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同世代の同志と自分たちの世代の「リアル」を描くという松居大悟の本作における目論見は成功しているのかもしれないが、結果としてそれが同世代のごく一部の観客にしか届かないものになっているのでは? 作品が丸ごと自分(たち)が好きな特定の映画のオマージュというコンセプトそのものが、2020年代のポップカルチャーにおけるレファレンスの扱い方として貧しすぎる。その貧しさに、自分は耐えられない。坂元裕二は自身の趣味性を脚本に反映させることはないと言っていた。
朝日新聞を過剰に敵視するメディアや、安倍晋三や櫻井よしこといった卑しい政治家や言論人に「捏造」とされた記事が事実かどうかという点において、自分は製作サイドを支持する立場だ。しかし、本作が取り上げた事象をはじめとする数々の理不尽な消耗戦を経て、現状は左右のイデオロギーや「言論の自由」を超えた戦線にまで追い込まれている。安っぽい劇伴にのせて観客の良識や感傷に訴える本作のアプローチが有効な時期は、もうとっくに過ぎてしまったのではないだろうか。
清水崇監督は「犬鳴村」で掘り当てた鉱脈を、Jホラーのパイオニアとしての再生産の場ではなく、トライ&エラーが許された場と位置付けているのだろう。まるで赤川次郎原作の往年の角川映画のような前半は、Kōki,というフレッシュな素材の魅力も相まってワクワクさせる。「エレベーターの急下降」という反復されるイメージも効果的。しかし、物語のまとめに入ってからの失速感は否めず、描写はともかく物語が全然怖くないことでジャンル映画としての信頼を損なってしまっている。
茨城の東日本入国管理センターの目と鼻の先には世界最大のブロンズ立像、牛久大仏がある。日本の閉鎖性や不気味さを対外的に強調するには絶好の被写体だと思うが、本作は海外のドキュメンタリー映画では良くも悪くも駆使されるそうしたイメージ演出を排除し、隠し撮り映像を軸にして日本国家への怨嗟をストイックに連ねていく。その告発が重要なものであることに異論はないが、いくらでも動画プラットフォームがある現在、この品質の映像を劇場でかける意義はどこにあるのだろう?
最近は「花束みたいな恋をした」路線?の、結局は別れてしまう恋人たちの話が流行りなのか。本作は、すでに別れている彼と彼女の、コロナ禍の日常をべースに、2人の恋の顚末を彼の側から1年刻みで遡っていく。がこの形式、昨年作「ボクたちはみんな大人になれなかった」が時代ぐるみでほろ苦く使っていて、しかも恋人役は本作と同じ伊藤沙莉。ではあるけれども、彼の周辺のいかにものエピソードはともかく、伊藤沙莉の夢見るリアリストぶりはかなり痛快で、キャラ的にも後を引く。
歴史と政治が絡んでいる韓国の元慰安婦問題は、各マスコミの報道や「ナヌムの家」「主戦場」などのドキュメンタリーで知るのがせいぜいなのだが、個人的には歴史上の真実に違いないと思っている。その慰安婦の記事を書いた植村隆氏が、これほど長期にわたり、理不尽な誹謗中傷を受けていたとは。いや、過去形ではない。現在も。カメラは植村氏側に寄り添う形で中傷側の責任を追及、目に見えない権力の存在もひしひし。ただこれはこちらの偏見だが氏の自己顕示的場面には興醒め。
〈恐怖の村〉シリーズの中では一番出来がいい。いまやこのシリーズ自体が心霊スポット並み、そういう意味でもしっかりファンの期待通りに展開する。その伝説はともかく、牛の首という大仰なお膳立ても気を惹くものがある。ま、蓋を開ければ寒村の前近代的な因習による悲劇ということなのだが、何組ものダブった人物が無言で立っている映像など効果的。初登場で一人二役のKōki,も、ほとんど笑顔を見せずにキャラを演じ分け、悪くない。穴蔵のシーンのセットが安っぽいのがご愛嬌。
ちょっと話が逸れるが、茨城県牛久には『橋のない川』で知られる住井すゑの文学館があり、以前訪ねたことがある。自由、平等を強く念じた住井すゑ。その牛久に、刑務所そっくりの入管収容所があるとはこのドキュメンタリーで初めて知った。その実態も。とはいえこのドキュ、かなり乱暴で一方的。隠し撮りの是非はともかく、収容されている人たちの話を鵜呑みにするだけでその人物の情報は本人の弁のみ。人権を無視する入管法は酷いとしか言い様がないが、取材が偏り過ぎる。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」をそのまま出すのは観ていて照れてしまうが、たしかに伊藤沙莉氏の魅力はウィノナ・ライダー級。運転手の制服という擬フォーマル的装いでありながらカラフル五本指ソックス。ハッチドアを閉めるためにちょいとジャンプ。あの声だけでも反則級の個性なのに。マスクやディスタンス、とコロナ感染下の世界をきっちり描写。この点で本作は残るべき映画と思う。かつ、同月同日を遡る構成にはニューノーマルを安易に受け入れない意志を感じる。
ネトウヨ、ヤバい。それは奴らを醸成した現代日本社会がヤバいということだが。植村氏への不特定多数からの脅迫の記録となる箇所を観ていてその犯人たちの動機となる「捏造」「誤報」へのこだわりに異様さを感じた。それで慰安婦の存在や植民地支配下での強制性を否定することができるわけでもないのに言葉尻を死守して歴史認識全体を歪ませていく。読売新聞、竹中明洋、『週刊文春』、西岡力、櫻井よしこその他と無名匿名のネトウヨが標的にし、傷つけたのは日本の未来。
73年版の「ウィッカーマン」みたいなもの(あと「2000人の狂人」とか)とスティーブン・キング『IT』が全然違和感なく融合されて日本に移植された面白さゆえに、怖さの出る幕があまりないという変則ホラーだが、そもそも自分のダブルを救いに行く、というところで恐怖は越えるべき障害として予感され、勇気、冒険、愛が透かし見えたわけで。そして、うん、観たなあ、という満足感があった。双子産みは畜生腹と言うてなぁ〜、を言うためだけのような麿赤兒氏起用も良かった。
私は本作の中心的な人物のデニズ氏の会見、その活動が描かれた石川大我議員が事務局長の「難民問題に関する議員懇談会」、本作より少し後の時期の名古屋入管収容所における死亡事件に関する上川陽子法務大臣質疑応答を取材したことがあるが、この問題は日本が、身元不安定なまま入国しようとする人間をとりあえず罪人と見なすという錯誤に由来すると考える。これは絶対に改められるべきこと。また本作の隠し撮り場面には観る者の今後のリアリティ基準を変えるものがあった。