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どこまでがネタバレ厳禁なのか分かりにくく記述が難しい。ともあれ徹底してソング&ダンスで押す、というコンセプト。物語に突入する前から全部、歌。これが実に可笑しい。映画の枠組み自体フィクション(虚構)なのだ。また現在の音楽ビジネスが音源製作からライヴ産業へと移行したことをまざまざと示す企画でもある。セリーヌ・ディオンの伝記映画とかテレンス・マリックの最近作もそうだった。舞台がそのまま森に変換する仕掛けが凄いが「策士策に溺れる」といった雰囲気も濃厚。
日本映画もそうだが、業界を代表する美男美女が冒頭から高校生に扮して現れる企画は間違いなく空振りに終わる。もちろんこれらの韓国人俳優には何の罪もない。こういう作品を作らせてしまう社会が悪い。若者は若年性アルツハイマー。女性は末期の胃癌を患っている。即ちダブル難病物ということになり、困難も二倍で作り方によっては興味深い映画になっただろうが、概ね周囲があれこれ差配してくれて本人は怒ったフリをした後、それに従うだけ。感動させるポイントを欠いた構成。
老いたレズビアン二人のあるほんの短い期間を描くだけだが、一度も結婚しなかったドイツ人女性と、自立した二人の子供のいるフランス人女性の心理状態の違いをくっきり提示する新人監督の実力は明らか。日本ではペギー・マーチの〈アイ・ウィル・フォロー・ヒム〉として有名な楽曲のイタリア語版〈愛のシャリオ〉も効果的で、歌詞から言えばこの映画は「ふたりだけの島」という邦題でも良かった。不穏な夢の情景に始まり最後のダンスまで的確なショット(画面)構成の連鎖に納得。
アンディが「仁王立ち」ならぬ「仁王ぶら下がり」。このクライマックスに即感動。これはアリババ作品だが紛れもなく香港映画である。とはいえねじれにねじれた作劇で、ちょっとでも目を離すと物語が分からなくなる。優秀な爆弾処理班員だった彼がなぜテロリストになったのか。しかも彼自身は途中から記憶喪失者、自分でも事情が分からない。これが鋭い二重三重の罠。ゲスト的なラウ・チンワンよりも、憤怒の形相で元同僚を追っかけるフィリップ・キョンのキレあるアクションを見よ。
カラックスの過去作で言えば「ホーリー・モーターズ」に最も近い。ここにあるのは妥協なき「愛」の否定。「愛の結晶」あるいは「未来の希望」であるはずの「子ども」も傀儡人形に過ぎず、「もう愛するものがなくなった」という男は作家自身でもある。ただ、#MeToo運動を想起させる女性達による性暴力告発描写だけはどう捉えたとしても悪手にしか思えず。そこを引いたとしてもカラックスのペシミストぶりが結実した「アネット」は、間違いなくカラックスにとって一つの到達点だ。
いわゆる王道な韓国の恋愛映画だが、あまりにも通俗的な不幸エピソードのオンパレードで辟易した。恋人関係の男女が残り幾許の日々を共に過ごすために、単に同居するだけではなく婚姻関係を結ぶ必然性やそこに至るプロセスも十分に示されず、共に病を抱える二人が困難な状況でケアし合う中で起こる事態も予想がついてしまう。自立した大人同士の恋愛ではなく、彼らがかつてすれ違った高校生時代の夢見がちな恋愛を再演しているように見えた (それを意図しているのかもしれない)。
少女たちがかくれんぼで戯れるオープニングシークエンスはその後の展開をほのめかしており、視覚的にもあまりに美しい。老後のレズビアンカップルを描く映画にあって、サスペンスジャンルにみられるような映画技法の援用はたぶんに彼女たちではない側にいるマジョリティのまなざしでもあるだろう。厳しい差別や偏見が描かれる本作は万人の心を優しく撫ではしないかもしれないが、日本の性的マイノリティを巡る状況を考えればリアリティからかけ離れた作品を手放しで歓迎もできない。
いきなり大爆発が起こる迫力感と疾走感あふれるアヴァンタイトルには、これからこれ以上のことが起こるのかと一瞬思わされもするのだが、その後も一向にテンションが落ちることなく駆け抜けていく。記憶と片足を失ったアンディ・ラウのアンチヒーローぶりが炸裂しており、彼の肉体を生かしたアクションも見応えがあるため、中華圏のこのジャンルを愛好する観客を裏切らない出来ではないだろうか。ラウ演じる主人公の恋人とのラブロマンスを巡るラストの時系列の操作も洒落ている。
ラストの密室めがけ駆動する映画だ。ただしそこに至るまでの道のりは長く険しい。何よりも、ミュージカル映画であるにもかかわらず、音楽が良くない。NHKの昼の生番組のようなオープニングから、ネタで外しているつもりがベタに外している。ニヒリストのコメディアンという設定の主人公エイプ・ゴッドのジョークも空転するばかりで、メタの笑いがベタに滑っている。これがミュージカルではなくドラマだったのならばポスト・ヒューマン映画の傑作になっていたのかもしれないが。
本作は難病患者と難病患者が外圧に見える運命によってカップルになるという、多重難病ものであり、いわば難病映画界の頂上決戦、ゴジラ対キングギドラである。そしてそれは人類が長い歴史をかけて育んだ、人類を人類たらしめている、あの偉大なる何かを語り継ぐための「物語」というよりも、人間の脳に直接刺激をもたらす化学物質や電気ショックに近い。人生のあらゆる余剰や過程がことごとく省略・簡略化され、ものの数秒で人間を深く感動させるアプリが発売される日もすぐそこだ。
どうして四十の男性監督がデビュー作の主人公に老女の同性愛カップルを選んだのかはわからないが、スジとヌケとシバイが高い演出力によって高次にまとまった力作だ。ニナ役のバルバラ・スコヴァがシンプルなアクションをもって見せる、他者や外部への「働きかけ」が少々行きすぎであっても心に突き刺さるのは、われわれが常にうす暗く、あらゆることがぼやけてしまって焦点を結ばない時代に生きていて、どうにか他者の存在を感じとろうと日々あがいているからに他ならない。
ウクライナ以前にお膝元で生身の人間が血を流し傷ついている時代にさすがにこれはないだろうという核の無駄使いにはじまり、前時代的な善悪二項対立には怒る気も失せるが、そもそもそういうところを問う映画ではなかろう。ではアクションはどうか。カット割りとカメラ・ポジションが不適切で、ほとんど何が起きているのかわからない。アンディ・ラウは何をするにもきまっているし、防爆スーツトライやスカイダイビング密談、暗視カメラ・アクションなどのディテールは面白いのだが。