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「日本の映画人、ボクシング好きすぎ」問題はひとまず置いておくとしても、パッとしない町でパッとしない人生を送るパッとしない人物の夢の挫折や再生の物語を日本のインディーズ映画はどれだけ再生産し続けるのだろうか。「そこまで古くさい女じゃない」とわざわざ台詞で言わせた主人公の妻が、男性の幻想をただ反映させたような、精神的にも肉体的にも男性に依存しきった女性であることにも脱力。一方、サブキャラクターの造形は魅力的で、メインストーリーの退屈さを救っている。
マーケティング的にポスト新海誠を狙った作品のほとんどが、ガワをなぞるだけで内容的にも興行的にも遠く及ばないのは、新海作品がパーソナルな感情や思想に深く根ざしたものであるということを見誤っているからだろう。それを最もよく知るはずのプロデューサーの川村元気が、まるで工業製品のような魂の抜けた作品を繰り返し世に送り出している謎。作品世界、キャラクター、劇中のゲーム、すべての設定が上滑りしていて、最後まで一向にカタルシスが訪れない。ただ事ではない空虚さ。
パッとしない町でパッとしない人生を送るパッとしない人物が主人公なのは「生きててよかった」にも通じる類型的な設定だが、本作はそれを極限(なにしろこの主人公は夢を抱くことさえ知らない)まで突き詰めることで、仄暗い世界の成り立ちそのものを暴いてみせる。洗車機、郊外のロードサイド、サービスエリアなど見えない壁の内側を徘徊するしかない車。他者の命の軽さ。比喩的にも直喩的にも、教祖も信者も等しく貧しいこの国を覆う寂寥感そのものをキャプチャーした稀有な作品。
吉岡里帆や中村倫也のような容姿と年齢の人物が人気アニメ監督であることをはじめとして不自然な設定も目立つが、やりがい搾取の横行や行き過ぎた商業主義など、この業界が抱える問題についても描かれている。そして、おそらくは制作者の意図を超えて、一部のクリエイターが「金のなる木」として周囲から忖度の限りを尽くされアンタッチャブルな存在となっていくその構造も。脚本や編集に起因するテンポの悪さや、過度にシリアスで物語とミスマッチな劇伴を、題材の面白さがカバー。
体脂肪率3%まで搾って主人公を演じている木幡竜の肉体にはある種の狂気と殺気がある。さしずめ〝死にいたる病〟を思わす主人公のボクシング。お前はボクシングか好きなんではない、ボクシングをしている自分が好きなんだ、とは元ジムの会長の言葉だが、闘うことでしかちゃんと生きられない男を、木幡竜はガムシャラに演じ、話を引っ張っていく。ただどうしても気になったのは彼の老け顔で、幼なじみの運命の人、幸子と並ぶと父娘もかくや。もう1人の幼なじみの今野浩喜がいい味。
実は公開に先行してネットフリックスで世界配信された本作を、つい半分ほど覗いてからスクリーンで観たのだが、沸騰するような華麗な映像の迫力はやはりスクリーンで観てこその体験で、細部まで描き込まれた画像を惜しげもなく背景にするあたり、その背景までもっと観ていたくなる。当然ながら音、音響効果も劇場版は段違いに生々しい。大量に降り注ぐ謎の泡で破壊された東京が舞台の、まんま人魚姫物語だが、キャラもアクションも見応えある。カラフルな万華鏡的映像を堪能した。
観客に不安と戸惑いを残さずにはおかない奇妙なクライムサスペンスで、ざわざわ感は半端ない。屑鉄工場で働く性格の異なる2人の主人公。そんな2人が若い女性の死に関わってしまったことから、日常のバランスが崩れていくというのだが、昆虫でも観察するようにして描かれる彼らの行動は、身につまされると同時に痛さも。ともあれ、通俗的エピソードを盛り込みながら、リアルな不条理劇へとステージを変えていく脚本・監督の佐向大、一筋縄ではいかない発信力がある。俳優陣もベスト。
上等だ。スクリーンに向かって拍手したくなるほど面白い。ざっくりいえばお仕事映画、それもアニメ業界の裏話だが、日本映画上半期の収穫として、とかくアニメを敬遠しがちな人たちにも是非観て欲しいと願わずにはいられない。しかも理屈やメッセージらしいことはほとんど描いていないのに、仕事や夢の実現へのアプローチが具体的で、どの人物も、どのエピソードも説得力がある。むろん劇中で作られるアニメ2作品も魅力的。演出も脚本もいい意味でサービス精神があるのも嬉しい限り。
たしかに「レジェンド・オブ・フィスト」のラスボス日本軍人が良かったです木幡竜氏。本作で見られるような脂肪率の低い身体はもうそれだけで単に偉いし、映画として見栄えのする被写体だと思う。それと「ベイビーわるきゅーれ」の三元雅芸氏が。アクション監督園村健介が練った高次元格闘がそれを見せたいだけとか、ゲーム的に、ではなく必然として、有機的に映画全体とともにあることが見応えとなる。監督が異貌、異相揃いの各キャラクターに注いでいる想いも素晴らしい。
本作は、同じように人魚姫を設定の根っこに持つ「崖の上のポニョ」よりも世界認識が鈍いものになっていると思った。かつては私も鈍い少年→男であり、いまも基本そうだが、自分のこどもが女の子なために、こういう、男の子のために女の子が死にます、それは美しいことで、死んでゆく女の子も満足そうで、男の子は悲しみ、成長します、みたいなものがほんとにやるせない。世界の、傲った半分である男のほうに向きすぎていてつらい。お前が死ね。パルクールアクションは良かった。
これは悪い。だがこの悪さがいい。全然かっこいいものでない、愚かで醜悪で貧しくひどいもの。その黒い札を集めて強い手をつくった。美学に収斂しないナマの、生活に根ざした荒んだ悪さがそこかしこに溢れていて唸った。ジム・トンプスンやチャールズ・ウィルフォードを読むようなノワールな怖さが、ちゃんとすべていまのこの日本で有り得るものとして描き起こされていた。オチ(?)もなかなか気持ち悪い。暴力、狂気を凌駕するのは平凡な欺瞞だと。佐向大監督の最高傑作。
自分の知るプロの表現者たちはやはり映画関係が多い。監督、脚本、撮照、録音、俳優。彼らを見てわかる、いい仕事の起源とは、インプットの量と質、そこから形成される引き出しの多さ、即打ち返すスピード、直しにヘタらない強さ、そのジャンルと自分のやってることへの感動を持ち続けていること、など。その感じは出ていた。終始疲れ顔の吉岡里帆が美しいが、儲け役は柄本佑で、「ロング・グッドバイ」のエリオット・グールドをより偽悪的にしたようなプロデューサーを快演。