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ワンネタで押し切った。すごい。パンツ一丁の死体がずっと雪の中にいて、役の人、大丈夫かと思った。死体に繋がれた主人公の女の人がどうなるのか。見所はたった一つだけ。実にシンプルな作りだ。一難去ってまた一難。一瞬も目が離せない。気になるのは女の人のキャラクターだ。今いち何考えてるか分かんない。ずっと怒ってるので嫌な人に思える。もうちょっと可愛いところがあれば好きになれたかも。女を追う犯罪者コンビもパターンで残念。面白かったけど残らなかった。
緊迫感がすごい。主人公の女の人の取り憑かれたような顔が怖い。狂ってる。善良そうな男を監禁し暴行を加える。この怒りがどこへ向かうのか。どうなってしまうのか。全然予測できない。夫は妻の怒りが理解できず、どん引きのまま事件に付き合う。夫が男を助けるかと思いきや、事は簡単に運ばない。狂った妻と冷静な夫。二人の設定が物語を盛り上げている。何度も見つかりそうになるサスペンスも効いている。ラストはちょっと引っかかった。この女の人に何か救いがほしかった。
場所がいい。巨大な都営住宅みたいなとこ。ボロくて、貧乏な奴らばっかいて、そこをウロつく主人公の男の子がまたボンヤリしていて好感が持てる。人がいなくなって、ひとりで秘密基地を作ってしまう男の子の孤独がヒシヒシと伝わってくる。ヒロインとの淡い恋愛もいい。取り残された者たちの最後の意地。忘れ去られていくことの侘しさ。端っこにいて、何とかその場所にしがみついて生きるしかない奴らの寂しさとかワクワクが突き刺さった。宇宙飛行士の孤独を思う。
老人になったら、行動範囲が狭くなるんだなと思った。家からほとんど出ないし、決まった人としか話をしない。つまんなさそうだけど、そうでもない。日々嫌なことがあり楽しいことがある。ブチ切れてすぐに電話を切ってしまう老人たちが面白かった。主人公の女の人が颯爽としてカッコいい。憎まれ口を叩きながら、杖を振り回す。昔の男のことで嫌味合戦になる。事件らしい事件は起きない。ゆるやかな時間が流れる。退屈だけど心地いい時間。見つめていると色んなことを考える。
執着するというのは子どもっぽい行為なのだなとしみじみ感じさせられる。夫のナルシストぶりも、妻の塗り固めた“女性らしさ”も、凶悪犯の恐ろしい表情も、凶悪犯の相方の小物っぷりも、役者が見事に全員ハマり役。キレイにハマりすぎているせいか、完璧すぎて怖くない。怖そうで怖くないと感じてしまうのは、どこかで見たシーンと感じてしまうせいかもしれない。結婚式での誓いの言葉「死が二人を別つまで」なのに、夫の死後唐突サスペンスが始まるのはちょっと違和感があった。
思い出したくもない嫌な記憶に苦しめられ続ける辛さ。主に被害者の傷跡に焦点は当てているが、物語が進むにつれて、加害者の苦しみも浮かび上がってくる。さらには、苦しむ人の側にいる辛さも描かれ、どうしようもなく先の見えない閉塞感が漂う。どうにもならない力に引き込まれ、驚くほど残酷になってしまう人間の姿を、包み隠さずにこの作品は描こうと挑戦してくる。どう転んでも後味が良くなることはないのだ。こんなふうに「希望がない」ことを真正面から描く勇気に拍手したい。
16歳の少年ユーリの孤独と夢見る力がなんとも幻想的な映像のなかで説得力をもってこれでもかと見せつけてくる。ガガーリン団地の解体と、それに反対すべくひとり団地に残り続けようとする少年は滅びゆく場所に宇宙を作る。孤独がもたらすイマジネーションの広がりというものがいかに力強いかを教えられる。辛い時ほど人は空想の世界に行ってしまう。その世界は心地よいかもしれないが永遠ではない。どうか宇宙から無事に帰還しますようにと望みながら、最後まで目が離せなかった。
たっぷりと白粉をつけた赤い髪の老女エレネが踊る姿のなんと美しいことか。かつての恋人との電話する甘ったるささえなんと心地よいことか。過去に愛される人間と、過去から見放されてしまう人間が浮き彫りになる。かといって教訓的な示し方はしない。辛さも喜びも嚙み締めた柔らかなレースのような優しさが胸を撫でてゆく。かつて自分の未来を奪う原因となった相手をただ憎むのでもなく、それでも許せるだろうかと気持ちが揺れる姿にはっとさせられた。監督91歳とは! 必見。
この種の映画にはなんか決まった呼び方があるのかもしれないが、主題はいつも「脚本との対決」であり、負けるのはきまって脚本である。夫の究極の復讐が思い描いたとおりにはいかないというのは、要するに夫が脚本家であり、綿密に脚本を組み立てるのだが、その登場人物である妻がその筋書きから必死で逃れていくわけだ。何が皮肉かというと、こういう物語の展開のために作り手は必死で脚本の完成度を高めようとする点だ。脚本の敗北を描くために、脚本の勝利を目指すという逆説。
ほとんど戯曲の映画化を思わせる、脚本の映画。「私たちが秘密にしていること」という原題は脚本の構造そのものを指し、いくつもの「秘密」を中心に作劇が組み立てられ、秘密という空白を埋めるのが物語の目的である。嘘をついているのはどちらなのかを解明していく過程で、それぞれの嘘と真実が明らかになっていく。フラッシュバックなどの映画的な意匠はそれだけに煩わしく感じさせるが、最後、掘られていた穴を男が埋めるイメージで終わるのはあまりに愚直な分、好感が持てる。
一つの時代の終わりを描くにはどうすればいいか。崩壊の過程にはどう立ち会うべきか。本作の姿勢に不意を突かれた。時代の抱いたユートピアをユートピアとして、その終わりに現れたお伽噺として描き直すのだ。60年代に希望が託された郊外団地と宇宙開発は同じ夢物語の裏表でしかなかった。だから、解体を迎える団地を宇宙船に見立て、そこに束の間のユートピアを現出させる主人公はつまり時代精神のアレゴリーであり、彼の死と再生によって一つの時代の死と再生を示唆するわけだ。
思い出はいまや欠片となり、リフレインとなって繰り返される。タンゴのステップとして、詩の一節として。中庭を囲んだコの字形の集合住宅。生まれる前から住んできたこの場所は、エレネにとってあたかも記憶の収蔵庫であり、向かいの痴話喧嘩はかつては自分の身に訪れた出来事かもしれなかった。三人の老人はそれぞれ文芸・政治・建築の化身だが、それはこの三つの分野が一つの共同体の構築に必須だからだろう。記憶を担う文芸のエレネは次第にジョージアの集合的記憶と化していく。