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メンバーの出会いからバンド結成、解散と再結成を経た現在までを順を追って辿っていくきわめてシンプルな構成は安直にも映るが、わかりやすく活動の全貌を伝えられる効果はあるだろう。じっさい、私自身にとってもこれまであまり触れていなかった初期作を改めて聴く契機に。また「ドラムを叩くようにギターを弾く」というJの言葉は、単なるアンプやエフェクターの物量には還元されない、彼ら独自の歪みに満ちた音響の本質を捉えるための一つのヒントになりそう。ぜひ劇場の爆音で!
例えば「ジョーカー」における貧困や女性関係のようなわかりやすい理由を用意することも、その逆に狂気を過度に神秘化することもなく、演出を加えつつも殺人犯の心理にあくまでも些細な事実の積み重ねから徐々に肉薄しようとする姿勢には、ある種の倫理と節度が宿っているだろう。ニトラムの暴力や男性性をめぐる逡巡は、誰が見ても凄まじいジョーンズの演技とともに犯行の原因へと安易に還元されない形で表現されることで、かえって不気味に強烈なリアリティを伴って伝わってくる。
たとえ貧乏でも、生まれ育った郷土で家族や隣人たちと楽しく賑やかに暮らしたい。こんな些細な願いを残酷にも打ち砕く紛争の恐ろしさと愚かしさを正面から描きつつも、この映画は厳しすぎる現実に怯まず、ユーモアを忘れず生き抜こうとする人々の逞しさにこそ目を向ける。地元出身の俳優を数多く起用して活写される、イェイツの詩、ヴァン・モリソンの歌や映画に励まされ、なんとか地元にとどまり続けようとする人々のギリギリの生活は、現在のウクライナ情勢を連想させもする。
舞台は宇宙船だが実質的には学園もののSF。コロナ禍の学生生活を想起させる序盤は悪くないが、「マトリックス」をもじったと思しき青い飲み物の拒否のみに先行世代への反抗を象徴させようとする稚拙な設定をはじめ、権力によって心身の健康を保つことを強制される状況への批判意識があまりにも表層的で、ひたすら子供の喧嘩が続く展開になんらかのブラックユーモアを込める意図も皆無。狭い空間の見せ方に腐心した様子が全く見られない撮影も含め、総じてとにかく工夫が足りない。
MTVにより音楽の商業主義化が進み、ノーと言うことに意義がある時代に誰よりもでかいノイズを繰り出していたダイナソーJr.の結成から現在までがバランス良く語られる。そこには貴重な映像もあるだろうし、時代や人間関係の軋轢なども語られるが、しかし特別にドラマチックな展開はなにもない。むしろドラマを排するように淡々と音楽を続け、感情も出さずにインタビューに答えるバンドリーダーJの姿が、バランスの取れた映画構成のなかでオルタナティブに際立っている。
花火や車のクラクション、蜂の羽音に犬の鳴き声といった騒音は緻密に設計され、ポートアーサー事件の犯人、通称ニトラムを取り囲んでいる。それらの音は、明確な意味を形成せず不愉快な音として適切なコミュニケーションを結べず、最後まで理解不能なものとして演出されている。大量殺人の前夜の母との最後の晩餐にまで、和解や救いを示すことなく不愉快な虫の羽音だけを残すこの映画は、最終的には乱射される銃声ではなく、タスマニア島の自然の音を響かせることを選ぶのだった。
1969年当時の北アイルランド紛争を描くのにお誂え向きという以上に、ジュディ・デンチの深く刻まれた皺を美しく捉えるモノクロ画面。この皺に対して無邪気な表情のジュード・ヒルと、その間で揺れるカトリーナ・バルフの3人が特に素晴らしい。しかし、少年目線とはいえ肝心のベルファストが少々手狭に感じられる。本作のハイライトでは、少年に覆いかぶさり、紛争の現実から彼を守る家族ドラマよりも、残酷で広い世界との出会いを描くことこそがふさわしかったのではないか。
人類の移住先の探査隊として、特殊な訓練を施された優秀な子どもが宇宙へ旅立つという設定だが、なにがどのように優秀なのかがまったくわからないのが残念。専門的な知や身体能力の高さを感じさせる描写はほとんどなく、訓練の様子がよくわからないパズルを解いてる風なものだけなのだから、のちに起こる宇宙船での様々なトラブルにおいて、特殊な子どもであり、舞台が宇宙船という状況がうまく生かされているとは言い難く、ありふれた集団心理ものになってしまっている。
巨大すぎたと言われた音は、三人それぞれの内に向かう性格ゆえか。楽器を、音楽を介してしかまともに意思疎通を図れなかった彼らが歩んだ10代から50代までの凸凹道。妙に引き込まれたのは、ジャスト同世代だから? それとも三者三様のキャラクターの持つ力? いわゆる「40歳問題」にも通じる、サブカル世代が老いてゆくことのあれこれがここに。途中スピリチュアルに走るJから漏れる人間味にも苦笑。PVを監督したマット・ディロンの登場に、映画「シングルス」(92)を思い出す。
銃こそ容易に手にできないものの、日本でも他人事ではない、巻き込み型無差別殺人。実在の事件を基に“その瞬間”までの犯人の内なる心の微動を丹念に見つめた映画だ。監督の冷静かつ客観的な視点が、終始やりきれないひりひりと、理不尽への絶望を観る者にもたらす。見せる・見せないの塩梅や、主人公と両親、近隣に住む孤独な女など各人の人物造形も巧みで、俳優陣の鬼気迫る演技と共に脳裏に焼き付く。「皆、絶望的な気持ちで毎日過ごしている」という台詞に、現代の憂鬱を重ねた。
製作・監督・脚本のケネス・ブラナー曰く「私が愛した場所、愛した人たちの物語」即ち「とてもパーソナルな作品」とのこと。それは至極もっともで、美しいモノクロ主体の映像で綴る郷愁溢るる物語に違いないが、9歳の少年が見つめる先が、祖父母含む家族(母がまた生活感皆無の美しさ!)と、幾筋かの近隣路地から脱し切れぬ点が残念。北アイルランド紛争を絡める限り、子供視点とはいえもう少し「個人の」「昔の」話から「あなたの」「今の」物語にまで開展させる何かが欲しかった。
フィン・ホワイトヘッドはじめ注目の若手スターがこぞって出演している、どこか懐かしく、ある意味王道のSF作品。30人の子供たちを乗せた世代宇宙船を舞台に、彼らがやがて成長し、自我を持ち、我欲を無秩序に暴走させる様を描き出す、漫画『漂流教室』に「蠅の王」、さらには「エイリアン」や「遊星からの物体X」までをも盛り込んだ欲張りに過ぎる一本だ。船内に何者かが潜む恐怖や、密室内で一同疑心暗鬼になる過程など、より活かせる要素は多々あったはず。もろもろ惜しい。