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アニマルプラネット系の「キュートすぎるワンちゃん」物とは一味違う。この映画は犬同士のコミュニケーションのみならず、犬から見られた人間社会も等分に、低いカメラ目線で描かれる。面白いのは、アニメだと犬目線というのは物語からの人間排除の意思の表れだが、この映画はかえって人間の存在が際立つところ。コーランの唱和に合わせて主役の犬が遠吠えする場面がその典型だ。野良犬といっても人間がいなくては生存できないシステムになっているのが現代。その哀しさが見えた。
北海道が数年前のように日本観光の目玉になる日が早く戻ってくるように、と祈らずにいられない。風景もいいし、主演のタイからやって来た若者二人も美形なので個人的には★を足しても良かった。そうならなかったのはコンセプト(話の腰)が弱いせいだ。女に振られたからじゃなく、はっきり政治的な挫折で故郷を捨てたとしてくれた方がすっきりしただろう。納豆とか温泉のカルチャー・ショックというのはありがちだが、中古カメラ屋への視線は斬新。これをもっと押したかったかも。
作劇上の都合でも、犯罪を悪事だと認識しない人を主役にする企画は評価できない。悪い事したおかげで得しました、みたいになっちゃった。これは主演のヤングケアラー、ジャドの方。そりゃ事情はいろいろあるにせよ。被害者の引退間近女性職人エステルの度量の大きさには素直に感服する。私じゃよく分からないのだが、都市と郊外という二分法が物語に存在するようで、その機微を実地で知っている人なら、もっと細かい点も楽しめるのかな。一着のドレスが完成するまでの苦労は分かった。
昔、渋谷で「悪魔の往く町」という白黒フィルム・ノワールを見たが、これも同じ話。そっちは前後半で(物語が)くっきり二分する印象が強く、なじめなかったのだが、デル・トロ監督はその分裂状態を気にいったようだ。前半カーニバル篇、後半詐欺師篇って感じか。画面としてはカントリーサイドとシティスケープと規定してもいい。「フリークス」の鶏女が出てきそうなサーカス小屋のヴィジュアルも驚きだが、後半のアールデコ美術がまた凄い。でもあの程度で人は騙されるかな。疑問だ。
同じくトルコのイスタンブールに暮らす猫たちを描いたドキュメンタリー映画「猫が教えてくれたこと」は、公開当時に観た記憶が正しければ自由気ままな作品だったことに思い至る。そう考えれば猫ではなく犬となったときに、自在に動き回るのではなく彼らの目線に徹底して従順になるカメラというのも理にかなっているのだろう。ここで炙り出されていくのはそれぞれに個性を持った犬たちだけではなく、ときに凶暴で、ときに滑稽で、ときにあたたかい多種多様な人間たちの姿でもある。
続篇である「プレゼント・スティル・パーフェクト」まで観た上でこの作品のみを評するが、異性愛規範を前提とした社会において運命づけられている同性愛(的)関係の挫折を着地点とする物語構造はこれまでの「クィア映画」のクリシェを踏襲したものであり、そこで断絶されているがゆえに観客にとってもまたこれ一本で鑑賞に耐えうるかと問われれば厳しいものがある。構造上の問題だけでなく、陰影のない平板な画面や観光動画然とした作風も映画として鑑賞後の物足りなさが否めない。
繊細な絹のヴェールのようなやわらかな照明や、針に糸を通すような細やかな手つきで彩られた画面設計が美しく、終始見惚れる。持っている上の世代の女性が、持たざる下の世代の女性へ道を切り拓いてやるシスターフッド映画で好印象を持った。トランスジェンダー女性と思われる人物もその輪に身を置いている。そうしたテーマを描いていながらも、男女のベッドの上で交わされる会話ではフェミニズムが無効化されてしまっているように捉えられてしまうのを批判するのは野暮だろうか。
序盤からあまりにもブラッドリー・クーパーを艶かしく這うカメラが奇妙に思えたが、結末に近づくにつれその演出のすべてが伏線になっていたことが明らかになり唸った。正しくて退屈だったこの作家の過去作「シェイプ・オブ・ウォーター」よりも、よほどおかしみがあって良かった。ケイト・ブランシェットの強烈なイメージも十全にこの世界観のなかで発揮されている。ただこの長尺にあって物語の展開が鈍重すぎるように感じもしたので、もっとところどころ軽快さが欲しかった。
犬の目で旅するエルドアン政権下のイスタンブール。カメラが透明になったのではないかと錯覚するほどの優れた被写体との距離感に加え、神々しいショットが幾つもあるが、サウンド・デザインも負けずに素晴らしい。人間社会の悲喜交々が絶妙なバランスで配置され、広がり、耳に入ってくる。結果、人間はもはや世界の中心ではなく、あくまでかたすみ、一部に過ぎないという感覚がもたらされる。大の犬好きである筆者は本作の世界各地でのシリーズ化、LIVE配信を夢想した。
プロフェッショナルな仕事とは思えないほどの技術的なつたなさについては今は触れない。問題はその朗らかで軽妙な作品イメージの裏側に潜む、到底許容出来ない、ドス黒く暴力的な思想にある。酔っ払っていたんだからしょうがない。たかがセックス、忘れなさい。慣れてしまえば好きになるよ、納豆みたいに。少なくともわたしはこうした倫理がまかり通る世界には生きていたくないし、こういう野蛮な世界が未だに存在することを認知しつつも決して受け入れるつもりはない。
斬新な演出と卓抜なカメラに導かれ、フランスの「上流」「下層」社会を体現する俳優たちはことごとく魅力的で、本作を通じてわれわれはまた新たなフランスと出会うことになるだろう。惜しむらくは、あまりにも幼く無思考な物語展開がそうした本作の豊かさと野心を大きく削いでしまっていることだろう。説話上のキーポイントがほとんど「撮られていない」ことを考慮すると、監督は本作を「語りたくなかった」のかもしれない。そして、その方が作品のためには良かったのかもしれない。
細部まで完璧で、これぞ暗黒映画といういかがわしさがたまらない前半が終わり、映画がミニマルな心理劇へと転じるあたりからどうもギアが上がってこない。ケイト・ブランシェットのファム・ファタールは巧みすぎて、巧くはないブラッドリー・クーパーを食ってしまっているし、デル・トロは相変わらず愛を描けない。何よりも、省略の美学がものをいうはずのノワールにおいて、省略すべき演出が省略されず、省略すべきでない演出が省略されてしまっているというのはいかがなものか。