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不動産用語だと、本作で隣家が引っ越してきた土地は旗竿地。渡辺いっけい演じる世帯主はかなり格安でこの物件を入手したはずで、そもそも文句を言えた義理ではない──というのはまったくの余談だが、その淡々とした語り口に比して、本作に込められた現代社会への問いかけは、観客を傍観者のままではいさせない凄みがある。さすが、加賀まりこが久々の主演作として選んだ作品だ。一方、塚地武雅は芸達者だが、この役はどうしたって「裸の大将」が頭をよぎる。タイプキャストの難しさ
ストーリーや台詞の稚拙さや幼稚さは「ラノベ」に分類される原作由来のものなのだろうが、もちろん本作の責任はその映画化企画を立ち上げた製作サイドにある。20代半ばになっても延々と女子高生を演じ続けている小松菜奈の不遇にも、現在の国内ティーンムービーの作り手たちの怠慢さが凝縮されている。唐突な豊島園やヴィーナスフォートのロケーションは、失われゆく東京の風景を映像として残しておきたいということなのか。でも、肝心の作品が観客の記憶に残らなくては意味がない。
作品のトーン&マナーがあまりにもエクストリームなので面食らった。生まれてこの方NHKの大河ドラマというものを1秒も見たことがないのでよくわからないのだが、そういう特有の番組視聴者へのターゲットマーケティング作品なのだろうか。だとしても、解説字幕の多用、話者を追うだけの退屈なカメラの切り返しと弛緩したズーム、場面転換の合いの手のように入る冗談のような劇伴の使い方、学芸会のような子役の演技など、少なくとも「現在の映画」としての評価は不可能かと。
どこに向かっていくのかまったく予想できない序盤こそ興奮させられたが、早い段階で尻すぼみに。同じ著者の原作映画化歴もある黒沢清作品を連想させる風や水のカットがこれ見よがしに何度も挿入されるが、そういうシグネチャー演出は監督に属するものであって、付け焼き刃な印象のみが残る。また、黒沢清の別作品では役者としての新しい領域を引き出されていた川口春奈が、本作ではテレビサイズの雑な所作や表情に終始していて、展開上不可欠な緊張感を吹き飛ばしてしまっている。
しっかり者の母親と50歳になる自閉症の息子の日常に、世間の誤解や偏見を絡めたヒューマンドラマで、決して大袈裟な話ではない。けれどもどうも釈然としない。母子の住む一軒家の庭の梅の木は路上にまで伸びていて、越して来たばかりの隣家の夫はいい迷惑だと思っている。おいおい、その家を買う前に下見はしなかったの? 周辺の人々にしても長年そこに住んでいる母子のことは知っているはずなのに、意地悪をしたり。こういう描写がせっかくの母子の話を通俗化して凡庸に。
孤独に心の傷、不登校に厭世観といったテーマは、現代の青春映画の定番のひとつになっているが、病的なほど潔癖症の青年と、視線恐怖症の女子高生が、第三者が目論んだヤラセとは知らずに出会い、いつしか互いに惹かれ合うという本作、キャラを複雑にしている割には自意識の強い男女のボーイミーツガールものと大差なく、肩すかしもいいところ。どちらの親も自死をしているという設定も作りすぎで、簡単に親たちを死なせるな!映像が妙に重苦しいのも虚仮脅しの印象を強めている。
武士たちを前に侍らせた信虎の詮議、戦略、脅しに願望が、武士たちの顔ぶれを変えながら、何度も何度も繰り返えされ、信虎が発する武士の名も誰が誰やら無数に及び、信虎情報にまったく疎いこちらは、ただ画面を眺めるのみ。見て聴いて体感する“新”時代劇、とは本作のキャッチコピーだが、体感するほどこの映画に近付けないのがもどかしい。とはいえ信虎の野心と焦燥感は、演じる寺田農の全身からひしひし。美術や小道具も厚みがあり、ベテラン俳優陣も風格がある。でも私には?
人間の願望を察知して、それを実体化する得体の知れない何か──。この作品を観た某監督が「惑星ソラリス」を連想したとおっしゃっていて、私も心して観たのだが、強いて言えば「惑星ソラリス」の地上版ふうドタバタパロディ。しかも舞台は韓国の海の近く、人物はほとんど日本人。確かに奇妙な現象が起こる。日本にいるはずの人間が、同時にこっちでうろうろしているのだから。更に韓国の土着的な呪い伝説まで盛り込み、心理学みたいな会話も。でも捨て難いのは映画の本気度!
伊勢真一監督のドキュメンタリー諸作、また、杉本信昭監督「自転車でいこう」、青柳拓監督「ひいくんのあるく町」などのドキュメンタリーを連想するが、和島香太郎監督は自身が関わったドキュメンタリーでこぼれ落ちた部分を劇映画にしたとのこと。なるほど。たしかに実在する人と場はザラッとすることを外したうえで見せられる気がする。そこが本作の見甲斐だ。タイトルが秀逸。不勉強ゆえ初めて知った。省かれた前半の、桜切るバカ、と合わせて含蓄のある言葉だと。
小松菜奈が現代を代表する三白眼美人女優なのが効いている。視線の強いひとが語る視線恐怖という説得力。林遣都演じる潔癖症の青年の佇まいは、まさにいまのキャラという感じ。嘘か真か一時期ツイッターで多くリツイ&いいねされていたコロナ禍下を象徴するような電車内での若者会話スケッチ、「キスしたかったけどどのタイミングでマスク外すのかわかんなくて」がライトナウに恋しているヤングの防備解除と触れ合いを考えさせる傑作だったように、本作も観るならいまの恋愛譚。
相当面白いことが設定とシナリオの上にあるだけに、画面がもう少し陰影に富みグラマラスでゴージャスならばよかったに、と思う。可能性はあった。撮影というより美術の予算、映画の規模がもっと欲しかった。何が面白かったか。ハードなスタントアクションとは違う戦略による殺陣場面。永島敏行の二役。谷村美月が最後に晴れ晴れとして再登場する爽快さ。寺田農の信虎の自己催眠が生死を越えて機能する(E・A・ポー『ヴァルドマアル氏の病症の真相』を思わせる)という奇想。
SFミステリ、ホワイダニット、ハウダニット、ハプニングからのルール探し、というのはかなりいろんなことがやれると思う。「リング」、シャマラン映画、荒木飛呂彦漫画の面白さとはこういう系統。韓国でロケされているため、ある人物が過去を欠落させたり復活させたりしたうえで反省と謝罪してみせたりすることが日韓の歴史上の課題を連想させた。ゲーム好き人生の思いがけない活かしどころを得、さらにえらいことまでしそうになった岡田将生が成長することに劇を感じた。