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タレントを集めてワチャワチャさせただけのフジテレビ映画的作品を狙った企画なのだろうが、小ネタをひたすら積み重ねていく脚本は、残り30分を切っても大筋のストーリーを尋常ではないレベルで停滞させていて、誰が主役なのかもさっぱりわからない。それが「斬新なストーリーテリング」と評価されるほど、バカリズムはまだ映画の領域では自分の能力を証明していないはず。それにしても、どんな作品であっても飄々とした佇まいを崩さない中村倫也はつくづく得難い役者だ。
演出と脚本が逆の「愛なのに」が滅法面白かったので大いに期待して臨んだのだが、ユーモアの手数やここぞの爆発力においても、登場人物をやっかむ気持ち(ラブコメにおいて実は重要なポイント)の喚起力においても、画面の人物配置と編集が生み出すテンポ感においても、ちょっと差が出てしまったような。それをそのまま城定脚本と今泉演出の特質とするのは早計だろうが、本作に関しては役者のアドリブ待ちなのか、長回しフィックスの多用が物語への没入感を阻害しているように感じた。
※映画の公開が一時中止となりましたので、レビューの掲題時期を見合わせます
原作ものなので脚本に起因するのではないかもしれないが、凡庸な台詞が登場人物たちの魅力を削いでいる。真面目に生きている普通の人々が発する言葉にこそ、面白味を見つける視点が欲しい。また、中盤以降で明らかにされる震災絡みの設定が、その凡庸さのエクスキューズになっているのにも辟易。東宝芸能の秘蔵っ子、浜辺美波が本作のような独立系作品のサブキャストで出演するのはいい傾向。主演級の役者が若いうちから主役にこだわらず出演作を選べる環境が日本でも根付くといい。
初めチョロチョロ、なかパッパ、赤子泣くとも蓋取るな、とは、今は昔、竃で炊飯していた頃の秘訣らしいが、マルチ芸人・バカリズムの脚本術は何気にこの手口で、次から次と人騒がせな火種を絶やさず、そのムチャ振りのとぼけた笑い、他愛ないが楽しめる。何より感心するのは、多彩な俳優たちによるそれぞれの見せ場リレー。結婚式の参列者全員に大なり小なり見せ場が用意され、その役どころもバラエティーに富んでいる。大九監督の後腐れのない演出も消化がいい。
今泉脚本×城定監督の「愛なのに」はすこぶる小気味いい作品だったが、城定脚本×今泉監督のこちらは、どの人物も自己チューなくせに決断力がなく、喫茶店の無駄話並みのどうでもいい会話と無意味なエピソードがだらだら、うだうだ、正直、逃げ出したくなった。猫も呆れる愚かで不器用な4人の男女の話という触れ込みだが、演技を感じさせない俳優たちのナリフリ台詞が、こちらにはより嘘っぽく思え、彼らが誰とどうなろうが、知ったこっちゃなし。そもそもキャラが退屈すぎる。
このところ、若い女性同士の親密な関係を描いた作品が目立つ。むろん親密なと言っても、友情に近い心情的な関係から、直接的な愛の行為に至る関係までさまざまだが「あのこは貴族」「君は永遠にそいつらより若い」「偶然と想像」、これはアクション系だか「ベイビーわるきゅーれ」など、女性同士の関係が物語の軸になっていた。本作の岸井ゆきのと浜辺美波も十分親密な関係になるのだが、話の着地は意外にも東日本大震災で、誤解を恐れずに言えば、後だしジャンケンの印象も。
結婚式乱入、花嫁奪取イメージの代名詞である映画「卒業」には結婚制度と“ふたりは幸せに暮らしました”への冷や水や、そんな時代じゃないでしょという思いがあったはずだが、いまやそれもまた古いという、ルーティンをこなすだけで精一杯な現代がここに。アルタミラピクチャーズ周防正行・矢口史靖作品群の内幕もの独自カルチャー紹介ものに通じる面白さも。最後にポロリと説明される篠原涼子演じるプランナーの来歴がいい。シー・ワークド・ハッピリー・エバー・アフターと。
今泉力哉氏と城定秀夫氏のコラボには実に納得させられるものがある。どちらも脚本が書ける監督で、色恋沙汰の露骨な部分やフィジカルな面を描くことを好むタイプで、そのふたりが脚本監督を交換するように「愛なのに」と「猫は逃げた」の二作製作、連続公開。この企画においてジャンル映画誕生のようなことが起きている。率直、滑稽な恋愛を顕揚するような映画の復興。そこが楽しい。ヒロイン山本奈衣瑠氏、オリジナルな美女。あとあの柄が良すぎる猫……。それらも観て楽しい。
岸井ゆきの氏、浜辺美波氏、杉野遥亮氏らのような涼やかな姿のキャストを得、明媚な風光を画面に湛えていても、なにか愚直で整理のつかない映画だと思った。それはまったく非難ではないし否定的なことでなくむしろ好感で、隙あれば余裕あればこういう映画が作られ続けてほしい感につながる。それはそもそも原作にある、説明しがたく割り切れないものを語りたい語らねばならない、不在の者を都合よく扱わない、ということに由来するのかもしれない。また変格恋愛映画にも見えた。