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主人公に悪気はない。ちょっとだらしがないだけ。なのに、ねじ曲がった人には、悪意と捉えられてしまう。言われるがままに動く主人公が可哀想で見ていられなかった。よせばいいのに、嘘ついてそれがまた次の困難を生む。シナリオが見事だ。展開が読めない。今まで応援してくれた人たちも、ちょっとしたことで反転して責める側になる。怖かった。最後の最後、意地を通して子どもを守った主人公が愛おしい。生真面目な映画。ファンタジーが入る余地もない。襟を正す。
顔面ど突いて鼻がひん曲がる。痛い描写がひたすら痛い。描写が本気。部屋で殺しがあって、どんどん人が現れて、何人いるの?ってとこ面白かった。主人公の女の人は素っ裸でさらけ出す。さらけ出しっぷりが凄まじい。妊娠してお腹がどんどん大きくなっていくのとか、おっぱいが垂れていくのとか。なんで車とセックスするの? なんで人を殺しまくるの? 彼女が分からない。全部チタンのせいなのか。消防士の偽父親との交流もよくわからない。なんで「愛してる」になるのか。
クロエ・グレース・モレッツを思いっきり堪能できる。彼女が危機に陥り、なんとかしのいで、グレムリンと戦う。ほぼ彼女の描写だけ。仕掛けは色々あって楽しい。カバンの中身がなんなのか、あんな引っ張るか? だいたいすぐバレるのでは?恋愛要素も取ってつけたみたいだ。なぜこの時代? なぜ戦闘機の中?物語の設定にしかなっていない。彼女が何をしたかったのか。この設定じゃなきゃ描けないことは他になかったのか。荒唐無稽をやるならやるで、もっと切実さが欲しかった。
女の子の何気ない顔がいい。不機嫌そうな顔がいつまでも残る。酒を飲ませないでと言いながらガンガン飲みまくるとか、かわいい。高校の友達との無邪気なやりとりも微笑ましい。物語が進むにつれて、無邪気でいられなくなる。息苦しくてじりじりしてくる。トランスジェンダーであることが、どんなに生きづらいか。困難な状況の中で、意地になって自分を保ち続ける主人公が、いじらしくて仕方なかった。肉屋の兄弟、ほんま最低! 教室でみんなが守るとこ、グッときた。
誰もが自分の正義を振りかざし、親身なふりをしてみたり、讃えてみたり、罵倒してみたりする。つまりそれって、他人事だからだ。それぞれがそれぞれの立場であーだこーだと言ってくるのがサラウンドで聞こえてくる。不思議な徒労感に包まれながら、空洞化していく主人公がうっすらと笑っている意味を考える。彼が善人か詐欺師かなんて、本当はどうだっていいのに。少しだけ彼の上に立ってこぞってジャッジをしたがる人たち 周りを描くことがこの監督は飛び抜けてうまい。
主人公アレクシアを演じたアガト・ルセルにすぐ魅了された。シーンごとに別の誰かになっている、その存在感たるや。フェティッシュで優雅なカメラワーク、照明、音楽、どこをとっても何もかもが完璧だ。ヌード表現も、他にない新しい描き方に成功している。前作「RAW」(16)でも、主人公の少女は身体を搔きむしっていた。女の体に異変が生じる。いつも違和感があるが、自分ではどうすることもできない。この映画は容赦なく、女性の肉体と精神の双方と向き合っている。
一体何だったのか。いろんな要素を詰め込んであるが、全てうまく嚙み合っていない。とにかくクロエ・グレース・モレッツが叫んでいる印象。これがこの映画のテーマではないのはわかるが、大切なものを守るためなら犠牲は問わない(それこそが戦争が引き起こす異常さだ)という描写を、美談のように葛藤もなく描くことを許容してしまいたくない。女は強いだの、母は強しだの、褒めてるつもりかもしれないが、年々違和感を覚える。最後はもう、グレムリンが気の毒で仕方がなかった。
ヴァレンティナの目はいつも不安そうだ。その表情をカメラは控えめに追っていく。無理なことを望んでいるわけでも目立ちたいわけでもない。それなのに「違う」と見なされた瞬間、差別され暴力を受ける。望まぬアウティングをさせられ、性被害にあっても相手には「そんなこと」くらいの感覚でしかない。娘を見守る母親や仲間といる描写は優しく、彼女が自暴自棄にならないで済んで良かったと心から思う。時々きっと睨みつけるその表情を忘れたくない。この監督の今後にも期待。
誰もが自己演出に耽る、テレビとSNS時代の、イソップ寓話の『金の斧』。その教訓はもはや正直者の顕揚でははない。これは「イメージの作成」をめぐる寓話である。同じ状況に二度立たされた主人公は何を学ぶのか。フレームの外側に出ることだ。最後、ドア枠越しに縁取られた美しい再会のイメージ。二人はその再会を演出したのが誰かに気付いていない。演出家は静かにそれを見るだけで満足すればいいのだ。演出家は登場人物である前に、まず観客であるべきだとでもいうように。
顕示された性から性を剝奪すること。そういう意味では「クリスティーン」(83)や「クラッシュ」(96)とはむしろ逆の操作がなされている。「RAW」(16)「チタン」と続けてみれば、身体を性的視線から解放するのがいかに難しい挑戦なのかはよく理解できる。こんなに大仰な仕掛けが必要なのか疑問に思う人もいるはずだ。ホラーの意匠は真顔で演じられるコメディを彩り、ダンスは一度目は悲劇として、二度目は喜劇として披露される。それを前にした男たちの、あの呆然とした表情。
見る前に設定を読んでヒッチコックの「救命艇」(44)の再利用かと思いつつ見始めた。終盤で「海外特派員」(40)をかましてくるので、たぶんそんな観客の期待をあてにしつつの悪ノリ映画。とにかく破れかぶれの無茶苦茶であり、指をかんぬき代わりにするのもほんの序の口。極秘任務、開けてはならない鞄、身元の怪しい闖入者……。サスペンスを構成する要素は前半ですべて雲散霧消し、なんでもありの荒唐無稽が次々に繰り広げられる。この振り切れ方、これはこれでいい。
クラブに入ることができるかどうか。冒頭が示唆するように、ここではある空間の中に入る権利が問題であり、その空間とはひとまず画面のことだ。つまり、画面に映される権利がある者と、画面から退場させられる者がいる。ヴァレンティナは学校や町から追い出されそうになるが、実際は差別意識を抱えた者こそ映される価値も権利もないのだ。「私は差別しないけど」と言いつつ引越しを勧める女性。恋人の家族に娘のことを隠していた父親。そして、要望書を提出したマルコンの兄。