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群像劇でしか今を描けないと思う気持ちは痛い程分かる。群像というドーナツの輪に囲まれた空洞にしか、今はないみたいな(©筒井康隆)。しかし本作には「ショート・カッツ」や「カム・アンド・ゴー」にある慎重さや大胆さが決定的に欠けている。96分でサバイバルな登場人物たちに訪れるオチ。上手くまとめられているが故にガラスケースの中の人形劇に見えてしまう。救いも絶望もそんな簡単じゃないはず。本作に限らずだが、良くも悪くもない映画をこの字数で書くのは本当に難しい。
攻めた企画だと思う。低予算でよく撮っているとも。しかし罠だと知りながら近藤勇の妾宅に行く伊東に象徴されるように、登場人物がみなニヒリスト過ぎないか。現代の閉塞感と分断を幕末に持ってきた意図は分かるが、その借り物競走が上手くいっているとは思えない。群像が似通って連鎖せず群像のままなのだ。だから「百年経ったらいい世の中になっているといい」が響かない。行動や思想にもう少しコントラストがあれば。「侍も天皇もおらんくてよかやないですか」は良かったけど。
妹をレイプした男と結婚しようとする姉。人は正しい選択ばかりでなく、愚かでバカな選択もするけど、このハードルはあまりに高い。姉の動機は小悪魔的な妹へのルサンチマンだと匂わされるが、それは物語上でしか成立しない動機ではないか。男もまたなぜレイプしたかを含め最後まで何を考えているか分からない。これで「極限の人間ドラマ」と言われても。音楽も人間描写も重さに反比例して軽い。劇作家が書いた台詞のリズムが演劇にしか見えない中で、萩原みのりが映画の存在感を放つ。
養護施設に入っている女子が3人。性的虐待にDVにネグレクト。それぞれが3本の映画になる重さなのに、本作はそれを64分でやろうとしている。だから未消化で物語のための材料にしかなっていない。監督も家庭内暴力の経験者だというが、ならば尚更こういう題材を扱う畏れがあってもいいのでは。なぜ主人公が施設に入ったかも金で性的奉仕しているのかも分からないのに、彼女と彼にしか見えない幽霊なんて出さないで。演出力もあり役者もいいのにもったいない。今度は長篇で覚悟の勝負を。
話し方や髪形やガジェットは今風だけど、中身はえらく古臭い青春映画。細切れのこじゃれたCMをつないだような映像に、登場人物の心境吐露のモノローグが時折乗っかるという安易な作りに加えて、それぞれのセリフの自己啓発本のような薄っぺらさにめまいがする。いい俳優を使っていて、一人ひとりが懸命に生きているのはわかるけれど、その背後にある現代社会にはまるで迫れず、ありきたりの風俗描写と紋切り型の東京論しかない。劇中で揶揄されるJポップみたいな映画。
北白川派がとうとう時代劇を作った。しかも京都の伝統的な時代劇の枠からはみだし、文字通り現在の京都と地続きの場所で、新撰組の抗争を撮る。現代の古都に潜む地霊と向き合うという意味では、この一派の「嵐電」に通じるかもしれない。この街で暮らした者なら一度は襲われるタイムスリップのような幻覚的な瞬間。それを福岡芳穂は喜々として撮っている。物語は新撰組の内部対立を維新自体がはらむ矛盾と重ねる壮大なもの。筋を追うのにせわしないのが残念だが、意気は買う。
地方の実家から東京の妹に、ある男との婚約を伝えるために電話している姉のショットから緊迫感がみなぎる。帰宅した婚約者がセーターの上から姉の胸をまさぐる艶めかしさ。退屈な町で起きた過去の忌まわしい事件の傷跡が次第に明らかになり、苛烈な心理戦が始まる。復讐心を燃やす妹、妹への怯えがよみがえる姉、周囲の男たちも含めて、蓋をしていた感情があふれ出す。回想を排したスリリングな脚本、説明を排したストイックな演出、複雑な心情を表現する萩原みのりの存在感が光る。
家庭で性的虐待を受けて傷ついた少女たちの再生へのあがきを描く。同じ境遇の少女たちが共同生活を送るファミリーホームを舞台にして、支える人や仲間たちも含めて描いたところに新味がある。葛藤を抱えながら立ち直ろうとする18歳の主人公を演じる樫本琳花の目力も魅力だ。ただ64分という短い尺の中にエピソードを盛り込みすぎて、主人公の内面の声や周辺人物の物語はいかにもステレオタイプ。セックスへの依存と嫌悪感という主人公のアンビバレンツをもっと見たかった。
大都会で錯綜する、様々な片想いの行方。その対象は、近くて遠い恋人や、誰のものにもならないアイドル、漠たる不特定多数や、一向に叶わぬ夢だったりもする。あの女優が場をさらう冒頭から、登場人物の多さの割にテンポよく展開し、死にたがりの女の子を食い止めようと空回りする男子高生の微笑ましい奮闘などは目を引くも、どこか既視感を覚える情景が続く。求めても手に入らぬ世界で生きる切実さがもう少し伝われば、絵に描いたような奇跡が醸す幸福感も、もっと活きたのでは。
未だ多くのひとの創作意欲を刺激し、生み出され続ける幕末ものとは一線を画す。英雄視されがちな人物も含め、誰ひとり否定も肯定もせず、阿片窟の気丈な女将らの、史実からはこぼれ落ちた声も丹念に拾い上げることで、既成の史観に一石を投じる。現在の京都の風景も不意に紛れ込み、かつての仲間や身内同士で血を流し合った“戦後”が続く今を自分も生きていると痛感させられる、リアルな息づかいも胸に響く異色の時代劇。引退を表明した高岡蒼佑もニヒルな色気を放ち、花道を飾る。
嫌な記憶しかない郷里を離れ上京しても、忌まわしい過去が足枷となってきた主人公をはじめ、どの人物にも深い影を落としているらしい事件自体は、確かに悲劇である。ただ、個々に8年も苦しみ抜いた挙句、結局はその当事者周りでしか関係を築けていない現状は、傍から眺めれば滑稽で、喜劇的ですらある。それにしては全篇にユーモアが欠け、意表を突かれるオチにも、ゾクッとするような切れ味がイマイチ足りない。役者陣は適材適所で巧演しているだけに、不完全燃焼な印象が残る。
児童虐待の長期的な影響に伴う苦悩を乗り越える術を、岐路に立つ18歳の娘を軸に、少し上と下の年代の3人の女性を通し模索する。主人公の抱えるトラウマの生理的な嫌悪感が、熟し過ぎの桃を実父が貪り食うショットを執拗に重ねて、観る者にも生々しく共有される分、恋の予感に揺れる彼女の、前に進もうと変化していく心模様の描写が、やけに淡白に映る。メッセージ性の強い尾崎豊のカヴァー曲の主題歌も、映画の表現不足を補う意味合いのようにも聴こえ、逆効果に思えた。