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前作は観ていない。今作も観たくなかった。亡き母を思い出して泣くに決まっているから。で、泣いた。元気な姿に泣き弱った姿に泣き、最後の一時帰宅に号泣する。娘はどんな時でもカメラを止めない。僕には無理かも。セルフドキュメンタリーってここまでやらなきゃいけないのか。でも映画ってそうだよな。弱さを撮る強さだよな。一緒に傷つく優しさだよな。こういう映画をどうして観るんだと思っていた。でも解った。それが永遠に刻まれてるから観るんだ。これ以上の親孝行があるか。
唸った。映画観てから原作読んだが、こうやるのかと。女子高生に殺されたいという願望を持つ男をこうも突き放さずに描けるものか。ASDと解離性同一症の女子高生コンビ然り。「障害」をちゃんと個性として描く志の高さ。マンガでしか成立しえない諸々を生身の人間で成立させる困難をいともたやすく乗り越え、原作より面白いエンタメに仕上げている。城定秀夫という人は不思議だ。あれだけ書いて撮って、まったく磨耗していないとは。どれだけの才能なんだ。映画界は大切にしないと。
あまりの酷さに言葉がない。お話も人物の考えも行動も幼稚過ぎて、何度も途中で止めようと思う。最後まで観ても、意味が分からない。「本作はあくまでフィクションであり、ワクチンの効果や安全性を否定する意図はありません」と字幕が出るが、大丈夫。誰もまともに取り合ってくれないって。プレスには「日本社会の寓話」と。いやいや、寓話って書きゃ、何をやっても許されるワケじゃないから。仕事とはいえ、この手の映画を観るのは本当につらい。猿だってもう少しマシなものを作る。
なんだろう、この魅力は。女性が亡き祖母の家で一週間過ごす。ただそれだけ。何も起こらない。なのに、とても豊穣な映画的時間が流れる。観終わった後、主人公も僕も少しだけいいものになっている感じ。こういうのを才能というのだろう。台詞がいい。島根の風景の切り取り方がいい。役者もみないい。人物の背景を描かないのに、背景が見える。こういう「ご当地映画」なら大歓迎だ。食えない映画人の救済策のような「ご当地映画未満」はもう絶滅して欲しい。永岡俊幸、長篇が観たい。
介護、そして看取り。家族でしか撮れないドキュメンタリーだ。買い物帰りの父が疲れて立ちすくむ姿や認知症の母のおかしな行動にも冷徹にカメラを向ける。そこに父と母、そして撮影する娘の密接な関係性が映る。倒れた母を励まし、自分が面倒を見るからと筋トレを始める父。弱っていく母に語りかけ、手を握る父。家族でなくてはなかなか入り込めない場面だ。ただ身内であると同時にドキュメンタリストである信友直子のまなざしも感じる。淡々と死を見つめる視点がぶれないからだ。
オートアサシノフィリア(自己暗殺性愛)という一種の性的倒錯を題材にしたミステリー。ひと昔前なら変態と呼ばれそうな性癖を、極力、変態的に見せない知的なアプローチで撮っているところに好感をもった。良い意味で画面が清潔なのだ。ただ、ミステリーとして成功したかというと疑問。女子高校生のそれぞれのキャラクターが立っておらず、教師役の田中圭に怖さがない。何より殺しの先が読めてしまう。ヒッチコックは稀有な例外として、やっぱり性的倒錯ミステリーは難しい。
マスメディアの腐敗を暴く社会派ドラマなんだろうな、それにしてはリアリティーがないなあ、と思いながら見ていたら、実は高層階の役員室と地下の編集室という2つの密室で進行するトリック満載のスリラーであった。それもホラー映画さながらに血みどろの。役員から末端までほとんどの人物にジャーナリストの倫理がかけらもないことより、自己保身と責任転嫁、上司への媚びと部下への威圧の方がずっとリアルで怖い。そこから染み出す怨念。確かにこの組織はホラーになりうる。
湖のある静かな地方都市の一角の亡き祖母の家に、東京からやってきて1週間のバカンスを過ごす女性の物語。いとこたち、その婚約者、友人、旅人などとの出会いを淡々と描く。そう書くとなにやらエリック・ロメールやジャック・ロジェの映画のようだが、あんまり似ていない。撮り方がまるで違うし、俳優のたたずまいも違う。むしろこの映画の主役は、つつましく松江の町に残っている古民家ではないか。ガラス戸も古いステレオも気持ちのいい庭も、どれも生々しくそこにある。
悲しみも大らかな笑いに変え、カメラを通し生命力のようなものを互いに与え支え合ってきた、この家族だからこその幸福な作品と思う。それだけに、できていたことができない絶望に苛まれたお母さんが、初めて撮影を拒む瞬間には胸が痛む。日記のごとく撮りためた素材を映画として編集、再構成する作業は、愛しい存在の生と死に向き合うことも意味し過酷を極めたと想像するが、監督のほんわか語りと、百歳目前に進化を続けるお父さんの男ぶりがそう感じさせない、唯一無二の人生讃歌。
究極のナルシシズムと自己破壊衝動との表裏一体感をしなやかに体現する田中圭を核に、ややこしい三角関係に陥る変わり者を、奇を衒わず演じる役者陣が光る。歪んだ大願成就へと突き動かされていく高校教師のみならず、彼の独善的かつ周到な計画の駒に過ぎなかった人物までもが、譲れない、守りたい何かのために眠れる力を覚醒させ、死へのカウントダウンと逆行するがごとく、生き生きと躍動する妙。熱しやすく冷めやすい今の気分を冷静に捉えつつ、執着=愛を謳うヤバさに鳥肌。
テレビ局のビルの地下と最上階で繰り広げられる、阿鼻叫喚の図。ひたすら責任から逃れ、自らの保身のみに走る日本人の性根への、作り手の異様なまでの怒りが全篇にみなぎる。ほぼ全員が過剰気味の熱演で担うヒール役に対する、負の感情だけで暴走するドラマは、勧善懲悪とも違う後味の悪さが残る。マスクの着脱でさえマウンティングし合う、さもしい現実と地続きの世界が題材ゆえ、“猿”と一括りにせず、各々の差異ももう少し掘り下げれば、より真実味が増したと思うのだが。
都会の生活に息苦しさを覚える主人公の、現実逃避的なプチ旅行の数日間をスケッチすれば、すなわち“ヴァカンス映画”と呼べるのか。いとこの魔性の婚約者や女たらしの靴職人ら食えないタイプの地元民との絡みも、一触即発っぽい機会をお膳立てしつつ、上っ面のやり取りに留まり、毒にも薬にもならない一コマに終わる。亡き祖母の気配も意外に希薄ゆえ、家屋や日記を介し、生死を越えて育まれる孫とのつながりのようなものが映像からは見出せず、旅の軽さばかりが印象づけられる。