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観る前は正直言って今さらリメイクすることになんの必然性があるのかと訝しんでしまったが、蓋を開けてみれば思ったよりも楽しく観られた。韓国ならではの階級差の要素をさほど掘り下げることもない、終盤の改変を含めたどちらかというと甘口の仕上がりには賛否はあろうが、とりわけ何度か登場するエンプティショットと見事に呼応する原作と日本版の時代には存在しなかったGoogleマップの取り入れ方には、コロナ禍の引きこもり生活を捉え直す契機ともなり得る新鮮さを感じた。
余計な情報を観客に一切与えない引き算の演出が見事に奏功している。物語の舞台、組織や敵の内実、兵士たちの出自や性別を明かさずとも、雄大な山と恐ろしい森、そこで蠢く泥だらけの子供たちが直面する剥き出しの暴力をただ見せれば良い。無機質なミカ・レヴィの劇伴とも響き合う本作の確信犯的な曖昧さは、単に寓話的な雰囲気を醸し出すためのものではなく、同時に社会派作品とは全く異なる角度から観客にある程度兵士たちの生きる極限を追体験させる機能をも果たしているだろう。
全体的に画面がテレビドラマ的に見えたことや、不在の父のイメージがあまりにも頻繁に出現するせいでここぞという場面での感情の盛り上がりがやや削がれてしまった点は気になったが、容姿性格ともにわかりやすく描き分けられた主人公たち三姉妹は、それぞれにキャラが立っておりいずれも魅力的。2019年に香港、台湾、中国がほのかに重ねられた三姉妹の育む友情をユーモラスに撮るという試みは、その後の香港情勢とは異なるあり得たかもしれない未来を想像させる点でも貴重。
生い立ちから現在までスタンダードな構成で回顧される監督の半生が、いかに自らの監督作に反映され、香港の歴史と重なり合ってきたのか。ほとんど一つの話題を語り終えるたびに彼女が見せる豪快な笑顔がとにかく印象的。喜怒哀楽を包み隠さず、主張はするが自分の意見に固執することはない監督の素直さと人間的な魅力が、自身の語りと豪華関係者たちの発言からありありと伝わってくる。本作公開を機に行われるという、日本では普段アクセスが困難な過去監督作の小特集も楽しみ。
犬童一心版では携帯が一切映らず、いつの時代なのかも不確かなその世界は、そのまま二人のはっきりしない低温な関係性と重なり、この曖昧さこそが人間なのかなんて思った気がする。一転、本作は携帯にわざわざ言及する場面を用意している。しかし、それが新しさや明確さを強調することはなく、重要なのは古く暗い民家の混沌としたリビングで作る手料理だったりする。そして家が次第に片付いていくとき、映画は人間の明確さを拒むように、二人の距離を縮めつつ決定的に離れさせる。
彼らの目的はまったくわからないが、ただならぬ雰囲気をまとった若者のゲリラ兵士たちが映っている。彼らはほとんどカルト集団のようにも見える。様々な価値観や文化が尊重される社会背景と、観客一人一人が考察者であり、謎が謎を呼び作品を広めていく作品受容のあり方によって、映画はこうした謎の集団を今後ますます描くと思うが、決して思想的、抽象的にならない本作の俳優たちやジャングルの圧倒的な存在感は目を見張る。銃器が画面に出た瞬間の即物的な怖さもただ事ではない。
不仲だった父親の死後、異母姉妹に出会ったり、父の火鍋屋を引き継いでみたりと、様々な交流を通して自分の知らなかった父の側面と愛を知る娘たちの物語。ただ、いささか安易な表現が多く、例えば、悩んだり失敗したりするたびに死んだはずの父の幻影が出現するのはかなり疑問。また、いつまでも世話を焼いてくれる孫に対して、あえてひどいことを口にし嫌われることで孫に自分の人生を生きさせる粋な祖母の場面は、あまりにも通俗的で俗情的な語り口になっていると思う。
アン・ホイ監督の幼少期や母親との関係性から始まり、中盤は香港ニューウェーブの旗手として注目を浴びてから現在までを多彩な映画人たちを交えて語り、終盤ではもはや競う側ではなく新人監督の作品を楽しむ側になった今を捉える。そして彼女のキャリアの蓄積が、香港の歴史と緩やかに重なるという隙のない構成。ただときおり差し込まれる自作のフッテージが、自身の人生とあまりにリンクしすぎており、彼女の映画に対して一義的な見方を誘導しているのが少し気になるところ。
リメイクは難しい。何を残して、何を捨てるか。改変したり、新たに付与する部分に、オリジナルを凌ぐ魅力をいかに持たせ、惹きつけるか。童顔かつ根は無垢でありながら、しゃべり出すと途端に大阪のおばはんと化す犬童一心版のジョゼを、無口で堅く閉ざした人物に変えたことを筆頭に、キム・ジョングァン監督の選択は、ことごとく裏目に思えた。原作はともかく、この流れなら水族館は閉まっているべきでは。「虎」と「魚」の暗示するもの、物語の肝まで曖昧な雰囲気に霞んでしまった。
「2001年宇宙の旅」のモノリスに群がる猿たちを想起させる幕開けから、未知にして未踏のゾーンに引きずり込まれる。画と音の圧倒的な力。獣のような若者たちの、本能剝き出しのようでいて、妙に弁えたところもある異様な生態。入口も出口も今いる地点もわからない、不穏な空気が全篇に満ちる。自分がちっぽけな小石になって、遠いジャングルの激流に呑み込まれ、掻き回されているかの如き鮮烈な体験。新時代のキューブリック、アレハンドロ・ランデスの名を、深く、心に刻んだ。
それぞれに欠けていた亡き父との時間や思い出を、初めて顔を合わせる中で補ってゆく異母姉妹たち。記憶の断片を持ち寄って、つぎはぎながら幻の父を完成させてゆく。姉妹三人のキャラクターが生きていて、長女役のサミー・チェンの表情に何度もぐっと来た。「赦し」が一つのテーマであり、生きているうちに思っていることをしっかり伝える大切さを説く一方、たとえ亡くしてしまっても、そこから通じ合う思いもあると、観る者にそっと語りかける。ひたひたと、沁み入るような映画だ。
「女人、四十。」の主演、ジョセフィーヌ・シャオは、作中こう語る。「映画監督を神だという人も、犬だという人もいる。アン・ホイは、長らく神と犬の間でバランスを取ってきた人だ」と。「アン・ホイ監督が60歳のとき、“女に映画は撮れないとまだ思われてる”って笑いながら言ったの」とのカリーナ・ラムの発言も興味深い。神と犬の間で、女と男の間で、家族や仲間と孤独の間で、闘い続けてきたのだろうアン・ホイの、「香港のために映画を撮り続けたい」という言葉が今こそ強く響く。