らない映画の引用の中に「アラン」とか「邪魔者は殺せ」等の名作が時折入り込んでくるのが楽しい。明らかに酒でぶっ壊れた人なのだが、幼少時からの飲酒が彼の人格を作ったのも確かだな。
ファーストショットで浮き上がってくる大きな瞳に観客を引きずり込み、すぐさま「むかしむかし」と女の語りが始まる。続く男の語りではカメラが口のみを映し出すゆえに、その開巻は女の物語が口で話す物語ではなく見て書く物語なのだと告げる。さらにその瞳はオリヴィア・コールマンの持つ正気のない虚な瞳にも接続され、映画は瞳が語る物語である姿勢を崩さない。地に足のついた作家としての成熟した人生と一糸纏わぬ姿で彷徨する幼き頃の人生それぞれに見合った撮影も美しい。
映画を批評の俎上に載せる以前に、未成年者への性暴行で米裁判所から有罪判決を受けて国外脱出した上に複数人からの告発が公になっている映画監督が、内容自体それを観客に想起させることを免れないような題材で確信犯的に撮る露悪趣味加減にはなから全くついていけない。この自己言及的な新作は自身のドキュメンタリー映画「ロマン・ポランスキー 初めての告白」から、この映画監督が歯切れの悪い言い訳を繰り返しているようにしか思えない心象をさらに助長させたに過ぎなかった。(★なし)
亡き妻との記憶を巡りながら老いた男が人生最期の旅に出るロードムービーときて、序盤こそ既視感に苛まれる時間が続くのかと思いきや誠実な作りの佳作。ティモシー・スポールの顔を映し出しただけでも十分にコメディの様相を呈してしまえるにもかかわらず、ショットの時間やカメラの運動を駆使して怠らない演出にも好感を覚える。主題よりも交差する人々とのほんの一瞬のやりとりにこそ煌めきが満ちている。短尺の映画ながら、やや間伸びしている感があるのもこの旅にあってご愛嬌。
ザ・ポーグズ、そしてそのシンガーであるシェイン・マガウアンの名を一切知らなかった立場での鑑賞。なぜ彼を「世界が愛する」のか、映画が進んでいくにつれてなんとなくわかってくる。現在の草臥れて不明瞭な口ぶりと挙動も鈍重になったシェイン自身の姿と、ラルフ・ステッドマンのアニメーションやさまざまなアーカイブ映像による彼の破滅的な半生が交互に提示されていくこのドキュメンタリーは単に一人の音楽家の栄光と没落を行き来するのでなく祝祭的なメッセージに満ちている。
夢と現実のあわいに存在するかすみがかった薄紅色の時間を切り取ったかのような、何とも美しいフィルムだ。南アフリカ出身の新鋭キャメラマン、ジェイミー・D・ラムジーによる撮影は創意と工夫に溢れていて、ヒロインであるオデッサ・ヤングに彼が向けたまなざしからは親愛と官能が色濃く漂う。だが、決して美しいだけの作品ではない。どこか遠くで起きていて現実感を欠く戦争と、どこまで行っても平凡な己の日常との対比はまさに現在に生きるわれわれが抱く時代意識であろう。
敬愛するポランスキーの新作ということで楽しみにしていたが、どうにも焦点を結ばぬまま終演をむかえてしまった。この冤罪事件をポランスキーが描くことにした理由はどこにあったのか。己の出自と、まさか自分がいま置かれている状況を、冤罪を受けたドレフュスに重ねているわけではなかろうが、企画との距離感の喪失は、そのまま主人公ピカールへの演出の甘さ、およびピカールとドレフュスの関係性の見えづらさにも直結しており、映画全体の駆動力を大きく削いでしまっている。
故人との何らかの約束を果たすために、幸せだった日々の思い出を胸に老人が旅に出る、定番のロードムービーもの。撮影も編集も技術レベルは総じて高い。しかし、ロードムービーの肝は何を置いても時間の持続や空間の見せ方であって、それはこのような順当な語りや経済優先の編集とは対極にあるものである。やや説教くさく挿入されていく、「多様化しつつある現在のイングランド」をその眼で見た老主人公がどう変化していくのかを見せるのが映画の映画たる所以ではなかろうか。
〈ニューヨークの夢〉はいい曲だよなあという程度のあまり良いポーグス・ファンではない筆者はこれ系の音楽ドキュメンタリーの多くがそうした機能を持つように、このミュージシャン、シェイン・マガウアン=ポーグスに改めて興味を持ちたい、出会い直したいという思いで画面に目をこらしていたが、コラージュされ多用されるサンプリング映像の多くがシェイン自身のものではなく、記号的な映像の羅列であったためか、どうもシェインに入っていけないまま映画が終わってしまった。