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ドキュメンタリーに任せっきりだった難民問題をフィクションが描く。現実を見せる前半、やはり総花的にならざるを得ないのかと危惧していると、クルド人父の難民申請却下→入管収監から一気に密度が増す。ビザがないことがひとりの少女からいかに多くを奪っていくか。少女の顔が変わっていく。ラストの強い眼差しがテロリスト誕生にも見える皮肉。嵐莉菜がいい。「東京クルド」や「牛久」を観た人も観てない人も観よ。描くべきものはそこかしこに転がっている。映画人よ、顔を上げろ。
人より心が柔らかい故にままならない人生から一歩踏み出す。そんな映画の多いこと多いこと。それでもやるなら、自分にしか出来ない表現を苦しんで探さないと、その他大勢の一本で消えるだけ。都内単館一日一回数週間上映で、固定ファンと知り合いが来て、「良かったです」とサイン求められて満足する人生は、今すぐ捨てた方が。というか、それを映画にした方が。これは元町映画館10周年だから関西では上映したみたいだけど。これじゃおめでとうって言えない。津田晴香は素晴らしい。
ワンカット目から圧倒的に映画。これぞ映画。画面に釘付けになるが、だんだん怪しくなる。広瀬と松坂が再会する辺りから、物語の破綻が目立ってくる。ネット→ネットメディア→週刊誌に出る。その間の本人や周囲の反応が悪い。週刊誌は直撃取材するでしょ。そして定番の警察の便利使い。しかし一番の問題はまさかの病気オチ。病気にすべての原因を求める作劇はテーマを矮小化するどころか壊している。「悪人」「怒り」、原作選び&脚色が下手なのでは。李相日の代表作ってなんだ?
タイトルがいい。部落と謳ったこともだが、「私」とは誰か。様々な部落関係者が登場する。当事者、支援者、差別する者、老若男女。あくまでも低い目線で多面的に語られる、私にとっての部落。だが、「私」は彼らだけではない。自分は差別なんかしていないと思い込んでいる僕であり、部落なんてまだあるの?と思っているあなたである。この国がいつの間にか作り出した、天皇制と対をなす差別構造。寝た子を起こすなではない。知らなければ何も始まらない。最良の教科書がここにある。
難民申請が不認定となったため、目指す大学への進学ができず、アルバイトをクビになり、県境を流れる川の対岸の恋人にも会えない。日本で育ったクルド人女子高校生が直面する困難を通して、入管政策の不条理をあぶりだす。同時にそのアイデンティティの揺れから、この国の排他性そのものに迫る。主人公が感じるさまざまなギャップを、荒川にかかる大きな橋とコンクリートの橋げたによって視覚的に表現したのが素晴らしい。ミックスルーツの川和田監督の真情がストレートに伝わる。
映画は感情を伝えるものだけど、感情を撮るのは難しい。感情には形がない。過剰な自意識をもてあます若い画家の焦燥感を、坂道での独りキャッチボールで表現したのは見事だと思う。ただ自堕落に酔いつぶれる彼の失意はどこから来るのか。作り笑いがこびりついた若い女優の苛立ちはなにゆえなのか。二人が互いのどこに共感し、どうして解放されるのか。どの感情もよく見えない。すべてが人間を型にはめる抑圧行為への反発だとしたら、あまりに素朴すぎないか。幼すぎないか。
美しい映画だ。一つはホン・ギョンピョの撮影の美しさ。夕暮れや明け方を狙い、空、雲、月、風、水の動きを繊細にとらえる。まるで水中のような喫茶店内も含め、薄明かりのトーンが貫かれている。もう一つは物語のシンプルさ。元誘拐犯と被害女児の再会という設定自体はスキャンダラスだが、広瀬すず演じる主人公の思いは一途で揺らぐことはない。そこがドロドロした内面に下りてゆく吉田修一原作の「悪人」「怒り」と違うところ。これはこれで李相日の新境地として評価したい。
部落差別の問題に正面から向き合う真摯なドキュメンタリー。若い人からお年寄りまで、差別を受けた当事者が実名で顔を出し、語る。地名も実景も出る。数人の当事者(時に周辺の人々も加わる)が語り合う方法を多用し、具体的な体験と本音を自然に引き出している。語り手がよく考えて自分の意志で語っているから説得力がある。明治以来の近代史と結びつく差別意識や同和対策の変遷も奥が深い。近年の鳥取ループ裁判の被告にも直接取材していて、この問題の「今」が浮かび上がる。
難民問題を扱うドキュメンタリーも増加中だが、フィクションだから描けることもあるとは思う。本作では、同年代の青年との淡い恋を通し、在留資格を失う“仮放免”の心もとなさを、埼玉と東京の県境を国境さながらに見立てて映すが、その割に、気安く双方を行き来して見えるのが難。むしろ、日本語しか話せぬ妹との微妙な距離や、クルド人に誇りを抱く父の意に反し、友人にも国籍を偽ってしまう罪悪感など、主人公の家庭内に、もっと深く探究すべき要素があったのではないか。
顔で笑って心で泣く女優の卵や、強すぎる友情をこじらせビンタまで炸裂する悪友が、あまのじゃくな関西人のめんどくささを不細工なほど実直に体現するのに対し、元カノとの思い出に異様に執着したり酔いつぶれたりしながら、失恋の痛みをひけらかし気味にアピールする描けない画家の策士ぶりが少々鼻につく。もらい事故にも近いバーのマスターまで巻き込み、“まっぱだか”にされる周囲と裏腹に、彼自身の貫くマイペースな頑なさが、どこか釈然としない後味を生む。
「シベールの日曜日」の後日談風の趣もあるが、忍ぶ恋をネット社会で成立させる難度を痛感。15年前のパートが秀逸ゆえ、その幸せを“世間”に壊された過去に学ばず同様の道を突き進むふたりに、決然たる確信よりも短絡的な無謀さを覚え、前のめりになりきれぬ温度差を感じる。文の恋人の存在に安堵しつつ無視するがごとき更紗の言動に成熟が見えぬ分、焦りを募らせる文の切なさも、松坂桃李の巧演あっても十分に機能したのか否か、さらなる感銘への期待にもどかしさも残る。
情報量の多い労作だが、氷川きよし推しの闊達な老婦人ら興味そそられる面々も含みつつ、証言者を幅広く選んだ結果、尺が膨大となった上、監督自身の“私”があやふやになった感も。部落問題にもふれた自作にまつわる、一部の当事者のクレームで上映中止に追い込まれた苦い実体験が、制作の一因であることが明かされるため、似て非なる存在であるはずの某人物と対峙する場面に息を呑んだが、中途半端に友好的な空気が醸され、監督の穏やかな人柄は窺えるも、物足りなさを覚えた。